5 宴の夜
それから数日が過ぎた。
会えば言葉は交わす。
けれど。
どこか一歩離れたまま。
月乃には、その理由が分からなかった。
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◇
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『姫様』
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ある日の朝。
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蛍が部屋へ入ってくる。
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『本日の宴の支度を』
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「もうそんな日?」
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月乃は思わず顔を上げた。
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右大臣家で開かれる大きな宴。
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都から多くの貴族が集まる。
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そして。
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月乃はそこで琴を披露することになっていた。
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「緊張する……」
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『今さらですか』
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蛍が小さく笑う。
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月乃は唇を尖らせた。
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「だって失敗したら恥ずかしいし」
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『姫様が失敗する姿は想像できません』
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「そうかな?」
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そんなやり取りをしながらも。
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月乃の心は別のことを考えていた。
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(暁人もいるのかな)
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そう思った自分に気づいて、
月乃は慌てて視線を逸らした。
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やがて宴の刻が訪れた。
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◇
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右大臣家の宴は、華やかだった。
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笑い声。
酒の香。
琴の音。
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その中で、月乃は琴を弾いていた。
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指はいつも通り動くはずなのに、どこか落ち着かない。
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(暁人)
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気づけば、そのことばかり考えている。
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来ているのか。
どこにいるのか。
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音の向こうを探してしまう。
琴の音が、最後の一音で静かに消えた。
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余韻が、広間に残る。
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そして次の瞬間。
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拍手が起こった。
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「見事なものだ」
「噂に違わぬ腕前だ」
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称賛の声が広がる。
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月乃は琴から手を離し、静かに頭を下げた。
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「ありがとうございます」
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その声は落ち着いているはずなのに、どこか遠い。
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しばらくして、人の輪が少しずつ緩んだ頃。
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「いやはや、先ほどの琴は素晴らしかった」
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酔った男が近づいてくる。
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身分は低くない。
だからこそ、周囲も止めない。
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「さすが右大臣家の姫君」
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距離が近い。
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月乃は一歩、下がろうとする。
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その瞬間だった。
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「……失礼いたします」
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静かな声。
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次の瞬間、男と月乃の間に影が入る。
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◇
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「誰だ!」
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男が振り向く。
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そこにいたのは暁人だった。
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表情は変わらない。
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ただ、視線だけが少し冷えている。
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『姫様に御用でしょうか』
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静かな声。
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「何の真似だ、貴様」
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男が苛立つ。
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暁人は一瞬だけ視線を落とし、それから言った。
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『姫様、朝臣様がお呼びです』
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ぴたりと空気が止まる。
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◇
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月乃は瞬きをする。
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「兄上が?」
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暁人は一度だけ頷く。
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『至急とのことでしたので』
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嘘。
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でも、誰もそれを即座には否定できない。
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◇
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「待て、まだ話は──」
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男が言いかけた瞬間。
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暁人は静かに一歩だけ近づく。
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圧ではない。
ただ“終わり”の距離だった。
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『朝臣様をお待たせするわけには参りませんので』
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その一言で、場が切り替わる。
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男は言葉を飲み込んだ。
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◇
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暁人はそのまま月乃の横へ。
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少しだけ距離を取って、歩き出す。
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「……暁人」
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月乃が小さく呼ぶ。
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『はい』
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「兄上、本当に?」
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一瞬。
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暁人の足がわずかに止まる。
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そして、静かに答える。
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『……お呼びかどうかは、後ほどご確認ください』
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それは答えになっていない答えだった。
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◇
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月乃はその横顔を見る。
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胸の奥が、少しだけ騒がしい。
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(兄上呼んでない、よね)
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でも同時に。
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(でも、来た)
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その事実だけが、はっきり残った。
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◇
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暁人は何も言わず、月乃を宴の外へ導く。
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背後ではまだ、宴の音が続いている。
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けれどもう、月乃には遠かった。
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