第六話 信と情の間
慶応3年12月5日。あの日から四日――。
時は過ぎたはずなのに、平馬の中では何一つ終わっていなかった。
年の瀬を迎え、野州・鍋山村に木枯らしが吹きすさぶ中、明るい声が弾む。
「今日もよろしくお願いします。平馬さん!」
数名の若者たちが平馬のところへ駆け寄ってくる。数日前から、平馬が剣の達人であるとの噂が広まった。それを聞きつけた若者たちが、平馬に剣術の指南を受けるようになっていた。
あの時、清四郎から衝撃の事実を伝えられた日から――。
「……冗談を言うな!」
「冗談でこんなことを言えると思うか!?」
平馬と清四郎、二人の顔は紅潮していた。
「いつのことだ!?」
「数日前のことらしい。俺も、昨日届いた神谷様の手紙で知らされた」
両手の拳を握りしめ、肩を震わせる平馬。にわかに駆け出そうとすると、清四郎が声を張った。
「どうする気だ!」
「会津に戻る!」
人前で口にしてはならない言葉が自然と平馬の口から放たれた。清四郎もこれを咎めることなく続けた。
「お役目はどうする!?」
「お役目なんてどうでもいい!」
言い放つ平馬に駆け寄り、清四郎は平馬の両肩を掴んだ。
「神谷様からの手紙……これまで見たことのない筆致だった。神谷様も動揺されている。しかし、こうも書いてあった。『私事によってお役目を蔑ろにはできない』と。実の父上が堪えているのに、お前が感情的になってお役目を放り出して出どうする!?」
目を充血させ、歯を食いしばる平馬。
「母君のことも考えろ!」
清四郎の言葉に、平馬の赤い目は厳しさを増した。平馬は、両肩を強く握る清四郎の両手を振りほどくと、かみ殺すように口を開いた。
「……承知……した」
言い残した平馬は、ゆっくりと宿所の方へと歩き去っていった。無言で見送る清四郎の元に近づく人影。
「おいおい、置いてきぼりか?」
店の中から出てきた男が呆れるように言い放った。貞之進である。貞之進は清四郎の肩に軽く手を置いた。振り向く清四郎。貞之進と清四郎の視線が合うと、清四郎は深々と頭を下げてその場を去っていった。
「やれやれ……」
清四郎の後ろ姿を見つめながら、貞之進の口から小言が漏れ響いた。
目の前で木刀を振る若者たちをぼんやりと眺める平馬。その脳裏にお雪の顔が浮かぶ。泣きじゃくる姿ではない。ただ、あの強い瞳が、耐えて耐えて、涙を見せまいとする、その姿。
(……俺は、いったい何をしている。何のためにここにいる)
「平馬さん、どうですか?」
心ここにあらずの平馬に、若者の一人が声を掛けた。
「……いいぞ……その調子だ」
「本当ですか? なんか上の空って感じでしたよ?」
「ほんの数日で見違えた。お前たち、筋がいいぞ」
平馬の言葉に若者たちの顔に笑顔が広がる。彼らは、これまで以上に木刀を振り込んでいった。今にして思えば、そんな彼らの姿が平馬の心の救いだったのかもしれない。
一通り稽古が終わると、平馬は若者たちに尋ねた。
「なぜ浪士隊に加わった?」
若者の一人が答えた。
「百姓は百姓。このままでは俺たちは野垂れ死にです。どうせ死ぬなら、自分のしたいことをする。それだけです。俺たちは馬鹿だから、国のこととかよく分かりません。心に従っただけです」
「それでいいのか?」
平馬は冷たく質した。
「もちろん! 自分でやりたいと思ったことをやるのですから」
「……そうだな」
平馬に自然と笑みがこぼれた。
「じゃぁ、もう少しお願いします!」
屈託のない若者たちの声に背中を押されるように感じた平馬が立ち上がろうとした時だった。
「渡辺殿。竹内様がお呼びだ」
突然の呼び出し。平馬に緊張が走る。平馬は、使いの者と共に竹内の元へと向かった。
竹内のほか会沢ら数名の男たちが陣取る中、竹内の前に通される平馬。貞之進の姿はなかった。竹内が口を開いた。
「お主を会津の間者と疑う者が少なくない」
この場でのわずかな素振りが命を落とすことになる――。平馬は微動だにせずその言葉を聞いた。
「そこで、我らへの忠誠を示すために、お主に一仕事お願いしたい」
「いかなる事でしょうか?」
「我らも今や150を超える大所帯となり、軍資金が乏しくなった。勤王の志を果たすためには、金が必要だ。とは言え、ここ鍋山や周辺の村々での調達は困難。お主は、もう少し足を延ばして軍資金を調達してきてもらいたい」
3年前の元治元年(1864年)、水戸天狗党の焼き討ちを受けて町の大半を焼失していた栃木宿をはじめ、その周辺の村々では、住民たちの警戒もあって、軍資金の調達が芳しくなかった。
軍資金の調達といえば聞こえはいいが、その実は金品の強奪、略奪――。
(ならぬことはならぬ――)
幼き頃の教えである『什の掟』が心に響く。窮するとはいえ会津武士の心を失ったわけではない。逡巡する平馬。一方で、別の考えがよぎった。
(この機に乗じて――)
口を開こうとしない平馬に、竹内の傍らに控える男が口を開いた。
「血判の連判状は偽りか?」
男たちの身体がわずかに動く。その動きを目で追う平馬。そして、竹内に視線を移すとゆっくりと口を開いた。
「かしこまりました」
立ち上がって歩き出した平馬の背中を竹内の言葉が刺す。
「変な気は起こすなよ」
足を止める平馬。
「……会津武士は卑怯なことはしない」
平馬は歩を進めた。




