第八話 逃れえぬ渦
慶応3年12月11日――。出流天狗が動いた。
竹内が浪士隊の主だった者たちを集めた。
「栃木陣屋に軍資金調達に向かわせた者たちが戻らない。幕府軍も近くまで来ているとの報せも入っている。この者たちのために支援隊を派遣する。望む者は挙手願いたい!」
栃木陣屋は、栃木宿のある栃木町を管轄する足利藩の出張陣屋である。数日前、5人の浪士たちが軍資金調達のためにここへ赴いていた。一方で前日10日、鉄砲隊750人を含む約1,000人の幕府討伐軍が、鍋山村から南南西約4里(16km)の日光例幣使街道・天明宿(現・栃木県佐野市)に入っていた。
「参ります!」
一人勢いよく手を挙げる男がいた。周囲にどよめきが起こる。男は、大谷国次といった。
大谷は、上州の侠客・国定忠治の実子である。7歳の時に忠治が刑死すると出流山千手院に預けられて僧となり、千乗と名乗った。その後、この度の出流山での騒乱が勃発。千手院本堂の前で竹内が読み上げた誓文に感銘を受けて還俗し、浪士隊に加わっていた。
「よかろう。お主は剣も使える。任せたぞ」
竹内の言葉に意気揚々とする大谷であったが、ふと、貞之進とともにその場にあった平馬に視線を送った。
「お前も来い!」
突然の声がけに虚を突かれる平馬。
「たかだか17両程度のはした金を調達した程度で、お前の疑いが晴れた訳ではない。仲間のために命を賭してみろ!」
「『たかだか17両』とは聞き捨てならないな」
平馬が口にしようとした言葉。それを貞之進が言い放った。
「金の価値の分からぬ愚か者め! このご時世、その金でどれくらいの命を救えると思っている!」
貞之進の言葉に憤慨する大谷。刀の柄に手を置いた。
「それまで!」
声が響いた。竹内が声を張った。
「この場での諍いは無用! 国次、控えろ! お前では戸田殿には勝てぬ」
心酔する竹内の言葉を受けて、大谷は口惜しさを残しつつ引いた。
「しかし、国次の申すことも至極当然。その命、我らのために投げ出してもらいたい」
竹内が言い終えると、隣の貞之進が平馬の袖を引いて、小さく告げた。
「今はお受けなされ」
「……承知いたした」
平馬は貞之進に促されるまま申出を受けた。その後人選が進み、総勢9名の応援隊が編成され、時を置かずして栃木陣屋へ進発した。
縦列をなして陣屋への街道を進む一行。平馬はその最後尾について歩を進めた。目の前を歩く大谷が、時折振り返りながら厳しい視線を向ける。
(まさかここで斬りかかってくることはないだろうが……)
そう思いながらも、大谷の動きに気を配りながら歩を進める。栃木町に入ると道端に立つ三度笠を被った人影が平馬の視界に入った。
(また、お前か……)
清四郎に対して生まれつつある疑念。平馬は気づかぬふりをして素通りした。まさかの行動に驚いた清四郎は、平馬を追った。しばらくすると平馬は足を止めた。そして、振り返るや否や刀を抜き、刃先を清四郎に向けた。
「どうした!」
前を行く大谷が強い口調で尋ねた。
「何でもありません。しつこく付きまとう輩がいる故、この場で追い払います。先に行ってください」
大谷は合点が行かぬ表情のまま歩を進めた。
「どういうことだ?」
清四郎が小声で尋ねた。平馬が目で合図を送ると、先行する大谷たちの姿が見えなくなったことを確認した清四郎が顎をしゃくった。二人は街道を外れて建屋の路地に入った。
「こんな時に何だ! 俺は疑われている。俺を陥れるような動きはしないでくれ!」
「……すまない」
平馬の剣幕に気圧された清四郎は、言い返すことなく頭を下げた。その姿を見て、ふと我に返る平馬。
(清四郎は連絡役の勤め中で俺を助けてくれていたじゃないか……)
息を吐き、努めて落ち着きを取り戻そうとする平馬に、清四郎が声を掛けた。
「栃木陣屋に資金調達に行くらしいな」
「どうしてそれを?」
「傍から見て、この物々しさ。誰だって分かるだろう」
「……だとしても、なぜ目的まで?」
清四郎は平馬の問いに答えることなく続けた。
「幕府軍が天明に入ったとの報せを受けて、神谷様からお前の身を守るために兵を出すとの早馬があった。野州各地に潜伏させていた兵に集結の指示が出ている。幕府軍が迫ったら北に向かって合流しろ」
「……分かった。でも早いな」
「当たり前だ。神谷様はお前の身を最優先に考えて配下に命令を出されているんだ」
清四郎の出方を探る意図での問いかけであったが、清四郎は何らよどみなく答えを返してきた。
(気のせい……なのか?)
「……先に行った連中を追わなければ。すまない」
足早に先を進む平馬。その背中を見送った清四郎は、平馬が来た道を戻っていった。
しばらくすると、平馬の視界に大谷たち応援隊の姿が入った。大谷たちは陣屋へ通じる東西に延びた街道を東へ向かい、栃木町を南北に流れる巴波川に架かる念仏橋の上にあった。念仏橋を渡ると栃木町の西木戸がある。木戸の門は固く閉ざされていた。
応援隊の一人が開門を願い出る。ゆっくりと門が開かれた。
(何とか追いついた!)
平馬が念仏橋に差し掛かった時だった。応援隊が木戸の門をくぐった途端、突如門が閉められた。異変を感じた平馬は駆け出した。
「開門! 開門願いたい!」
平馬は門を叩きながら、木戸の外で叫んだ。しかし、何の反応もない。すると門の中から銃声が響いた。同時に鬨の声が起こる。銃声、叫び、刀が交差する音が入り交じり、木戸の向こう側から響く。
「ご開門ください!」
必死に開門を願う平馬。門を叩く手にさらに力が入る。そのとき、木戸の両脇から鉄砲を手にした兵が現れた。これに気づいた平馬は、すぐさま渡ってきた橋に向かって走り出した。銃声が響く。平馬は前のめりに飛び込み、その勢いの中で身体を回転させると、うつ伏せの状態で木戸に目をやった。
(このままでは彼らが……)
そう思いながらも身動きできない平馬。辺りが次第に暗くなってきた中で、鉄砲隊の数も何も分からないまま闇雲に出れば命を落とす。木戸の向こうから響く戦闘の気配は、激しさを増しつつあった。
と、その時。木戸の門が開いた。銃声が響く中、橋を架け渡る者があった。
「お前はそこで何をしている!」
これまで聞いたこともないような怒号が平馬に飛ぶ。一人陣屋内での戦闘を脱した大谷がうつ伏せの平馬の横を駆け抜けていった。それに続く人影はない。平馬は素早く身を起こし、大谷の後を追った。
前を走る大谷は、街道の脇につながれた馬を見掛けると、馬をつないだ紐を刀で切り、素早く飛び乗って駆け出して行った。平馬も馬を見つけると、同じようにこれに跨って栃木町を後にしていった。
(あいつは、わざと俺を足止めしたのか――)
(いったい、なぜ――)
疾風のごとく駆ける馬の上、信頼と疑念が入り乱れる中、平馬は自問自答を重ねていた。




