5 知らなかった時間
月奈は小さく息を吸った。
「東雲先輩は……」
言葉を探す。
「いつから思い出してたんですか」
朔夜は少しだけ目を細めた。
驚いた様子はない。
やっぱり聞かれると思っていたのだろう。
二人は並んで歩き続ける。
しばらくして。
「小学生の頃」
静かな声が返ってきた。
月奈は思わず足を止めそうになる。
「そんな前!?」
朔夜が少しだけ笑った。
「そんな反応すると思った」
「だって……」
月奈は言葉を失う。
自分は、つい最近まで断片的な夢だと思っていた。
それなのに。
朔夜は、ずっと前から知っていたのだ。
「最初は本当に意味が分からなかった」
珍しく朔夜の方から話し始める。
「毎晩知らない景色が出てくるし、知らない名前で呼ばれるし」
「……」
「正直、自分がおかしくなったのかと思った」
月奈は思わず朔夜を見る。
そんなふうに思っていたなんて、知らなかった。
「でも」
朔夜は少し前を見たまま続ける。
「月奈も同じような夢を見るって言ってただろ」
その呼び方に、胸が小さく跳ねる。
あの雨の夜以来だった。
けれど今は、妙に意識してしまう。
「……うん」
「少し安心した」
月奈は目を瞬いた。
安心した。
その言葉が意外だった。
「私のおかげで?」
「少なくとも、自分だけじゃなかった」
朔夜はそう言って、小さく笑った。
月奈もつられて笑う。
その答えは、少し嬉しかった。
けれど。
聞きたいことは、まだ残っている。
むしろ本番はここからだった。
「じゃあ……」
月奈は鞄の持ち手を握り直す。
「どうして黙ってたんですか?」
その問いに、朔夜の表情が少しだけ変わった。
夕暮れの風が、二人の間を通り抜ける。
しばらく沈黙が続いた。
月奈は黙って、返事を待つ。
やがて。
「最初は」
朔夜が静かに口を開いた。
「思い出してほしかった」
月奈は目を瞬く。
やっぱり。
どこかでそう思っていた。
小学生で突然、自分だけが前世の記憶を見るようになった。
そんなの不安に決まっている。
誰かに分かってほしいと思うのは、当たり前のことだった。
「夢の続きを見るたびに、月奈もそのうち思い出すんじゃないかと思ってた」
朔夜は少し遠くを見るような目をした。
「同じ夢を見てるって聞いた時は、たぶんそうなんだろうって」
月奈は黙って聞いていた。
幼い頃の朔夜を想像する。
一人で、知らない記憶を抱えていた少年を。
「でも」
朔夜の声が少しだけ低くなる。
「途中で考えが変わった」
月奈は息を呑んだ。
理由はなんとなく分かる気がした。
けれど、聞かなければいけない気がした。
「どうして?」
小さな声で尋ねる。
朔夜は少しだけ黙った。
そして。
「あの夢を最後まで見たから」
月奈の足が止まりそうになる。
胸の奥が強く痛んだ。
あの日の記憶。
雷鳴。
激しい雨。
眩しい光。
思い出しただけで、息が苦しくなる。
「……」
言葉が出ない。
朔夜は静かに続けた。
「月奈が思い出したら」
「……」
「同じように苦しむかもしれないと思った」
夕暮れの道を歩きながら、朔夜は前を見たまま言う。
「だから、途中からはどっちでもよくなった」
その言葉に、月奈はゆっくり顔を上げた。
「どっちでも……?」
「思い出しても」
朔夜が言う。
「思い出さなくても」
少しだけ笑った。
「月奈が普通に笑ってるなら、それでいいと思った」
胸の奥が、じんわり熱くなる。
それは諦めではなかった。
きっと。
長い時間をかけて辿り着いた答えだった。
月奈は何も言えなくなる。
自分ならどうだっただろう。
同じ立場だったら。
そんなふうに考えられただろうか。
分からない。
けれど、ひとつだけ分かることがあった。
朔夜は、ずっと一人で抱えてきたのだ。
月奈が知らなかった時間を。
その事実が、ただ切なかった。
「……そっか」
ようやく、それだけ呟く。
朔夜は何も言わなかった。
ただ静かに、隣を歩いていた。




