1 目覚め
まぶたの裏に、ぼんやりとした光が差していた。
ゆっくりと目を開ける。
視界に入ったのは、見慣れた天井だった。
白い天井。
カーテン。
机。
制服のかかったハンガー。
自分の部屋。
でも、違和感があった。
光の色が、朝ではない。
夕焼けの色が、カーテン越しに部屋を染めている。
「……夕方?」
月奈はゆっくり瞬きをした。
帰ってきた。
その事実を理解した瞬間、胸の奥に、膨大な記憶が押し寄せる。
月乃。
暁人。
朝頼。
蛍。
笑った日々。
幸せだった時間。
苦しかった想い。
「っ……」
思わず胸元を押さえる。
夢じゃない。
全部覚えている。
その時。
コンコン、と控えめな音がした。
「月奈? 起きてるか?」
聞き慣れた声だった。
「……お兄ちゃん」
「入るぞ」
ドアが開く。
朝陽は月奈の顔を見るなり、ほっとしたように笑った。
「やっと起きたか」
「私……」
「昨日の夜倒れて、そのまま丸一日寝てたんだよ」
その言葉で、昨夜の記憶が蘇る。
雨。
告白。
朔夜。
暁人。
胸がぎゅっと痛んだ。
「……さっくんは?」
言ってから、はっとする。
朝陽が少しだけ目を丸くした。
「朔夜?」
「……うん」
どうして真っ先に聞いたんだろう。
分かっている。
昨夜、告白されたから。
暁人だったと知ったから。
それなのに。
朝陽は何も気づいていない様子で続けた。
「あいつがお前送ってきたんだよ」
月奈の心臓が大きく跳ねる。
「熱あるからって」
朝陽は少し笑った。
「珍しく焦ってたな」
その言葉に、暁人の顔と、朔夜の顔が重なる。
うまく息ができない。
「……そう」
それしか言えなかった。
朝陽はそんな月奈を見て、首を傾げる。
「まだしんどいか?」
「ううん」
違う。
熱じゃない。
心が追いついていないだけだ。
朝陽は少し黙ってから、頭をかいた。
「無理に急がなくていいからな。お前は、お前のペースでいいんだよ」
どこかで聞いたことがあるような気がして、月奈は小さく瞬きをした。
朝陽は「飯ができたら呼ぶ」とだけ言って、部屋を出ていった。
月奈は窓の外へ視線を向ける。
茜色の空が広がっていた。
けれど、胸の奥では、あの声がまだ消えない。
『……月奈』
『ずっと好きだった』
思い出した瞬間、心臓が大きく鳴った。
一人になった部屋で、月奈はしばらく動けなかった。
思い出してしまった。
全部。
月乃として生きた日々を。
庭を駆け回った幼い頃。
みんなに守られながら過ごした日々。
東宮妃として入内が決まった日のこと。
そして。
暁人。
「……」
名前を思い浮かべるだけで、苦しくなる。
最後の夜。
『来世で……また会いましょう』
『次こそは、貴女を、迎えに参ります』
確かに約束した。
確かに、想いを伝え合った。
なのに。
その翌日、全て終わってしまった。
月奈はゆっくり目を閉じる。
あの日の雨を思い出す。
雷の音。
眩しい光。
胸がざわつく。
昔から雷が苦手だった理由を、月奈は、なんとなく理解した気がした。
はっきり思い出せるわけじゃない。
それでも、あの雨の日を思い出すだけで、息が詰まる。
「……そっか」
小さく呟く。
その時。
机の上のスマホが震えた。
月奈はびくりと肩を揺らす。
画面が光っていた。
送り主を見た瞬間、呼吸が止まる。
東雲朔夜。
ただ名前が表示されているだけなのに、心臓がうるさい。
さっくん。
違う。
暁人。
違う。
「……」
月奈はスマホを握りしめる。
前世は終わった。
月乃はもういない。
今ここにいるのは、神谷月奈だ。
それなのに。
昨夜の告白を思い出すだけで、胸が熱くなる。
『ずっと好きだった』
あれは暁人の言葉だったのだろうか。
それとも。
朔夜自身の言葉だったのだろうか。
月乃の時間は終わった。
だけど。
朔夜は、今もここにいる。
震える指で、月奈は通知を開いた。
――画面の向こうにいるのは、暁人ではない。
東雲朔夜だ。




