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第四話 思惑の渦へ

「会津の間者だ!」

 12月1日夕刻――。怒号が響くと、連判状への署名を終えた平馬を遠巻きに輪ができる。

 慶応3年11月27日夕刻、栃木宿に入った浪士たちは、翌日には出流山の南東約1里10町(5km)の鍋山村に移動。そして翌朝、出流山千手院満願寺に参拝した一部の浪士たちは、高らかに誓文を読み上げた。

 討幕――。

 その後、別行動をとっていた浪士たちが各地で集めた同志と共に、鍋山村に集結していた。

 周囲を囲む者たちをなぞるように、視線を移す平馬。平馬の目に映る者たちのほとんどは、武士ではなく、そのほとんどが町民、農民、無宿者の格好をしていた。

 輪の一部がほどけ、そこから2人の男が近づく。

「会津じゃっど?」

 初老の男が薩摩訛りで尋ねた。

「いかにも。会津浪人、渡辺平馬。檄文の趣意に賛同してここに参った!」

 平馬が言い放つと初老の男は右手を上げた。すると周囲の者たちが武器を構える。一方で微動だにせず、泰然とする平馬。もう一人の男が口を開いた。

「この中で顔色一つ変えず、大したものだ」

「あなたは?」

(それがし)は、この『官軍先鋒薩州糾合方隊』を統べる竹内啓(たけのうちひらく)と申す。そしてこの者が副長の薩州浪人・会沢元輔」

 竹内は会沢を左手で制しながら続けた。

「我らの目的は討幕。幕府の犬である会津藩士を間者ではないと信じることの方が無理であろう」

 言い終えると、竹内はゆっくりと刀を抜いた。それに合わせて、周囲の男たちの武器を握る手に力がこもる。

(何もなさぬまま、終わる……)

 平馬に緊張が走る。脳裏に浮かぶ母と柚羽の面影。その時だった。

「待たれよ!」

 一人の男が輪の中から前に出た。

「お主は?」

「野州宇都宮浪人、戸田貞之進」

 一同の視線が戸田に向いた。輪の中から小さく男の名を呟く声が聞こえる。

「もしや宇都宮天狗? 戸田殿の?」

 周囲がにわかにざわめいた。

「左様、某は宇都宮天狗の生き残り。なれど、これを率いた戸田弾正とは同姓なれど、縁もゆかりもない」

 宇都宮天狗とは、かつて宇都宮藩に結成された勤王急進派である。この宇都宮天狗を率いたのが戸田弾正、もとの名を戸田次郎といった。宇都宮天狗は、元治元年(1864年)に起こった天狗党の乱に参加。宇都宮天狗の多くは幕府との戦いで命を落とし、戸田弾正は捕らえられて処刑された。

 戸田貞之進は続けた。

「確かに、薩摩と会津の関係を見れば、竹内殿の言葉はごもっとも。しかし、某は天狗党の騒乱の後、会津をはじめ諸国を流浪し、この目で見た。会津も一枚岩ではない、ということを」

「……いかなることか?」

 竹内は怪訝(けげん)そうに尋ねた。

「会津の農民や下級藩士は貧困にあえいでいる。会津公は、領国の疲弊を顧みることなく幕府に尻尾を振り、京都守護職を拝命するという愚挙を犯した。この者のように会津を見限る者も枚挙に暇がない」

 言い放った貞之進は、平馬に視線を移した。

(この者、どうして会津のことを……?)

 平馬は努めて平静を装い、わずかに首を縦に振った。これを見た竹内が口を開いた。

「なるほど。しかし、それをもって間者ではないことの証にはならない。お主のように勤王の志の篤さを示したわけでもない」

 竹内啓は、武蔵国入間郡竹内村(現在の埼玉県坂戸市)の医師。竹内は理詰めで攻めた。

「『人ニ上下ノ分アリ、君臣ノ別アリト雖、皆是、皇国ノ民ニシテ、皇事ニ一身ヲ砕クハ固ヨリ厭フベキニアラズ』。ここでこの者を除けば、この誓文は偽りということにもなろう」

 貞之進は語気を強めた。

「……いかにも。誓文に嘘偽りはない。……よかろう。その者を同志として受け入れよう」

 言い終えた竹内が会沢に視線を移すと、会沢も首を縦に振った。

「ただし、渡辺殿と戸田殿には、特別に血判を差し出していただく。さらに、その誓いを行動で示していただく。よろしいか?」

 竹内の指示で起請文が運ばれる。平馬と貞之進はこれに署名をすると、刀の鯉口を切ってわずかに親指を斬り、起請文に血判を押した。

「皆の者、お騒がせした! 連判状への署名を続けてくれたまえ!」

 言い残すと竹内は会沢と共にその場を後にし、これを機に平馬たちを取り巻いていた輪が霧散した。これを見届けた平馬は、貞之進に向かって頭を下げた。

「ご助力いただき、ありがとうございました」

「所詮は食い詰めどもが集まっただけの烏合の衆。大義が崩れれば立ち行かなくなる。そこを突いたまでのこと」

 頬を緩めた貞之進であったが、離れたところから厳しい視線を投げつける一団に気づくと、その表情はにわかに厳しくなった。

「どうやら、そなたばかりでなく、某も快く思われていないようだな」

 自嘲気味に話す貞之進に、平馬は苦笑いを浮かべた。


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