1 夢をみる朝
夢を見るのは、小さい頃からだった。
草の匂い。
陽の光。
誰かの笑う声。
そして――
『ずっと一緒にいようね』
小さな女の子が笑っている。
向かいにいる男の子は寂しそう笑った。
『…そうですね』
そこで、いつも夢は途切れる。
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「月奈ー、起きてるかー!」
勢いのいい声に、神谷月奈は布団をかぶった。
「起きてるってば……」
返事をすると、廊下の向こうで兄が笑う気配がする。
「今日もギリギリじゃん」
「お兄ちゃんがうるさいからでしょ」
「人のせいにすんなー」
いつもの朝だった。
夢の余韻だけが、少し胸に残っている。
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制服に着替えて玄関を出ると、家の前に人影があった。
「おう、朔夜!」
朝陽が気軽に声を上げる。
東雲朔夜は軽く笑った。
「おはよう」
その声は穏やかで、自然だった。
朝陽はそのまま隣に並ぶ。
「昨日の試合見た?」
「最後だけ」
「そこが一番大事なんだけど」
「だから見た」
そんなやり取りをしながら、二人は歩き出す。
月奈もその後ろについていった。
誰かが「一緒に行こう」と言うわけじゃない。
小さい頃から、なんとなくこうだった。
近所に住んでいる朔夜は、よく神谷家に遊びに来ていた。
朝陽とゲームをして、気づけば月奈も混ざっていて。
それが当たり前だった。
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「そういえば朔夜」
朝陽が思い出したように振り返る。
「美術部で月奈、ちゃんとやってる?」
「お兄ちゃんやめて」
月奈が即座に突っ込む。
朝陽は笑った。
「いや、先輩としてどうなのかなって」
朔夜は少しだけ月奈を見る。
その視線に、月奈は思わず目を逸らした。
「……普通」
「普通だって」
「何その微妙な言い方」
「神谷すぐサボろうとするから」
「してない!」
朝陽が吹き出す。
いつもの会話。
なのに、月奈は少しだけ息が詰まる。
朔夜と二人きりになると、最近は落ち着かない
昔は自然に懐いていたが。
だから三人でいるくらいが、ちょうどいい。
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校門が見えてきた頃、後ろから声が飛んだ。
「月奈ー!」
振り返ると、中村光希が大きく手を振っていた。
ショートカットの髪を揺らしながら、こちらへ駆けてくる。
「おはよ。今日眠そうじゃん」
「また変な夢見てた」
「あー、いつもの?」
光希は軽い調子で言う。
月奈が昔からよく夢を見ることを、彼女は知っていた。
「また平安時代みたいなやつ?」
「平安時代かは知らないけど……」
「絶対そっち系だって。着物率高すぎ」
光希はケラケラ笑う。
その横で、朝陽も笑った。
「月奈、昔からだよな。寝言もすごかったし」
「やめて」
「なんか『あき……』とか言ってた」
その瞬間。
月奈の胸が、妙にざわついた。
隣で、朔夜の足がほんの少しだけ止まる。
でも、それも一瞬だった。
「ほら、遅れる」
朔夜はそれだけ言って、先に歩き出す。
その背中を見ながら、月奈は小さく眉を寄せた。
(……今、なんで)
分からない。
でも、胸の奥が少しだけ苦しかった。
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放課後の美術室は、少しだけ世界が違う。
窓から差し込む夕方の光。
絵の具の匂い。
紙を擦る音。
静かなのに、不思議と落ち着く場所だった。
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「月奈、またぼーっとしてる」
向かいから飛んできた声に、月奈は顔を上げた。
光希が呆れた顔でこちらを見ている。
「してないし」
「してた。手が止まってた」
「考え事」
「それをぼーっとしてるって言うの」
光希は笑いながら、自分のスケッチブックを閉じた。
面倒見がよくて、はっきり物を言う。
でも押しつけがましくない。
月奈にとって、かなり居心地のいい相手だった。
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「神谷」
不意に名前を呼ばれて、肩が揺れる。
振り返ると、東雲朔夜が立っていた。
「……なに」
「そこ、影おかしい」
そう言って、月奈のデッサンを指差す。
月奈は少しむっとした。
「分かってるし。今直そうとしてた」
「そう」
それだけ言って、朔夜は自分の席へ戻っていく。
月奈は思わず、その背中を睨んだ。
「なにあれ」
光希が吹き出す。
「東雲先輩、月奈にはちょっと厳しいよね」
「そうなの!」
「でもちゃんと見てくれてるじゃん」
「別に頼んでないし……」
口ではそう言いながら、月奈はさっき指摘された部分を消しゴムで直す。
確かに影がおかしかった。
悔しい。
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少し離れた席で、朔夜は黙々と木炭を動かしている。
無駄のない手つきだった。
静かなのに、妙に目を引く。
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帰る頃には、外はすっかり夕焼けになっていた。
「朝陽先輩今日遅いんだっけ?」
光希が靴を履きながら聞く。
「バレー部、試合前だからね」
「あー、言ってたね」
つまり今日は、帰りが三人じゃない。
その事実に気づいて、月奈は少しだけ落ち着かなくなった
光希はそんな月奈を見て、ふっと笑う。
「じゃ、私こっちだから」
「え、待って」
「ん?」
「……いや」
引き止める理由が思いつかない。
光希は全部分かってるみたいな顔で笑った。
「また明日ね、月奈」
軽く手を振って、去っていく。
残されたのは、二人。
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沈黙が落ちる。
気まずいわけじゃない。
でも、落ち着かない。
朔夜は隣を歩きながら、ふと口を開いた。
「最近、また夢見てる?」
月奈の足が止まりかける。
「……なんで知ってるの」
「昔から言ってた」
「そうだっけ」
「そうだよ」
静かな声だった。
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月奈は無意識に、朔夜の横顔を見る。
夕焼けが、黒縁眼鏡のレンズに反射していた。
その奥の目が、一瞬だけ見える。
胸がざわつく。
知らないはずなのに。
その横顔が、妙に心に残った。




