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第三話 静かなる布石

 野州今市宿――若松城下から約32里(125km)離れた下野街道(会津西街道)の終点にある宿場町であり、この当時、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠21軒、宿内の家数236軒、人口1,594人を数える賑わいを見せていた。

 慶応3年11月26日、この地の旅籠の二階に平馬の姿があった。通りを眺める平馬。大政奉還の影響であろうか。宿場の雑踏は、心なしか普段とは異なる気配を漂わせていた。そこに部屋の襖戸を叩く音が響く。

「月」

 平馬が発すると襖の奥から言葉が返される。

「水」

 平馬は立ち上がると、ゆっくりと襖を開けた。そこには、見慣れた顔があった。

「連絡役はお前だったのか」

 抑揚なく発せられた平馬の言葉に、男は鼻で笑うような素振りを見せた。平馬はゆっくりとした仕草で清四郎を部屋の中に誘った。部屋の中には、近隣の風景を描いた絵が、所々に散らばっていた。

「剣や学問だけでなく、絵の才能もあったのか」

「今市で待てとの沙汰の後、二十日以上もすることがなければ、こうもなる」

 清四郎の皮肉めいた問いかけに、平馬は吐き捨てるように返した。

「絵師……。髭も適度に伸びて、潜入するにはちょうどいいんじゃないか?」

 鋭い視線をわずかに清四郎に向ける平馬。

「で、何だ?」

 ぶっきら棒な平馬の問いに対し、清四郎は懐から書状を取り出して平馬の前に広げた。

「今日、栃木宿にこの先触れが届いた。明日、薩摩が放った浪士たちが栃木に入る。目的は出流山千手院……」

 出流山千手院(満願寺)――対馬藩の飛地である出流山(現・栃木県栃木市)にある天平神護元年(765年)に開山したと伝えられる真言宗智山派の寺院である。出流川の源流部のうっそうとした自然林や、杉木立に覆われた渓間に位置していた。

「奴らはそこで挙兵を?」

 清四郎は小さく頷いた。これを見た平馬の口元が緩んだ。

「では、俺の役目は終わったな。神谷様の指示は、浪士たちの目的を探ることだからな」

 言い終えた平馬の顔にわずかに寂しさが漂う。

「勘違いするな。挙兵はあくまでも手段だ。挙兵の目的を探るのがお目の役目だ」

「だとしても、俺は用無しだろう」

 (いぶか)しむ清四郎に、平馬は続けた。

「今日栃木に届いた先触れが今ここにあるということは、神谷様はもっと早い段階でこのことを掴んでいたということだ。そこまでの網を張っているのであれば、俺がわざわざ潜入することもないだろう」

 平馬の言葉を聞いた清四郎が頭をかき始めた。

「お前は神谷様を分かっていない。それじゃ柚羽殿を娶った後、苦労するぞ」

 今度は平馬が訝しんだ。

「確かに神谷様の情報網はすごい。関八州の動きが、遅くとも翌日には手元に届くように密偵を配置しているとの噂だ。だが、それだけじゃない。神谷様は情報の重要性を理解されている。お前も聞いているだろう? 何故、神谷様が剣の道を捨てたかを」

「ああ」

 神谷左京は、若かりし頃、会津でも一、二を争う剣豪として名を馳せていた。しかし、ある事件での怪我により剣を捨てた。

 当時、若松城下で盗賊による被害が頻発していた。これを重く見た会津藩は剣豪名高い神谷に盗賊の追捕を命じた。ある日、神谷の元に報せがもたらされた。

 盗賊の首領が一人旅籠で泥酔している――と。

 旅籠へ駆ける神谷。罠――。待ち構える大勢の盗賊たち。神谷は奮戦し虎口を脱するも深手を負った。二度と剣を振るえないほどの……。

「神谷様は、もたらされた情報について必ず裏を取られる。お前の潜入は、密偵からもたらされた情報が真に正しいか否かを確認することが目的。それほどまでに重要な役目だ」

 返す言葉のない平馬を見る清四郎の口元が緩む。

「ごちゃごちゃ言っていると、これを渡さないぞ」

 清四郎は懐からもう一つの書状を取り出し、平馬の前に置いた。これを手にし、差出人を見た平馬の顔色がみるみるうちに変わっていった。

「神谷様が俺を使いに出す際、柚羽殿に一筆(したた)めさせて俺に持たせたんだ。神谷様はお前のことをとても気にかけておられる。あの晩お前に告げた言葉に偽りはないはず。お前は、その想いに応えなければならない立場だぞ」

 頷く平馬に清四郎は続けた。

「神谷様の話では、浪士たちは江戸を出た後に二手に分かれたとのことだ。一方は明日栃木に入り、もう一方は各地で同志を募りながら遅れて合流するらしい。お前は、この後栃木に向かい、募集に応じたふりをして出流山に入れ。……俺はこの地を拠点にして連絡役をしながらお前を支援する」

 平馬が首を縦にすると銭の入った巾着袋を置いて清四郎は立ち上がった。そして、部屋を出ようとしたときに足を止めて振り返った。

「俺は神谷様への報告と新たな指示をもらうために会津に戻る。頼んだぞ、絵描きの()()()()

 平馬は、笑みを浮かべながら右手で(ほこり)を払うような仕草を示した。

 清四郎を見送った平馬は、再び往来を眺めようと歩を進めた。通りを見下ろす平馬は、にこやかに手を振る清四郎に気づいた。これを見た清四郎が会津に向かって(きびす)を返す。その後を追うように、小さな子供たちが駆け回っている。そこには、世上の混とんとは無縁の日常が広がっていた。

「……お役目を終えたら、柚羽と私塾でもやるか……無事に戻れれば……」

 呟いた平馬は、故郷とは異なる、澄んだ青空を見上げた。

 そんな平馬を、清四郎は遠くから見つめていた。


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