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めぐり逢う月と暁  作者: 我亦恋
前編
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2/11

2 夢の中の名前

その夜、月奈はまた夢を見た。



 庭に風が吹いている。


 幼い月乃は、両手いっぱいに花を抱えていた。


『暁人!』


 呼ぶと、少し離れた場所にいた少年が振り返る。


『どうしました』


『見て』


 月乃は得意げに花を差し出した。


『綺麗でしょう?』


 暁人は花を見て、それから月乃を見る。


『ええ。綺麗です』


『もっと褒めて』


『十分褒めたつもりですが』


『足りない』


 月乃が頬を膨らませる。


 すると暁人は少し困ったように笑った。


『では、月乃様がお選びになった花は、とても美しいです』


『花だけ?』


『……』


『花だけ?』


『月乃様』


『ふふっ』


 月乃は楽しそうに笑う。


 暁人は呆れたような顔をしながらも、その目はどこか優しかった。



 場面が変わる。


 今度は縁側だった。


 月乃は隣に座る暁人を見上げる。


『暁人』


『はい』


『明日も来る?』


『来ますよ』


『明後日も?』


『来ます』


『その次も?』


『来ます』


 月乃は満足そうに笑った。


『よかった』


 その言葉に、暁人は少しだけ目を細める。


 春の風が吹く。


 陽だまりの中で、二人は並んで座っていた。



「――っ」


 月奈は勢いよく目を覚ました。


 胸の奥が、妙に温かかった。


「……あきひと?」


 自分の口から出た名前に、月奈は固まる。


 知らない名前。


 なのに、なぜか懐かしい。



 翌朝。


 月奈は珍しくぼんやりしたまま朝食を食べていた。


「月奈、魂抜けてるぞ」


 朝陽が笑う。


「寝不足?」


「ちょっと……」


「また夢?」


 図星だった。


 月奈が黙ると、朝陽は「あー」という顔をする。


「昔からだよな。お前」


「そんなに?」


「小さい頃、よく泣いてたぞ」


「え」


「夢見たって」


 忘れていた。


 月奈が驚いていると、朝陽が時計を見て立ち上がる。


「そろそろ行くか」


「あ、もうそんな時間?」


 慌てて牛乳を飲み干す。


 朝陽は苦笑した。


「だから朝は余裕持てって」


「言われなくても分かってる」


「毎回言ってる気がするけどな」



 玄関を出ると、家の前には見慣れた姿があった。


 東雲朔夜。


 壁にもたれながら、スマホを見ている。


 月奈たちに気づくと顔を上げた。


「おはよう」


「おはよ、朔夜」


 朝陽が気軽に返す。



 その瞬間。


 月奈の胸がまたざわついた。


 ついさっきまで見ていた夢。


 陽だまりの縁側。


 穏やかな声。


 優しく笑う少年。



『明日も来る?』


『来ますよ』



 夢の余韻が、まだ消えていない。



「月奈?」


 朝陽に呼ばれて我に返る。


「え?」


「まだ寝てる?」


「寝てないし」


 慌てて答えると、朝陽は呆れたように笑った。



 三人で歩き始める。


 いつもの通学路。


 いつもの朝。


 なのに月奈だけが、どこか落ち着かなかった。


「今日一限なんだっけ?」


「現文」


「うわ、眠いやつ」


「朝陽いつも眠そう」


「それな」


 二人は笑っている。


 普通の会話。


 普通の朝。


 なのに月奈だけが、どこか落ち着かない。



 ふと、朔夜がこちらを見る。


「神谷」


「……なに」


「顔色悪い」


「寝不足なだけ」


「夢?」


 その言葉に、月奈の足が止まりそうになる。


 どうして。


 どうしてこの人は、そんなふうに当ててくるんだろう。


「……なんで分かるの」


 朔夜は少しだけ目を細めた。


 その目が、朝の光を受ける。


 一瞬。


 眼鏡の奥が見えた気がした。


 胸が大きく跳ねる。


 頭の奥で、知らない景色が揺れた。


 長い廊下。


 風。


 琴の音。


『暁人』


 誰かの声がする。


 月奈は思わず立ち止まった。


「月奈?」


 朝陽の声で、現実に引き戻される。


 気づけば朔夜がこちらを見ていた。


 静かな目だった。


 でもその奥に、何かを隠している気がした。


____


夢の感触だけが、ずっと残っていた。


 風の匂い。


 衣擦れの音。


 誰かの声。


 そして――あの目。



 昼休み。


 月奈は机に突っ伏したまま、小さくため息をついた。


「重症じゃん」


 隣で、光希が呆れたように言う。


「そんなに寝不足?」


「……夢見ただけ」


「また?」


 月奈は曖昧に頷く。


 最近、夢が妙にリアルだった。


 前はぼんやりしていたのに、今は感情まで残る。


 目が覚めても、夢の余韻だけが消えない。



「どんな夢?」


 光希がパンをかじりながら聞く。


「……着物着てる」


「また平安」


「あと庭」


「うん」


「それで……誰かいる」


「男?」


 月奈は少し迷ってから頷いた。


「顔は見えないんだけど」


「でもいるんだ」


「……うん」


 それだけは分かる。


 姿は曖昧なのに。


 声も顔も思い出せないのに。


 その人がいると分かる感覚だけが残っている。



「恋じゃん」


「違うし!」


 月奈が即座に否定すると、光希が笑った。


「夢の中の男に嫉妬されたら面白いのに」


「だから違うって」


「じゃあ何?」


「……分かんない」


 本当に分からなかった。


 懐かしいのに。


 胸が少し苦しくなる。


 そんな感覚だけが残っている。



 放課後。


 美術室には静かな空気が流れていた。


 紙を擦る音。


 鉛筆の音。


 窓の外から聞こえる運動部の掛け声。


 月奈はスケッチブックに向かったまま、ぼんやりと手を動かしていた。


「月奈」


 向かいの席から光希が声をかける。


「今日ほんとに元気ないね」


「そんなことない」


「ある」


 即答だった。


「夢のせい?」


「……たぶん」


 光希は少しだけ眉を上げる。


 何か言いかけた、その時だった。



「神谷」


 聞き慣れた声がした。


 顔を上げると、朔夜が立っている。


「うわっ」


「驚きすぎ」


「急に声かけないで下さい」


「呼んだだけ」


 その言い方が妙にずるい。


 光希がくすくす笑った。


「東雲先輩、月奈びびらせるの好きですよね」


「別に」


 即答だった。



 朔夜は月奈のスケッチブックへ視線を落とす。


「ここ」


 そう言って、一か所を指差した。


「影の向き違う」


「え?」


 月奈が慌てて覗き込む。


 確かに少し不自然だった。


「ほんとだ……」


「光の位置考えれば分かる」


「分かってたし」


「分かってないからそうなってる」


「うっ…」


 朔夜が少しだけ笑う。


 月奈はむっとした。



 消しゴムを取ろうとして、同時に手が伸びた。


 指先が触れる。



 その瞬間。


 景色が揺れた。



 夜。


 冷たい風。


 月明かり。


 誰かの袖を掴んでいる。


『……どうして』


 震える声。


 自分の声だった。


 苦しい。


 悲しい。


 泣きたい。


 目の前には誰かがいる。


 顔は見えない。


 でも。


 その人が、とても大切な人だと分かる。


『月乃様』


 優しい声。


 泣きそうな声。


『私は――』



「神谷」


 低い声が聞こえた。


 はっと顔を上げる。


 美術室だった。


 目の前には朔夜がいる。


 ほんの一瞬だったはずなのに、心臓が激しく鳴っていた。


「大丈夫?」


 朔夜が少し眉を寄せる。


「……うん」


 うまく息ができない。


 怖いわけじゃない。


 けれど。


 この人に触れると、何かを思い出してしまいそうだった。



 朔夜は何も聞かなかった。


 ただ静かに月奈を見る。


 その視線が落ち着かない。


 まるで。


 ずっと待っていたみたいな目だった。



「月奈?」


 光希が不思議そうに覗き込む。


「顔赤いけど」


「え」


「熱?」


「違う!」


 慌てて否定すると、光希はちらりと朔夜を見る。


 それから意味ありげに笑った。


「ふーん?」


「その顔やめて」


「別にー?」


 絶対何か勘違いしている。



 朔夜は小さく息を吐いて、自分の席へ戻っていく。


 その背中を見ながら、月奈は胸元を押さえた。


 まだ鼓動が落ち着かない。


 知らないはずなのに。


 どうしてだろう。


 あの声も。


 あの眼差しも。


 ずっと昔から知っている気がした。

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