表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
めぐり逢う月と暁  作者: 我亦恋
前世編
PR
14/32

7 決まった未来

内裏へ上がる日が来た。



 まだ朝だというのに、屋敷の中はどこか慌ただしい。



 月乃は鏡の前に座りながら、小さく息を吐いた。



「やっぱり緊張する……」



『大丈夫ですよ』



 蛍が髪を整えながら笑う。



『宴の時も同じことをおっしゃっていました』



「だって、内裏だよ?」



 思わず振り返る。



「失敗したらどうしよう」



『姫様』



 蛍は少し呆れたように目を細めた。



『その言葉も宴の時に聞きました』



「う……」



 反論できない。



 蛍はくすりと笑った。



『大丈夫ですよ』



 その声に少しだけ肩の力が抜ける。





 出発の前。



 月乃は廊下で朝臣と顔を合わせた。



『随分緊張している顔だな』



「兄上まで」



 月乃はむっとする。



『そんな顔をしなくても大丈夫だ』



 朝臣は笑った。



『お前の琴は誰が聞いても見事だ』



「……そうかな」



『そうだ』



 迷いのない返事だった。



 少しだけ安心する。



 すると朝臣は、ふと視線を横へ向けた。



 その先にいたのは暁人だった。



『暁人』



『はい』



『月乃が途中で逃げ出さないよう見張っておけ』



「兄上!」



 思わず抗議すると、朝臣が声を立てて笑う。



 珍しいことだった。



『冗談だ』



 そう言いながら、少しだけ安心したような顔をしている。



 月乃は不思議に思ったが、それ以上は聞かなかった。





 内裏は広かった。



 想像していた以上に。



 高い柱。


 磨かれた床。


 行き交う人々。



 どこを見ても、別世界のようだった。



 月乃は少しだけ息を呑む。



『姫様』



 低い声が聞こえた。



 振り返る。



 暁人だった。



『大丈夫です』



 短い言葉。



 それだけだったのに。



 不思議と心が落ち着いた。



「……うん」



 月乃は小さく頷く。



 そして前を向いた。





 琴の音は静かに広がっていった。



 広い空間へ。


 高い天井へ。



 まるで空へ溶けていくように。



 月乃はただ夢中で弾いた。



 誰かのためではなく。



 けれど。



 ふと視線を上げた瞬間。



 人垣の向こうに、見慣れた姿が見えた気がした。



 暁人。



 その姿を見つけた瞬間。



 自然と指の力が抜ける。



 音が柔らかく流れた。





 演奏が終わる。



 しばらくの静寂。



 そして。



 宴の時よりも大きな賞賛の声が上がった。



「見事だ」



「噂に違わぬ腕前だな」



「これほどの音色とは」



 月乃は頭を下げる。



 何が起きているのか、まだよく分からない。



 ただ。



 周囲を見る人々の目が、以前とは違っていた。





 その帰りだった。



 女房たちの声が耳に入る。



『東宮様も大変お喜びだったとか』



『あのお歳であの琴ですもの』



『右大臣家の姫君ですし……』



 ひそひそとした声。



 月乃が近づくと、慌てて口を閉じる。



 最近よく見る反応だった。



「……また」



 思わず呟く。



 みんな何かを知っている。



 でも。



 自分だけが知らない。





 屋敷へ戻る途中。



 月乃はそっと暁人を見上げた。



「ねえ」



『はい』



「何かあった?」



 暁人の足がわずかに止まる。



 ほんの一瞬。



 けれど月乃は見逃さなかった。



『……何も』



 静かな声。



 いつも通りの返事。



 なのに。



 なぜだろう。



 その言葉が、少しだけ遠く感じた。



 胸の奥に、小さな不安が落ちる。



 まだ名前のない不安だった。






内裏での演奏から数日が過ぎた。



 屋敷は相変わらず慌ただしい。



 けれど、月乃だけが何も知らされていない気がした。



 父上も忙しい。


 兄上も忙しい。



 蛍に尋ねても、どこか言葉を濁される。



「最近、みんな変」



 ぽつりと呟くと、蛍は少し困ったように笑った。



『姫様は気になさらず』



「そう言われると余計に気になる」



 月乃が頬を膨らませる。



 蛍は何も答えなかった。





 その日。



 父上に呼ばれた月乃は、廊下を歩いていた。



 ふと足を止める。



 部屋の中から声が聞こえたからだ。



 聞くつもりはなかった。



 けれど。



 自分の名前が聞こえた。



『東宮様からのお話です』



 兄上の声だった。



『断ることはできません』



 月乃の胸が、どくりと鳴る。



『分かっている』



 父上の低い声。



『月乃には私から伝えよう』



 その意味が分からない。



 分からないはずなのに。



 なぜか胸の奥がざわついた。





 しばらくして。



 月乃は部屋へ通された。



 父上の向かいには兄上もいる。



 いつもと違う空気だった。



『座りなさい』



 月乃は言われるまま座る。



 嫌な予感がした。



『月乃』



『はい』



 父上は少しだけ間を置いた。



『東宮様より、お前に入内のお話があった』



 一瞬、言葉の意味が分からない。



『……入内?』



 思わず聞き返す。



『そうだ』



 父上は静かに頷いた。



『正式に決まった』



 頭の中が真っ白になる。



 決まった。



 その言葉だけが何度も響く。



 まだ何も言っていない。



 頷いてもいない。



 それなのに。



 もう決まったのだと分かった。





『月乃』



 父上の声が聞こえる。



『お前は右大臣家の姫だ』



 静かな声だった。



『これは家にとって大切なお役目でもある』



 月乃は黙って聞いていた。



 返事ができない。



 兄上も何も言わない。



 ただ静かに座っている。



 それが余計に現実だった。



『まだ時間はある』



 父上が言う。



『入内までに必要なことを学びなさい』



『……はい』



 ようやく声が出た。



 それだけだった。





 部屋を出る。



 廊下を歩く。



 どこをどう歩いたのか、自分でもよく分からなかった。



 気づけば庭が見える場所に立っていた。



 風が吹く。



 なのに胸の奥だけが重い。



(どうして)



 おかしい。



 姫として育てられてきた。



 いつかそういう日が来ることも知っていた。



 なのに。



 どうしてこんなに苦しいのだろう。





 ふと、一人の顔が浮かぶ。



 暁人。



 なぜだろう。



 父上でもない。


 兄上でもない。


 蛍でもない。



 一番に思い浮かんだのは、あの人だった。



 暁人なら何と言うだろう。



 そんなことを考えている自分に気づいて、月乃は小さく首を振る。



 それでも。



 胸の奥に浮かぶ顔は消えてくれなかった。



 まるで。



 何か大切なものを失いかけているように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ