第十二話 策謀の渦
平馬の目の前に横たわる清四郎。衣服は紅に染まっていた。
「これでお主も終わりだ。あまつさえ我らに嘘の情報を流し、そして今、会津藩士を殺めた。私の娘婿を、な」
表情を変えることなく淡々と口にした神谷。目の前に横たわる清四郎を見下ろしながら、冷ややかに続けた。
「とは言え、こんな小者を一時たりとも婿と呼んだのが誤りであった。柚羽には相応の婿を娶らせよう。どうかな戸田殿? 我らの今後の友誼の証として……」
口元に笑みを浮かべながら、神谷が貞之進に話を振った。一尾始終を見つめいていた貞之進が呆れた口調で返した。
「さて……。それより痴話話は終わりましたか? 某にもお役目がありますので」
確かに斬ったのは自分自身だった。しかし、策を弄した『仲間』が目の前で命を落としたはず。このことを意に掛けようともしない二人のやり取りに平馬の怒りが沸騰した。
「人の命を何だと思っているんだ! 柚羽はあなたの道具ではないぞ!」
激昂する平馬であったが、神谷には届かなかった。
「自分の心配をしたらどうだ? お主は知りすぎた」
抑揚なく神谷が話し終えると、銃を構える会津兵の指に力が入る。平馬は再び刀を構えた。そして、今にも飛び掛からんとして腰を落とした。
「いいように使われた挙句に口を封じられるのであれば、人を謀り、矜持を汚した者たちと刺し違えるまで!」
周囲を沈黙が包む。平馬の足が地面を擦る小さな音のみが漂う。
その時だった――。
「それでは困るのだよ」
口にしながら貞之進が平馬の前に歩みでた。刹那、平馬の背中に寒気が走る。覚えのある感覚――。
(……あの時の!?)
同時に会津兵が神谷の周囲を囲み、銃口を向けた。
「何をしておる! 咎人はあ奴だ!」
突然変わった立場。状況を呑み込めず狼狽する神谷。
「観念なされよ。貴殿の会津藩への裏切りは露見した」
「……お主はまさか! 噂は……真だったのか!?」
神谷の怯えた声。それ以上に諦めを含んでいた。
「貴殿は我が藩を危機に陥れようとした。藩に戻ったら厳罰が待っていると心得よ」
言い終えた貞之進がわずかに顎をしゃくると、会津兵は神谷を馬から引き下ろし、素早く縄をかけて神谷を連れて歩き出した。
「お主は誰の差し金だ! 私を誰だと思っている! 私は……」
冷静さを絵にかいたような男の仮面が剥がれ、見境がなくなった叫びが虚しく響いた。
「あの時、頼母様の庵の前ですれ違ったのはあなたでしたか」
神谷を見送る貞之進に平馬が声を掛けた。貞之進がゆっくりと振り返った。
「俺の本当の名は武田総一郎。神谷が言っていた藩主直属の影の部隊の者だ。この部隊は容保様と筆頭家老の頼母様のみがこれを動かせる」
「武田……大東流の!?」
「俺は大東流の傍流として本家・武田家の影に徹してきた。言ったであろう。大東流は会津で学んだと。そして西郷……頼母様から指示されたと」
(あの時から既に始まっていた?)
「すべて頼母様の筋書きということですか?」
「ご家老や頼母様は、神谷の不穏な動きを掴んでいた。表立って動くことができないご家老に代わり、謹慎中の頼母様が密かに策を練られ、実行に移した。容保様と反目したとはいえ、会津を想う心を失ったわけではないからな」
平馬は貞之進に対峙し刀を構えた。
「私は泳がされていたということですか?」
これを見た会津兵が銃や槍を構える。貞之進が手でこれを制して、静かに口を開いた。
「よせ。お前は俺の足元にも及ばない。残された母君とお前の想い人のことを考えろ。今なら会津の危機を救った褒美として、俺の力で罪を軽くできる」
落ち着いた口調で話す貞之進。そこには一つの隙も無かった。足元にも及ばない。そうであろう。
しかし――。
平馬は持っていた刀を貞之進に投げつける。貞之進はわずかに身体を動かして難なくこれを交わした。そのわずかな動きの中で平馬は素早く踏み込み、貞之進の右腕を取りに行った。
しかし――。
気付いた時には、平馬は地面の上に仰向けに横たわっていた。さらに、貞之進が平馬の右の手首と肘を完全に極めていた。
「お前の師である頼母様とて、影の大東流にとっては赤子も同然。ましてお前ごときなど」
息が上がることなく落ち着いて語る貞之進に対して、これを見上げながら平馬は言い放った。
「ここまで手の込んだことをする意味はあるのですか!? さっさと神谷様を召し捕ればよかった! そうすれば清四郎だって……柚羽だって!」
平馬の目にみるみるうちに涙があふれる。
「事はそう簡単ではない。藩の情報を一手に握る神谷は、いわば会津を裏から牛耳れる存在。その情報網がどこまで張られているか明らかでない以上、会津領内ではこちらの動きが知られてしまうかもしれない。それゆえ一度奴を藩の外に出す必要があったのだ」
平馬に言葉を返せなかった。否、返せる言葉がなかった。藩の末端に生きる平馬と陰ながら藩の中枢にある貞之進。見ているもの、考えていること、すべてが違っていた。
「これで頼母様も藩政に返り咲くことができる……」
言い終えた貞之進は、極めていた平馬の右腕を放した。平馬は、すばやく距離をとって立ち上がった。
「そんなことなど……」
痺れて感覚のない右腕。平馬には左の拳を握りしめることしかできなかった。
「理由は何にせよ、お前は同じ会津藩士を殺めた。また、知らなかったとは言え、神谷の謀反にわずかなりとも加担した。これらを見過ごすわけにはいかぬ。だが、今回のお前の功績に免じて、悪いようにはしない。おとなしく言う通りにしろ」
貞之進は、会津兵に目で合図を送った。何ら抵抗することなく縄をかけられる平馬。
「あの3人のことは心配するな。百姓ごときに人手をかけるつもりはない」
言い終えた貞之進と平馬の横を戸板に載せられて清四郎の亡骸が通り過ぎようとする。
「口は禍の元……か。舞い上がってあのようなことを申しおって……。愚か者め」
貞之進が冷たくつぶやいた。そこに伝令が駆け寄る。
「武装した一団がこちらに向かって参ります。おそらく幕府の討伐軍かと」
幕府は、鍋山村の浪士隊の退路を断って殲滅するために、周辺に部隊を配置。思川の北方、鹿沼宿方面にも一部の部隊を派遣していた。
「面倒は避ける。急ぎ出立だ!」
貞之進の号令とともに歩き出す会津兵。その最後尾で平馬は清四郎に視線を落とした。
(俺も柚羽と一緒になれると思ってこのお役目を引き受けた……。一歩違えば俺がお前になっていたのかもしれない……。策謀の渦の中で……)
平馬は、故郷へと歩みを進めた。
夜が明けた。青空には、真っ白な雲が渦を巻いていた。
その渦が、どこへ向かっているのかは――
まだ誰にも分からなかった。




