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めぐり逢う月と暁  作者: 我亦恋
前編
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2 夢の中の名前

 その夜、月奈はまた夢を見た。


 庭に風が吹いている。


 幼い月乃は、両手いっぱいに花を抱えていた。


『暁人(あきひと)!』


 呼ぶと、少し離れた場所にいた少年が振り返る。


『どうしました』


『見て』


 月乃は得意げに花を差し出した。


『綺麗でしょう?』


 暁人は花を見て、それから月乃を見る。


『ええ。綺麗です』


『もっと褒めて』


『十分褒めたつもりですが』


『足りない』


 月乃が頬を膨らませる。


 すると暁人は少し困ったように笑った。


『では、月乃様がお選びになった花は、とても美しいです』


『花だけ?』


『……』


『花だけ?』


『月乃様』


『ふふっ』


 月乃は楽しそうに笑う。


 暁人は呆れたような顔をしながらも、その目はどこか優しかった。


⸻


 場面が変わる。


 今度は縁側だった。


 月乃は隣に座る暁人を見上げる。


『暁人』


『はい』


『明日も来る?』


『来ますよ』


『明後日も?』


『来ます』


『その次も?』


『来ます』


 月乃は満足そうに笑った。


『よかった』


 その言葉に、暁人は少しだけ目を細める。


 春の風が吹く。


 陽だまりの中で、二人は並んで座っていた。


◇


「――っ」


 月奈は勢いよく目を覚ました。


 胸の奥が、妙に温かかった。


「……あきひと?」


 自分の口から出た名前に、月奈は固まる。


 知らない名前。


 なのに、なぜか懐かしい。


 翌朝。


 月奈は珍しくぼんやりしたまま朝食を食べていた。


「月奈、魂抜けてるぞ」


 朝陽が笑う。


「寝不足?」


「ちょっと……」


「また夢?」


 図星だった。


 月奈が黙ると、朝陽は「あー」という顔をする。


「昔からだよな。お前」


「そんなに?」


「小さい頃、よく泣いてたぞ」


「え」


「夢見たって」


 忘れていた。


 月奈が驚いていると、朝陽が時計を見て立ち上がる。


「そろそろ行くか」


「あ、もうそんな時間?」


 慌てて牛乳を飲み干す。


 朝陽は苦笑した。


「だから朝は余裕持てって」


「言われなくても分かってる」


「毎回言ってる気がするけどな」


 玄関を出ると、家の前には見慣れた姿があった。


 東雲朔夜。


 壁にもたれながら、スマホを見ている。


 月奈たちに気づくと顔を上げた。


「おはよう」


「おはよ、朔夜」


 朝陽が気軽に返す。


 その瞬間。


 月奈の胸がまたざわついた。


 ついさっきまで見ていた夢。


 陽だまりの縁側。


 穏やかな声。


 優しく笑う少年。


『明日も来る?』


『来ますよ』


 夢の余韻が、まだ消えていない。


「月奈?」


 朝陽に呼ばれて我に返る。


「え?」


「まだ寝てる?」


「寝てないし」


 慌てて答えると、朝陽は呆れたように笑った。


 三人で歩き始める。


 いつもの通学路。


 いつもの朝。


「今日一限なんだっけ?」


「現文」


「うわ、眠いやつ」


「朝陽いつも眠そう」


「それな」


 二人は笑っている。


 普通の会話。


 普通の朝。


 なのに月奈だけが、どこか落ち着かない。


 ふと、朔夜がこちらを見る。


「神谷」


「……はい」


「顔色悪い」


「寝不足なだけです」


「夢?」


 どうして。


 どうしてこの人は、そんなふうに当ててくるんだろう。


「……なんで分かるんですか」


 朔夜は少しだけ目を細めた。


 その目が、朝の光を受ける。


 一瞬。


 眼鏡の奥が見えた気がした。


 胸が大きく跳ねる。


 頭の奥で、知らない景色が揺れた。


 長い廊下。


 風。


 琴の音。


『暁人』


 誰かの声がする。


 月奈は思わず立ち止まった。


「月奈?」


 朝陽の声で、現実に引き戻される。


 気づけば朔夜がこちらを見ていた。


 静かな目だった。


 でもその奥に、何かを隠している気がした。


 風の匂い。


 衣擦れの音。


 誰かの声。


 そして――あの目。


◇


 昼休み。


 月奈は机に突っ伏したまま、小さくため息をついた。


「重症じゃん」


 隣で、光希が呆れたように言う。


「そんなに寝不足?」


「……夢見ただけ」


「また?」


 月奈は曖昧に頷く。


 最近、夢が妙にリアルだった。


 前はぼんやりしていたのに、今は感情まで残る。


 目が覚めても、夢の余韻だけが消えない。


「どんな夢?」


 光希がパンをかじりながら聞く。


「……着物着てる」


「また平安」


「あと庭」


「うん」


「それで……誰かいる」


「男?」


 月奈は少し迷ってから頷いた。


「顔は見えないんだけど」


「でもいるんだ」


「……うん」


 それだけは分かる。


 姿は曖昧なのに。


 声も顔も思い出せないのに。


 その人がいると分かる感覚だけが残っている。


「恋じゃん」


「違うし!」


 月奈が即座に否定すると、光希が笑った。


「夢の男に、現実の誰かが嫉妬したら面白いのに」


「だから違うって」


「じゃあ何?」


「……分かんない」


 本当に分からなかった。


 懐かしいのに。


 胸が少し苦しくなる。


 そんな感覚だけが残っている。


 放課後。


 美術室には静かな空気が流れていた。


 紙を擦る音。


 鉛筆の音。


 窓の外から聞こえる運動部の掛け声。


 月奈はスケッチブックに向かったまま、ぼんやりと手を動かしていた。


「月奈」


 向かいの席から光希が声をかける。


「今日ほんとに元気ないね」


「そんなことない」


「ある」


 即答だった。


「夢のせい?」


「……たぶん」


 光希は少しだけ眉を上げる。


 何か言いかけた、その時だった。


「神谷」


 聞き慣れた声がした。


 顔を上げると、朔夜が立っている。


「うわっ」


「驚きすぎ」


「急に声かけないで下さい」


「呼んだだけ」


 その言い方が妙にずるい。


 光希がくすくす笑った。


「東雲先輩、月奈びびらせるの好きですよね」


「別に」


 朔夜は月奈のスケッチブックへ視線を落とす。


「ここ」


 そう言って、一か所を指差した。


「影の向き違う」


「え?」


 月奈が慌てて覗き込む。


 確かに少し不自然だった。


「ほんとだ……」


「光の位置考えれば分かる」


「分かってました」


「分かってないからそうなってる」


「うっ…」


 朔夜が少しだけ笑う。


 月奈はむっとした。


 消しゴムを取ろうとして、同時に手が伸びた。


 指先が触れる。


 その瞬間。


 景色が揺れた。


⸻


 夜。


 冷たい風。


 月明かり。


 誰かの袖を掴んでいる。


『……どうして』


 震える声。


 自分の声だった。


 苦しい。


 悲しい。


 泣きたい。


 目の前には誰かがいる。


 顔は見えない。


 でも。


 その人が、とても大切な人だと分かる。


『月乃様』


 優しい声。


 泣きそうな声。


『私は――』


⸻


「神谷」


 低い声が聞こえた。


 はっと顔を上げる。


 美術室だった。


 目の前には朔夜がいる。


 ほんの一瞬だったはずなのに、心臓が激しく鳴っていた。


「大丈夫?」


 朔夜が少し眉を寄せる。


「……うん」


 うまく息ができない。


 怖いわけじゃない。


 けれど。


 この人に触れると、何かを思い出してしまいそうだった。


 朔夜は何も聞かなかった。


 ただ静かに月奈を見る。


 その視線が落ち着かない。


 まるで。


 ずっと待っていたみたいな目だった。


「月奈?」


 光希が不思議そうに覗き込む。


「顔赤いけど」


「え」


「熱?」


「違う!」


 慌てて否定すると、光希はちらりと朔夜を見る。


 それから意味ありげに笑った。


「ふーん?」


「その顔やめて」


「別にー?」


 絶対何か勘違いしている。


 朔夜は小さく息を吐いて、自分の席へ戻っていく。


 その背中を見ながら、月奈は胸元を押さえた。


 まだ鼓動が落ち着かない。


 知らないはずなのに。


 どうしてだろう。


 あの声も。


 あの眼差しも。


 ずっと昔から知っている気がした。

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