第五話 渦の底へ
その夜――。
鍋山村の名主が用意した家々に宿割りがなされた浪士たち。商家の一室を割り当てられた平馬は、一人部屋の窓からぼんやりと眺めていた。人影がまばらによぎる。そこに、足音が近づく。わずかに身構える平馬。
「……戸田殿」
気付いた平馬が声を掛けると、貞之進はわずかに口元を緩めた。
「相部屋、よろしいかな?」
首を縦に振る平馬に促されるように部屋に入った貞之進は、ゆっくりと腰を下ろした。
「こんな山間の小さな村。これだけの浪士の宿を手配するのも難儀しただろうな」
呟く貞之進。すると、平馬は貞之進の前に正座をして改まった。
「私のせいで血判まで押させてしまい……申し訳ございません」
頭を下げる平馬に向かって、貞之進は穏やかな口調で返した。
「そうでもしないと収まらなかったのだろう」
頭を上げる平馬。貞之進と目が合うと、貞之進は頬を緩めた。
「もしや、口裏が?」
「どうかな。ただ、大義だけ振りかざしても駄目で、上に立つ者はすべてを受け入れる度量を示すことも必要……というところか」
足を崩した平馬が、呆れたように続いた。
「まったく、いったいあなたは何者なのですか?」
「ただの浪士風情さ」
一拍置いて、部屋には二人の笑い声が響いた。にわかに平馬の表情が硬くなる。
「ただ、仰っていたことは本当です。会津の末端の窮乏は、目に余るものがある。ただ、徳川への手前、藩はそのような話が外に伝え漏れないよう気を遣っています。よくよく考えると、可笑しいまでの……」
「やせ我慢か」
貞之進の言葉に、再び平馬の口元が緩む。
「宇都宮とて同じ。農村の窮乏は甚だしい。素性を偽って、ここに集まった者にも宇都宮の者も多数混ざっているだろうさ」
そこに突如、大きな複数の足音が響く。二人が視線を向けると、刀を持った複数の男が部屋の中に押し入ってきた。
「天狗め!」
一人が叫んだ。
「おいおい、今日から仲間だぞ」
ため息をついた貞之進が、穏やかに返した。その態度が、かえって男たちを煽った。
「黙れ! お前たち天狗のせいで、俺たちは散々な目にあった!」
「栃木の者か」
元治元年(1864年)に水戸天狗党によって起こされた騒乱――。その一部隊が栃木宿で金品の強奪・放火・殺戮を働き、一晩で200を超える家屋が焼失するという惨劇となった。
刀を抜く男たち。
「ろくに刀を扱ったこともないのだろう? やめておけ」
見るからに町人風の男たちに、貞之進は諭すように語った。
「うるさい!」
刀を構える男たち。畳の上に置いていた刀に手を掛けようとする平馬だったが、貞之進は片手でこれを制した。しばしの間睨み合う、腰を下ろしたままの貞之進とこれを立ったまま見下ろす男たち。
一人が刀を振り上げた――。その刹那、貞之進は素早く立ち上がり、男が刀を振り上げた右肘を両手ですりあげて懐に入ると、素早く右の拳で男の鳩尾に当身を入れる。男はそのまま前のめりで突っ伏した。
(今の動き!)
驚愕する平馬の視線の先で声にならない苦悶の声を絞り出す男。
「大事の前だ。これ以上我らに構うな」
残りの男たちの表情に浮かぶ驚きと恐怖。彼らは、四つん這いになった男の両脇を抱えると、逃げるようにその場を後にしていった。
「どうも昼間から妙な視線を感じていたが、案の定これだ」
何事もなかったように涼しい顔でその場に座り込む貞之進。
「今の動き……まさか大東流では?」
平馬が口にすると、戸田は鋭い視線を平馬に向けた。それも束の間、戸田は穏やかに口を開いた。
「なるほど、大東流というのか」
大東流合気柔術――。会津藩の上級武士にのみ極秘裏に教授された門外不出の武術である。
「軽輩の某は、とある縁で大東流の手ほどきを受けることができましたが、宇都宮藩のあなたがどうして?」
厳しい視線を向ける平馬。これをかわすように、貞之進は平然と続けた。
「かつて会津を放浪した際に、武術家体の老人からほんのさわりばかし手ほどきを受けたことがあってな。こんなに上手く懐に入って当身ができるとは、俺自身も驚きだ」
厳しい視線を向けたまま口をつぐむ平馬。これを意に返すことなく貞之進が続けた。
「ここから少し行ったところに小さな飯屋があった。どうだ、飯でも?」
貞之進の言葉に、平馬は我に返ったように首を縦に振り、背を向けて歩き出した貞之進に続いて立ち上がった。
(あの動き……一朝一夕で身に付くものではない……)
貞之進の斜め後ろを歩きながら思考を巡らす平馬。その視界に飯屋が入ると同時に、入口に立つ旅人体の人影に気づいた。
(清四郎……?)
藩との連絡役の村岡清四郎である。清四郎は、平馬に気づくとわずかに顎をしゃくった。
店に入り、窓際の席に腰を下ろす平馬。その窓の外、板壁を隔てた先に清四郎がもたれかかる。
「すまん、厠に行ってくる」
一度腰を下ろした貞之進が席を外した。貞之進が遠ざかるのを目で追う平馬。
「いつ来た?」
「ついさっきだ」
平馬と清四郎の、壁を挟んだ小声でのやり取りが始まった。
「潜り込んだ早々に大変だったな」
「……ああ」
(どうしてそれを?)
わずかに怪訝さを表情に示す平馬であったが、清四郎には分からない。清四郎は続けた。
「……奴らの数と目的は?」
「今のところ150ほどだ。この地で騒ぎを起こすのが目的らしい。おそらく会津に向かうことはないだろう」
「各所で事を起こして幕府の力を分散させ、手薄の江戸を狙う、か……」
「今、何と言った?」
わずかに語気が強まる平馬。思わず疑問が口を突いた。清四郎が間髪入れず口を開く。
「気を付けろ」
「……すまない」
平馬の言葉を最後に、表の清四郎の気配が消えた。立ち上がる平馬。清四郎を追った。
「どうした?」
厠から戻る貞之進の言葉に答えることなく、平馬は店の外へ駆け出した。と、目の前に立つ清四郎。平馬に背を向けたまま動かない。
「お前は何を知っているんだ!?」
努めて声を押さえる平馬。しかし、そこには驚きのほかに焦りや怖れに似た感情が含まれていた。しばらく動かなかった清四郎だったが、ゆっくりと平馬の方に振り返った。
「伝えまいと思っていたが、やはりお前には伝えなければならない」
「何をだ!?」
平馬の言葉は怒気を含んでいた。二人の間に付与の冷たい風が吹き抜ける。
「柚羽殿が辱めを受けた……」
「……!!」




