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めぐり逢う月と暁  作者: 我亦恋
前世編
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13/32

6 高まる評判

廊下は静かだった。


 宴のざわめきは、もう遠い。


 灯りだけが、ゆらゆらと二人の影を揺らしている。


◇


 月乃は何度か口を開きかけて、やめた。


(……ありがとう)


 本当は最初に言うつもりだった。


 けれど。


 うまく言葉にならない。


「暁人」


「はい」


 すぐに返る声。


 それだけで、少し安心する。


「……さっきの人、怖かった」


 思わず本音が零れた。


 暁人は少しだけ黙る。


「……申し訳ありません」


「だから、暁人が謝ることじゃないって」


 月乃は首を振った。


 もしあのままだったら。


 そう考えるだけで、胸がざわつく。


「ですが、あの者を姫様に近づけてしまったのは事実です」


 静かな声だった。


 月乃は思わず顔を上げる。


「でも」


 言葉を探す。


 そして。


「来てくれた」


 それが一番しっくりきた。


 暁人は何も言わない。


 けれど、その沈黙は、否定には思えなかった。


 しばらく二人で歩く。


 夜風が冷たい。


 それなのに、さっきまでの怖さは、もうほとんど残っていなかった。


 胸の奥に残っているのは。


(来てくれた)


 ただ、その事実だけ。


 何度も思い返してしまう。


 どうしてなのかは、自分でもよく分からない。


 月乃は小さく息を吐いた。


「……暁人」


「……はい」


 今度は、返事が少し遅かった。


 けれど、ちゃんと返ってくる。


「ありがとう」


 ようやく言えた。


 暁人は答えない。


 ただ。


 その横顔が、いつもより柔らかく見えた気がした。


 気のせいだったのかもしれない。


 それでも月乃は、遠くなった宴の音を背に、足取りが軽くなるのを感じていた。


◇


 月乃はまだ知らなかった。


 あの夜の琴が、思っていた以上に人々の心へ残っていたことを。


 宴が終わってから、屋敷の空気が少し変わった。


 最初に気づいたのは蛍だった。


「最近、お客様が増えましたね」


「そう?」


 月乃は首を傾げる。


 確かに、父上のもとを訪れる貴族は増えた気がする。


 けれど、それが何を意味するのかまでは分からなかった。


◇


 ある日のことだった。


 琴の稽古を終えた月乃は、父上に呼ばれた。


 珍しいことだった。


「月乃」


 父上は穏やかな表情をしている。


「先日の宴での演奏、見事だった」


「ありがとうございます」


 月乃は頭を下げた。


 褒められるのは嬉しい。


 けれど、それだけでは終わらなかった。


「内裏で琴を披露してほしいとの話が来ている」


「……え?」


 思わず顔を上げる。


 内裏。


 帝がおわす場所。


 自分とは遠い世界だと思っていた。


「都でも評判になっているそうだ」


 父上の声は静かだった。


 だが、その目は満足そうだった。


 部屋へ戻っても、実感は湧かなかった。


「内裏……」


 呟く。


 蛍が少し笑った。


「姫様らしいですね」


「だって急すぎるもの」


 月乃は膝を抱える。


 ただ琴を弾いていただけだ。


 好きだから。


 聴いてほしい人がいたから。


 それだけだったのに。


 いつの間にか、自分の知らないところまで話が広がっている。


◇


 その数日後。


 廊下を歩いていると、女房たちの声が聞こえた。


「やはり東宮様の――」


「まだ決まった話では……」


 ひそひそとした声。


 月乃が近づくと、慌てて口を閉じる。


「何の話?」


「いえ、その……」


 誰も答えない。


 かえって気になる。


 その日の夜。


 月乃は蛍に尋ねた。


「最近、みんな変じゃない?」


 蛍は困ったように笑う。


「変、ですか」


「何か隠してる」


 蛍はしばらく黙った。


 そして、静かに言う。


「姫様の評判が高まっているのです」


「評判?」


「宴での琴もございますし……」


 そこで一度、言葉を切る。


「姫様は、とても良いご縁に恵まれるだろうと」


「ご縁?」


 意味が分からず、首を傾げる。


 蛍はそれ以上、説明しなかった。


 けれど。


 その表情だけが、少し寂しそうに見えた。

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