4 会えない日々
暁人は、来なかった。
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それが“たまたま”ではないことを、月乃も少しずつ分かり始めていた。
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◇
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琴の音は今日も庭へ落ちていく。
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ぽろん。
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『姫様……少し、間が』
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蛍の声に、月乃は指を止めた。
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「うん……」
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自分でも分かっている。
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最近、音が安定しない。
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理由も分かっている。
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視線が。
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何度も御簾の向こうを探してしまうからだ。
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けれど今日も、そこには誰もいない。
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「……忙しいのかな」
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誰に言うでもなく呟く。
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蛍は答えなかった。
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ただ静かに目を伏せる。
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その沈黙が、少しだけ胸に引っかかった。
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◇
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日が落ちる。
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琴を置いても、月乃はしばらくその場を動かなかった。
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風が庭を渡っていく。
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冬の気配を含んだ冷たい風。
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ふと。
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どこかで人の気配がした気がした。
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思わず顔を上げる。
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けれど誰もいない。
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気のせいだったのかもしれない。
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それでも。
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胸の奥が少しだけ痛んだ。
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「……来ないね」
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ぽつりと零れた声は、風にさらわれる。
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返事はない。
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ただ。
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なぜだろう。
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会えない日が続くたびに。
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その人のことばかり考えてしまう。
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暁人が姿を見せなくなってから、数日が過ぎていた。
それでも月乃は、御簾の向こうを見てしまう。
今日こそ来るかもしれないと。
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◇
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「姫様?」
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蛍が不思議そうに首を傾げる。
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月乃は庭を見たまま、小さく息を吐いた。
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「……兄上のところへ行こうかな」
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『朝臣様の?』
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「うん」
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そう言って立ち上がる。
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理由は自分でもよく分からなかった。
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兄に用事があるわけではない。
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けれど。
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もしかしたら。
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そんな期待だけが胸の奥にあった。
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◇
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朝臣のいる部屋へ向かう。
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廊下を歩くたび、心臓が少しずつ騒がしくなる。
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何を期待しているのだろう。
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自分でも分からない。
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それなのに足は止まらなかった。
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◇
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『月乃?』
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朝臣が顔を上げる。
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机の上には書物が広げられていた。
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「兄上」
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月乃は部屋の中を見回す。
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――いない。
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少しだけ肩の力が抜けた。
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『どうした』
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「別に」
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即座に答える。
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すると朝臣がじっとこちらを見た。
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その視線が妙に居心地悪い。
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『暁人なら、先ほどまでいたぞ』
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月乃の肩がぴくりと揺れる。
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『探していたのか?』
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「違う!」
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思ったより大きな声が出た。
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朝臣が吹き出す。
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『そうか』
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絶対に信じていない顔だった。
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「本当に違うから!」
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『分かった分かった』
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全然分かっていない。
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月乃はむっと頬を膨らませた。
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その時だった。
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廊下の向こうに、人影が見えた。
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見慣れた姿。
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胸が、どくりと鳴る。
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「……暁人」
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思わず声が漏れた。
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暁人もこちらに気づく。
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一瞬だけ。
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本当に一瞬だけ、足が止まった。
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けれど。
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『朝臣様』
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そう言って部屋へ入り、
月乃ではなく朝臣へ頭を下げる。
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いつも通りの態度。
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何も変わらないはずなのに。
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なぜだろう。
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少しだけ遠く感じた。
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『失礼します』
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用件だけを伝えると、
暁人はすぐに立ち去ろうとする。
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「暁人」
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呼び止める。
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暁人の足が止まる。
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けれど振り返らない。
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「最近、忙しいの?」
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ようやく出た言葉だった。
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『少々』
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短い返事。
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それだけだった。
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『では』
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再び歩き出す背中を見つめる。
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追いかければいいのに。
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なぜか、それができなかった。
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◇
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『泣きそうな顔をするな』
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不意に朝臣の声が落ちる。
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「してない」
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月乃はすぐに否定した。
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でも。
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胸の奥が少しだけ痛かった。
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会えれば嬉しいと思った。
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なのに。
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会ってしまったら、もっと会いたくなった。
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