10 最後の確認
翌日。
月奈は朝から落ち着かなかった。
授業中も。
休み時間も。
ノートを開いているのに、頭の中は別のことでいっぱいだった。
昨日。
ようやく認めた気持ち。
その答えは出た。
けれど。
ひとつだけ、聞きたいことが残っている。
『ずっと好きだった』
あの日、朔夜が言った言葉。
あの「ずっと」は。
いつからなのだろう。
考えれば考えるほど、気になった。
だから。
今日、聞こうと思った。
逃げずに。
ちゃんと。
そして放課後。
美術室には、いつも通りの時間が流れていた。
月奈もキャンバスに向かう。
けれど、今日はあまり集中できなかった。
気づけば、時計を見ている。
何度目か分からない。
「月奈」
「え?」
顔を上げると、光希が不思議そうな顔をしていた。
「今日上の空じゃない?」
「そう?」
「そう」
月奈は思わず苦笑する。
「ちょっと考え事してただけ」
「ふーん」
光希は何か言いたそうだったが、それ以上は追及しなかった。
やがて、部活が終わる時間になる。
月奈は小さく息を吸った。
聞きたい。
今日こそ。
そう決めていた。
聞くなら、帰り道だ。
二人きりになれる。
そのためには、まず、一緒に帰る約束をしなければならない。
けれど、いざ立ち上がると、足が重かった。
「東雲先輩」
朔夜が顔を上げる。
眼鏡の奥の目が、まっすぐこちらを向いた。
「どうした」
「その……」
思った以上に緊張する。
けれど。
ここまで来たのだ。
「今日、一緒に帰りませんか」
朔夜が目を瞬く。
「珍しいな」
「その……」
月奈は少しだけ視線を逸らした。
「話したいことがあるので」
一瞬の沈黙。
朔夜は月奈を見つめる。
そして。
「分かった」
短い返事だった。
それだけなのに、月奈の心臓は少し速くなる。
◇
二人は並んで学校を出た。
夕暮れの住宅街。
聞きたいことは決まっている。
なのに、なかなか言葉にならなかった。
しばらく歩いて、先に口を開いたのは朔夜だった。
「話って何だ」
月奈は足を止めそうになる。
やっぱり誤魔化せない。
「……」
鞄の持ち手を握る。
一度息を吸う。
そして、顔を上げた。
「前に言ってましたよね」
「何を」
「ずっと好きだったって」
その瞬間。
朔夜の足が、わずかに止まった。
月奈の心臓が大きく鳴る。
「その……」
声が少し震えた。
「ずっと、って」
「いつからなんですか」
朔夜は何も言わない。
ただ静かに月奈を見ている。
月奈は視線を逸らさなかった。
今なら聞ける気がした。
「前世から?」
夕暮れの風が吹く。
やがて、朔夜がゆっくり口を開いた。
「それは――」
眼鏡の奥で、朔夜は少しだけ視線を落とした。
何かを探すように。
言葉を選ぶように。
間を置いてから、静かに続ける。
「分からない」
静かな声だった。
月奈は目を瞬く。
「分からない?」
「ああ」
朔夜は小さく頷いた。
「前世からだったのかもしれない」
「でも」
一度、言葉を切る。
「気づいた時には好きだった」
月奈は、息を止めた。
朔夜は前を向いたまま続ける。
「いつからとか」
「そういうのは正直分からない」
夕暮れの光が、長い影を落とす。
「ただ」
朔夜が月奈を見る。
「ずっと好きだったのは本当だ」
まっすぐな言葉だった。
飾り気もなく。
誤魔化しもなく。
だからこそ、胸に響く。
「……」
月奈は俯いた。
嬉しい。
すごく嬉しい。
けれど。
まだ少しだけ、聞きたいことがあった。
「私」
声が小さくなる。
「月乃じゃないですよ」
朔夜は黙った。
月奈は続ける。
「記憶はあります」
「でも」
「月乃じゃなくて」
「月奈です」
前世と同じ人間ではない。
同じ記憶があっても、同じ人生ではない。
だから、それだけは聞いておきたかった。
けれど。
朔夜の返事は、驚くほど早かった。
「知ってる」
月奈が顔を上げる。
朔夜は少しだけ呆れたように言った。
「月奈だろ」
当たり前のことを言うように。
迷いなく。
月奈の胸の奥で、何かがほどけた。
ずっと引っかかっていたもの。
不安だったもの。
それが、静かに消えていく。
「……はい」
月奈は少し笑った。
「月奈です」
朔夜も小さく笑う。
その笑顔を見た瞬間、もう逃げたくないと思った。
胸の鼓動が速くなる。
けれど、今なら言える気がした。
「東雲先輩」
呼ぶ声が、少しだけ震える。
朔夜が月奈を見た。
その瞬間。
月奈は、ぎゅっと手を握る。
伝えたいことは、もう決まっていた。




