11 月明かりの告白
月明かりの落ちる庭先に、人影が見えた。
⸻
月乃の呼吸が止まる。
⸻
(……暁人)
⸻
その人は、まるで最初から待っていたみたいに、静かに立っていた。
⸻
◇
⸻
しばらく、どちらも口を開かなかった。
⸻
風だけが静かに庭を渡っていく
⸻
◇
⸻
先に目を逸らしたのは、暁人だった。
⸻
『……お休みになられていないのですか』
⸻
いつもの落ち着いた声。
⸻
でもどこか、少しだけ苦しそうだった。
⸻
◇
⸻
「眠れなくて」
⸻
月乃は小さく答える。
⸻
本当は。
⸻
あなたに会いたかった。
⸻
そう言いたいのに、喉が詰まる。
⸻
◇
⸻
『明日は、お早いのでしょう』
⸻
「……ええ」
⸻
会話が途切れる。
⸻
以前なら、こんな沈黙は苦しくなかった。
⸻
でも今は。
⸻
互いに言えないことばかりが増えてしまった。
⸻
◇
⸻
月乃はそっと暁人を見る。
⸻
月明かりの下の横顔は、静かで。
⸻
いつも通りで。
⸻
だから余計に苦しかった。
⸻
◇
⸻
「……どうして避けるの」
⸻
気づけば、口にしていた。
⸻
暁人の肩がわずかに揺れる。
⸻
◇
⸻
『避けてなど』
⸻
「避けてるわ」
⸻
月乃の声が少し震える。
⸻
「最近、全然来てくれない」
⸻
「兄上のところへ行っても、会えなくて」
⸻
「ずっと、私だけ――」
⸻
そこまで言って、月乃は唇を噛む。
⸻
◇
⸻
暁人は答えない。
⸻
沈黙だけが落ちる。
⸻
その静けさが、逆に答えだった。
⸻
◇
⸻
『……姫様は』
⸻
低い声。
⸻
『もう、明日には入内なさるお方です』
⸻
その言葉に、胸が痛む。
⸻
またそれだ。
⸻
正しいことばかり言う。
⸻
でも、聞きたいのはそんなことじゃない。
⸻
◇
⸻
「そんな話をしているんじゃない……!」
⸻
月乃の声が初めて乱れる。
⸻
暁人が目を見開いた。
⸻
◇
⸻
「私は、ただ……」
⸻
言葉が震える。
⸻
止まれない。
⸻
「どうして、急に遠くへ行ってしまったのか知りたかっただけなのに……」
⸻
◇
⸻
月乃の目から、涙が落ちる。
暁人はしばらく動かなかった。
⸻
けれど。
⸻
次の瞬間、苦しそうに目を伏せる。
⸻
『……姫様』
⸻
低い声だった。
⸻
『どうか、お許しください』
⸻
「何を」
⸻
月乃は涙を拭うことも忘れて問い返す。
⸻
『私は』
⸻
言葉が途切れる。
⸻
今までなら飲み込めたはずの言葉だった。
⸻
『姫様が幸せになられることだけを願わなければならない』
⸻
『そう思っておりました』
⸻
月乃の胸が締めつけられる。
⸻
やっぱり。
⸻
また遠ざける。
⸻
◇
⸻
「それならどうして」
⸻
震える声が漏れる。
⸻
「どうして、あの時助けてくれたの」
⸻
「どうして琴を聴いてくれたの」
⸻
「どうして、そんな顔をするの」
⸻
暁人が息を呑む。
⸻
月乃はもう止まれなかった。
⸻
「そんな顔をするなら……」
⸻
涙がこぼれる。
⸻
「そんな顔をするなら、優しくしないで」
もう隠せなかった。
⸻
苦しい。
⸻
離れていくのが。
⸻
明日で終わってしまうのが。
⸻
◇
⸻
『……これ以上、お傍にいたら』
⸻
声がかすかに揺れる。
⸻
『離せなくなる』
⸻
◇
⸻
月乃の呼吸が止まる。
⸻
初めてだった。
⸻
暁人が、自分の感情を隠しきれなかったのは。
⸻
◇
⸻
静かな夜だった。
⸻
遠くで風が鳴っている。
⸻
なのに、胸の奥だけがやけに騒がしい。
⸻
◇
⸻
暁人は目を伏せたまま続ける。
⸻
『姫様は、東宮妃になられるお方です』
⸻
『私は、お傍にいて良い人間ではない』
⸻
言葉は冷静だった。
けれど、その冷静さの下で何かが必死に堪えられていた。
⸻
◇
⸻
月乃は涙を拭うことも忘れて、暁人を見る。
⸻
ずっと知りたかった。
⸻
どうして離れていくのか。
⸻
どうして、近づかないのか。
⸻
◇
⸻
「……そんなの」
⸻
声が震える。
⸻
「そんなの、今さらだわ」
⸻
◇
⸻
暁人がゆっくり顔を上げる。
⸻
月乃はもう止まれなかった。
⸻
「私は、入内が決まってから気づいたの」
⸻
「会えないだけで苦しくて」
⸻
「避けられるのが嫌で」
⸻
「ずっと、あなたのことばかり――」
⸻
言葉が途切れる。
⸻
喉が詰まる。
⸻
◇
⸻
「……好きだったの」
⸻
静かな声だった。
⸻
けれど、その一言で夜の空気が変わる。
⸻
◇
⸻
暁人の表情が揺れる。
⸻
息を飲み、
目を閉じる。
⸻
◇
⸻
『……遅いのです』
⸻
掠れた声。
⸻
責めてはいない。
ただ、それ以上どうにもならない痛みだけがあった。
⸻
◇
⸻
『私は、ずっと――』
⸻
そこで言葉が止まる。
⸻
暁人は一度、強く目を閉じる。
⸻
抑えていたものが、限界を越えかけていた。
⸻
◇
⸻
『……幼い頃から、お慕いしておりました』
⸻
◇
⸻
月乃の息が止まる。
⸻
ずっと欲しかった答え。
⸻
それなのに、今は苦しいだけだった。
⸻
◇
⸻
夜風が庭を渡る。
⸻
月明かりの下で、二人は動けないまま立っている。
⸻
言葉を重ねるほどに、
もう戻れない場所へ沈んでいくのが分かっていた。
⸻
◇
⸻
それでも今だけは。
⸻
隠せない。
⸻
引き返せない。
⸻
ただ、ここにある感情だけが本物だった。




