5 雷の帰り道
その日の空は、朝から不安定だった。
六月らしい重たい雲が広がり、ときおり遠くで雷の音が聞こえる。
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「今日やばそう」
昼休み、光希が窓の外を見ながら呟いた。
「帰る頃には降るかな」
「降るっていうか嵐じゃない?」
月奈も空を見上げる。
灰色の雲が低く垂れ込めていた。
それだけで少し胸がざわつく。
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「月奈、雷苦手だもんね」
「別に」
「強がるなって」
光希が笑う。
月奈は小さく頬を膨らませた。
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放課後。
予想は当たった。
部活が終わる頃には、大粒の雨が窓を叩いていた。
空が光る。
数秒後、低い雷鳴が響く。
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月奈は無意識に肩をすくめた。
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「神谷」
朔夜の声がする。
「……はい」
「大丈夫か」
「大丈夫です」
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即答したものの、声にあまり説得力はなかった。
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朔夜は何も言わない。
ただ少しだけ眉を寄せる。
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その時だった。
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窓の外が大きく光る。
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ドン――ッ!
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今までより近い雷だった。
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「っ!」
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思わず身体が震える。
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その反応を見て、朔夜は小さく息を吐いた。
「帰れるか」
「帰れます」
「無理だな」
「なんでですか」
「今ので飛び上がってた」
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月奈は返事に詰まった。
図星だった。
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「少し待とう」
「でも……」
「いいから」
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珍しく有無を言わせない口調だった。
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月奈は目を瞬く。
朔夜は普段から穏やかだ。
だからこそ、その言い方が少し意外だった。
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結局、雨が弱まるまで美術室で待つことになった。
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窓を打つ雨音。
遠くで鳴る雷。
少しずつ暗くなっていく空。
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静かな時間だった。
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「東雲先輩」
「ん?」
「昔から思ってたんですけど」
「何」
「心配性ですよね」
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一瞬だけ。
朔夜が言葉に詰まった。
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「そうか?」
「そうです」
「初めて言われた」
「私は昔から思ってました」
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朔夜は少しだけ苦笑する。
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「神谷が危なっかしいだけだろ」
「昔から変わらないし」
「失礼なんですけど」
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それでも少しだけ空気が和らいだ。
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やがて雨脚が弱くなる。
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「行こう」
朔夜が立ち上がった。
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二人は並んで校舎を出る。
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小雨の空気はひんやりしていた。
濡れたアスファルトが街灯の光を反射している。
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しばらく無言で歩く。
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昔から知っている相手なのに、不思議と落ち着かない。
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最近は特にそうだった。
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夢を見るたびに。
知らない景色が増えるたびに。
朔夜を見ると胸がざわつく。
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遠くで雷が鳴った。
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月奈の足が、ほんの少しだけ止まる。
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朔夜は何も言わない。
けれど歩幅だけは自然と月奈に合わせていた。
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まるで置いていかないように。
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そのことに月奈は気づかない。
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「東雲先輩」
「ん?」
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呼んでから、何を言おうとしたのか分からなくなる。
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「……何でもないです」
「そうか」
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少しだけ残念そうに聞こえたのは気のせいだろうか。
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その時だった。
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空が白く光る。
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反射的に顔を上げる。
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稲光が朔夜の横顔を照らした。
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黒縁眼鏡。
その奥にある目。
胸が大きく跳ねる。
理由は分からない。
けれど――
今にも何かを思い出してしまいそうで。
月奈は思わず視線を逸らした。
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「神谷」
「……はい」
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朔夜が少しだけこちらを見る。
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「顔色悪い」
「大丈夫です」
「そう見えない」
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月奈は少しだけ視線を逸らした。
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自分でも分かっていた。
最近、少しおかしい。
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夢を見る。
知らない景色が浮かぶ。
知らないはずの感情が残る。
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そして。
朔夜を見るたびに胸がざわつく。
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風が吹く。
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その時だった。
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朔夜が小さく笑った。
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何気ない笑顔。
いつも見ているはずの顔。
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なのに。
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胸の奥が大きく揺れる。
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見たことがある。
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その笑い方を。
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頭の奥で何かが軋んだ。
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ふらりと視界が揺れる。
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「神谷?」
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朔夜の声が遠くなる。
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◇
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春の庭だった。
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柔らかな陽射し。
揺れる花。
風の匂い。
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月乃は振り返る。
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そこにいるのは、一人の青年。
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静かな目。
優しい声。
少し困ったような笑い方。
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『月乃様』
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胸が熱くなる。
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嬉しい。
安心する。
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この人がいるだけで。
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『暁人』
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名前を呼ぶ。
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青年が目を細める。
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『どうしました』
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その声が。
その目が。
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どうしようもなく懐かしい。
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◇
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「神谷!」
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はっと顔を上げる。
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目の前に朔夜がいた。
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いつの間にか立ち止まっていたらしい。
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「大丈夫か」
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心配そうな声。
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近い。
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思ったよりずっと近くに朔夜の顔があった。
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黒縁眼鏡の奥。
静かな瞳。
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夢の中で見た目と重なる。
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胸が痛いほど高鳴る。
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知らないはずなのに。
ずっと知っている。
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そんな感覚が溢れてくる。
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「……先輩」
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声が震える。
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朔夜の表情が僅かに変わった。
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「神谷?」
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呼ばれる。
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でも、もう止められなかった。
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胸の奥から。
記憶の底から。
自然に名前が零れる。
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「……あき、ひと……?」
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朔夜が息を呑む。
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月奈は目を離せなかった。
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夢の中の人。
ずっと会いたかった人。
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その面影が、目の前の朔夜と重なっていく。
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「……暁人?」
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雨上がりの道に、静かな声が落ちた。




