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めぐり逢う月と暁  作者: 我亦恋
前世編
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15/32

8 気づいてしまった恋

入内が決まってから数日。



 月乃の日常は変わった。



 作法。


 装束。


 和歌。



 覚えることが増えた。



 周囲は皆、忙しそうだった。



『姫様はこちらへ』


『次はこちらを』



 次から次へと言葉が飛ぶ。



 けれど月乃は、どこか上の空だった。





 琴の前に座る。



 ぽろん。



 音が鳴る。



 けれど、いつものようには響かなかった。



 指が止まる。



「……だめ」



 小さく呟く。



 蛍が心配そうに顔を上げた。



『姫様』



「なんだか変」



 自分でもうまく説明できない。



 胸の奥が落ち着かない。



 何かを忘れているような。



 何かを失うような。



 そんな気持ちだった。





 その日の帰り道。



 渡り廊下の向こうに見慣れた姿を見つける。



 暁人だった。



 胸が跳ねる。



 なぜだか分からない。



 でも気づけば足が動いていた。



「暁人!」



 呼ぶ。



 暁人が振り返った。



 一瞬だけ目が合う。



 そして。



 ほんのわずかに表情が揺れた。



 けれど次の瞬間には消えていた。



『月乃様』



 いつも通りの声。



 いつも通りのはずなのに。



 どこか遠い。





「聞いた?」



 月乃は言った。



『何をでしょう』



「入内」



 その言葉に。



 暁人の瞳がわずかに揺れる。



 けれど本当に一瞬だった。



 すぐに静かな表情へ戻る。



『はい』



 短い返事。



 月乃は少しだけ待った。



 何か言ってくれる気がしたから。



 でも。



 返ってきたのは。



『おめでとうございます』



 その一言だった。





 月乃は固まる。



 おめでとう。



 そう言われると思っていた。



 当たり前の言葉だ。



 姫としてなら。



 家の者としてなら。



 きっと正しい言葉なのだろう。



 なのに。



 胸が痛かった。



 どうして。



 どうしてそんなに苦しいのだろう。





「……そう」



 やっとそれだけ言う。



 暁人は静かに頭を下げた。



『東宮様のお側に上がられるのです』



 淡々とした声。



『きっと素晴らしい人生になられるでしょう』



 優しい声だった。



 けれど。



 なぜだろう。



 その言葉は、別れを告げられているように聞こえた。





 月乃の指先が小さく震える。



 違う。



 聞きたかったのはそんなことじゃない。



 でも。



 何を聞きたかったのか分からない。



 分からないのに。



 涙が出そうになる。




「……暁人は」



 思わず声がこぼれる。



 暁人が顔を上げた。



「暁人は、それでいいの?」



 言った瞬間、自分でも驚いた。



 何を聞いているのだろう。



 暁人も少しだけ目を見開く。



 けれど。



 返事はすぐだった。



『それが姫様の進まれる道です』



 静かな声。



 優しい声。



 そして残酷な声だった。





 月乃は俯く。



 胸が苦しい。



 どうしてこんなに苦しいのだろう。



 どうして。



 こんなに悲しいのだろう。



 その答えに気づいてしまったのは。



 暁人と別れた後だった。



 部屋へ戻り。



 一人になり。



 何度も思い出す。



 優しい声。



 琴を聴いてくれたこと。



 いつも隣にいてくれたこと。



 助けてくれたこと。



 笑ってくれたこと。



 その全部が愛おしかった。



 気づいた瞬間。



 月乃は顔を覆った。



「……あ」



 震える声が漏れる。



 ようやく分かってしまった。



 自分が何を失おうとしているのか。



 自分が誰を想っていたのか。



 そして。



 もう遅いのだということを。





それから。



 月乃は、自分がおかしくなったのだと思った。



 朝、目を覚ましても。


 昼を過ごしていても。


 夜、眠ろうとしても。



 気づけば暁人のことを考えている。



 宴で助けてくれた夜。



 そして。



 あの日の「おめでとうございます」。



 優しく微笑みながら。


 まるで何も思っていないように言った声。



 思い出すたび胸が痛んだ。



「……好き」



 誰もいない部屋で呟く。



 言葉にした瞬間。



 どうしようもなくなった。





 その日の琴の稽古。



 ぽろん。



 音が外れる。



「……違う」



 もう一度。



 ぽろん。



 また違う。



 指は覚えている。



 なのに音が繋がらない。



 月乃は唇を噛んだ。



 以前なら。



 琴を弾けば落ち着いた。



 音に触れている時間が好きだった。



 でも今は。



 琴に向かうたび思い出してしまう。



 ――好きな音ですから。



 あの日の声を。



 ――きっと素晴らしい人生になられるでしょう。



 あの日の声を。





 ぽろん。



 不揃いな音が落ちる。



 月乃は手を止めた。



 そして。



 静かに琴から離れる。



「……会いたい」



 思わず零れた言葉に、自分で驚く。



 会ってどうするのかも分からない。



 何を話したいのかも分からない。



 それでも。



 会いたかった。





 けれど。



 その願いを口にすることはなかった。



 姫として。



 右大臣家の娘として。



 そんなことを望んではいけない気がしたから。





 月乃は琴に背を向ける。



「……弾きたくない」



 初めてだった。



 自分から琴を遠ざけたのは。



 蛍は何も言わない。



 ただ少しだけ悲しそうな目で月乃を見ていた。

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