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めぐり逢う月と暁  作者: 我亦恋
前世編
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9/32

2 変わる季節

 それから。


 他のお稽古事とは違い、月乃は真面目に琴へ向かうようになった。


「姫様、今日は随分熱心ですね」


 蛍が少し意外そうに言う。


 月乃は誤魔化すように視線を逸らした。


「……別に」


 琴の音を思い浮かべるたび。


 静かに目を細める暁人の顔が浮かぶ。


 褒められた時の声を思い出すと、少し嬉しくなる。


◇


 夕暮れだった。


 月乃は一人で琴を弾いていた。


 まだ拙い音。


 でも以前より、少しだけ指が動く。


 ぽろん。


 秋の風が簾を揺らす。


 その時。


 ふいに、人の気配がした。


「……暁人?」


 御簾の向こう。


 静かな影が止まる。


「申し訳ありません」


「どうしたの?」


「通りかかっただけです」


 低い声。


 月乃は少し笑った。


「聴いてたでしょう」


 一瞬、沈黙。


「……少しだけ」


 否定しない。


 月乃は嬉しくなって、もう一度琴へ触れた。


「まだ下手だけど」


 ぽろん。


「頑張ってるの」


 音が、夕暮れへ溶けていく。


 暁人は静かにその音を聞いていた。


 まるで、大切なものに触れるみたいに。


「……綺麗です」


 小さな声だった。


 でも。


 月乃には、その一言だけで十分だった。


「ほんと?」


 御簾の向こうで、暁人が少しだけ笑う気配がした。


「はい」


 その優しい声を、もっと聞きたくて。


 月乃はまた琴へ指を伸ばす。


◇


 冬が近づいていた。


 朝の空気が冷たい。


 月乃は廊下を歩きながら、小さく息を吐いた。


「寒い……」


 すると隣から、静かな声が返る。


「ですから、もう少し厚いものを羽織ってください」


「暁人は心配しすぎ」


 月乃が笑うと、暁人は困ったように目を細めた。


 昔から変わらないやり取り。


 でも。


 最近、少しだけ違った。


 暁人が時々、距離を取る。


 前みたいに長く隣にいない。


 目が合うと、すぐ逸らされることも増えた。


 理由は分からない。


 でも。


 それが少し寂しかった。


◇


 その日。


 月乃は廊下の角で足を止めた。


 向こう側から、声が聞こえる。


『……右大臣様も、お考えなのでしょう』


 暁人の声だった。


『姫様も、もうあのお年です』


 知らない大人の声が返る。


『いずれ入内なされば——』


 その瞬間。


 月乃の胸が、どくりと鳴った。


 じゅだい。


 意味は、知っている。


 帝や東宮のもとへ嫁ぐこと。


 でも。


 それはどこか遠い話だった。


 自分にはまだ関係ないと思っていた。


「暁人」


 気づけば、声を出していた。


 向こう側の空気が止まる。


 暁人が振り返った。


 一瞬だけ。


 ひどく苦しそうな顔をする。


 でも次の瞬間には、いつもの静かな表情へ戻っていた。


「どうかなさいましたか」


 月乃は言葉を失う。


 どうして。


 そんな顔をしたの?


「……入内、するの?」


 月乃の声は小さかった。


 廊下の空気が、少しだけ冷たくなる。


 暁人はすぐに答えなかった。


 その沈黙が、なぜか一番怖かった。


 やがて。


 静かに言葉が落ちる。


「……いずれ、その可能性は高いかと」


 断定ではなかった。


 でも。


 余計に現実だった。


「……そう」


 月乃はそれだけ言うのが精一杯だった。


 胸の奥が、ぎゅっと縮む。


 今まで“当たり前”だった世界が、少しずつ形を変えていく。


 暁人と並んで歩く廊下。


 琴の音を聴いてくれる時間。


 庭で笑い合う瞬間。


 それが全部。


 どこかへ行ってしまう気がした。


「姫様は……」


 言いかけてやめる。


 暁人は視線を落としていた。


 月乃の顔を見ようとしない。


 どうしてだろう。


 最近の暁人は、時々こんな顔をする。


 何かを考えているような。


 何かを諦めているような。


 けれど月乃には、その理由が分からない。


「……寒いので、戻りましょう」


 優しい声だった。


 なのに。


 なぜだろう。


 少しだけ遠く感じた。


「暁人」


 呼ぶと、暁人の足が止まる。


「……まだ、一緒にいられるよね」


 暁人は振り返らなかった。


 ほんの少しだけ間があって。


「もちろんです」


 穏やかな声。


 いつもと同じはずなのに。


 まるで。


 何かが少しずつ遠ざかっていくようで。

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