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めぐり逢う月と暁  作者: 我亦恋
前編
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4/11

4 忘れているもの

部員たちが少しずつ帰り始める。


 椅子を引く音。


 鞄を持つ音。


 窓の外では雨が強くなっていた。



「じゃ、月奈。また明日」


 光希が鞄を肩にかける。


「おつかれ」


「課題決まったら教えて」


「気が向いたら」


「教える気ないじゃん」


 光希は笑いながら手を振った。


 ぱたん、と扉が閉まる。



 美術室は急に静かになった。


 残っているのは数人だけ。


 みんなそれぞれ自分の作業に集中している。


 なのに。


 少し離れた席にいる朔夜の存在ばかり気になった。



 月奈は何となくコンクールのプリントを見つめる。


 自由課題。


 描きたいもの。


 思い浮かぶのは、見たことのない景色ばかりだった。



「順調か?」


不意に声がした。


顔を上げると、朔夜がこちらを見ている。


「一応、描くものは決まったんですけど」


月奈は苦笑した。


「思ったより難しそうで」



「夢の景色か」


月奈は目を丸くした。


「なんで分かるんですか」


「なんとなく」


「適当じゃないですか」


「当たっただろ」



 しばらく沈黙が落ちる。


 窓を叩く雨音だけが響いていた。


 その静けさが妙に落ち着かなかった。



「神谷」


「はい」


「最近、夢は?」



「最近は……」


 少し迷ってから言葉を続ける。


「前よりはっきりしてきたかも」


「どんなふうに」


「分かんない」


 月奈は首を振る。


「顔とかは見えないんだけど」


「うん」


「感情だけ残るの」



 懐かしい。


 苦しい。


 泣きたい。


 会いたい。



 説明できない感覚だった。


 自分でもよく分からない。


 けれど夢から覚めた後、その感情だけが胸に残る。



「変かな」


 小さく呟く。


 朔夜は少しだけ黙った。


「変じゃない」


 返ってきた声は静かだった。


「感情だけ先に残ることもある」



 月奈は少し驚く。


 光希なら笑う。


 朝陽なら気にしすぎだと言う。


 でも朔夜は否定しなかった。



「なんか」


 月奈はぽつりと言う。


「少し怖くて…」


 自分でも意外な言葉だった。


 けれど本音だった。



「夢なのに?」


 朔夜が聞く。


「うん」


 月奈は頷く。


「大事なことを忘れてる気がする」



 言った瞬間。


 朔夜の表情が僅かに揺れた。


 本当に一瞬だけ。


 見間違いかもしれないくらい小さく。



「……そっか」


 それだけ言う。


 その声は少し優しかった。



 窓の外で空が光った。


 数秒遅れて雷が鳴る。



「っ」


 月奈の肩が大きく震えた。


 無意識だった。


 自分でも驚くほど身体が強張る。


「神谷」


 低い声がする。


 顔を上げると、朔夜がこちらを見ていた。



「……大丈夫か」


「だ、大丈夫」


 反射的に答える。


 けれど声が少し震えていた。



 朔夜は小さく息を吐く。


「相変わらずだな」


「うるさいです」


 月奈は思わずむくれる。



「小さい頃から苦手だっただろ」


「覚えてなくていいです」


「無理だろ」


 即答だった。



 月奈は少しだけ頬を膨らませる。


 朝陽と朔夜と一緒に遊んでいた頃。


 雷が鳴るたびに泣きそうになっていたことを思い出した。


 できれば忘れていてほしかった。



 窓の外で、もう一度空が光る。


 月奈は思わず肩をすくめた。



 朔夜は何も言わない。


 ただ静かに窓の外を見ている。



 その横顔を見ながら、月奈はふと思う。


 どうしてだろう。


 最近、この人といると落ち着かない。


 夢を見るたびに。


 白昼夢を見るたびに。


 気づけば朔夜の顔を思い出している。


それがどういう意味なのかは、まだ分からなかった。


___


コンクールの締め切りまで、一か月を切っていた。


 美術室では、それぞれの作品作りが本格的に始まっている。


 放課後になると、部員たちは自然と自分の制作に集中していた。



「月奈、それ何?」


 光希が後ろから覗き込む。


 月奈は慌ててスケッチブックを閉じた。


「見ないで」


「怪しい」


「怪しくない」


「絶対怪しい」


 光希は楽しそうに笑う。



「別に大したものじゃないし」


 月奈は観念してスケッチブックを開いた。


 描かれているのは庭だった。


 どこかの日本庭園。


 けれど実際に見た景色ではない。



「綺麗じゃん」


 光希が素直に言う。


「どこ?」


「知らない」


「知らない?」


「行ったことないし」


 自分でも変だと思う。


 でも、頭の中には確かにある景色だった。



 池のほとり。


 風に揺れる木々。


 遠くに見える建物。


 どこか懐かしい景色。



「夢?」


 光希がぽつりと言う。


 月奈は少しだけ驚いた。


「なんで分かったの」


「何となく」


 光希は肩をすくめる。


「月奈が描く時の顔、いつもと違うから」



 月奈は少し照れくさくなって視線を逸らした。


 その時だった。



「神谷」


 聞き慣れた声がする。


 振り向くと、朔夜が立っていた。


「何ですか」


「見せて」


「嫌です」


「何で」


「恥ずかしいから」



 朔夜は少しだけ笑った。


「別に下手だとは思わない」


「そういう問題じゃないです」


「じゃあ何」


「何となくです」



 光希が吹き出した。


「東雲先輩、月奈には厳しいよね」


「そう?」


 朔夜が首を傾げる。


「そうですよ」


 月奈は即答した。



 朔夜は少し考えてから、


「気づかなかった」


と真顔で言う。



「気づいてください」


「無理」


「なんでですか」


「神谷だから」



 一瞬、美術室が静かになる。


 光希が何かを堪えるように肩を震わせた。



「ちょっと」


 月奈が抗議する。


「意味分かんないんですけど」


「そうか」


 朔夜は本当に分かっていない顔だった。



 その様子がおかしくて、光希がついに吹き出す。


「だめ、無理」


「何笑ってるの」


「ごめんごめん」


 全然反省していなかった。



 窓の外では、夕日が少しずつ傾いていく。


 オレンジ色の光が美術室を染めていた。



 月奈は再びスケッチブックへ視線を落とす。


 夢の景色。


 知らないはずの場所。


 でも、不思議と手は迷わなかった。



さらさらと鉛筆を走らせる。


描くたびに、胸の奥が少しだけ温かくなる。



まるで、本当に知っている場所を描くみたいに。

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