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第十話 反転する渦

 ついにこの地を離れる――。

 必ず、この渦の核心を突き止める――。

 平馬の胸中に、これまでにない強い想いが宿る。

「よろしいのですか?」

 歩きながら平馬が貞之進に尋ねた。

「構わん。命あっての物種だ。正直、天子様が治める新たな世を見るまでは死ねん」

「そうですね」

「どうした? 顔つきが変わったぞ。何か吹っ切れたような。やっと勤王に目覚めたか?」

「どうでしょう……」

 平馬は穏やかに微笑んだ。そして続けた。

「ただ、今になって気づきました」

「何に?」

 足を止めた平馬は、額の血を拭うとゆっくりと話し出した。

「自分の視野がどれほど狭かったかと。会津という狭い世界の中で、藩に与えられた教えに従い忠実に生きてきました。それが唯一正しいものとして……。でも違った。世間は広い。様々な考え方や価値観が入り乱れている。その中で何を信じればいいか、どうすればいいか。それが分かったような気がします」

「それは?」

「己の心です。今、自分が何をしたいのか、どうしたいのか。これに向き合ったことで答えが出ました」

 言い切った平馬の顔は、これまでの焦りが嘘のように消え失せ、晴れやかなものだった。

「答えとは?」

「簡単なことです。生きたい。死にたくない。それだけのことです」

「面倒な奴だな」

 貞之進の頬が緩んだ。

「頭でっかちと言ってください」

 屈託なく笑う二人。再び貞之進が尋ねた。

「で、どうする?」

「ひとまず北へ向かい、粟野村へ出ます。その後は周囲の状況を見定めながら鹿沼へ向かいます」

「それで、連れていく連中は?」

「……お任せください」

 しばらく歩くと、平馬は村はずれの藁屋根の一軒家へと足を運ぶ。すると、その手前で貞之進が突如として足を止めた。

「すまん。竹内殿に伝え忘れたことがあった。子細は後で教えてくれ」

 その場を足早に去る貞之進の姿を見送ると、平馬はおもむろに引き戸を開けて家の中へと入っていった。中では3名ほどの百姓(てい)の若者たちが行燈(あんどん)の暗がりの中、囲炉裏を囲んで横になっている。

「喜助はいるか?」

「平馬さん……ですか? 無事だったのですね」

 喜色満面の笑顔で平馬のもとに歩み寄った喜助は、平馬の額に目をやった。

「どうしたんですか?」

「……少し目が覚めただけだ」

 言葉の意味をさっぱり理解できない、といった体の喜助であったが、明るい声を張った。

「明日からまた剣術の稽古をお願いします!」

 そんな喜助に向かい、薄明かりの中で平馬がゆっくりと告げた。

「悠長なことは言っていられない。今すぐここを出るぞ」

 (いぶか)しがる喜助たちに、暗がりの中でもそうと分かるほどの厳しい顔で平馬が続けた。

「幕府の討伐軍が近くまで来ている」

 その言葉に喜助たちの顔が一気に強張った。生活の困窮から浪士隊に加わった。そこに確固たる信念があったわけではない。百姓の喜助たちにとって、幕府の討伐軍の到来は死を意味している。恐怖が彼らの心を支配した。

「大丈夫だ。お前たちは死なせない」

 平馬の言葉を聞いた喜助たちの顔にわずかな安堵がひろがる。それを見た平馬が尋ねた。

「お前たち、字は読めるか?」

「平仮名なら何とか……」

 喜助が二人の顔を見ると、それぞれが頷いた。

「ちょっと待っていろ」

 言い残した平馬は、家の外へと駆け出していった。

 しばらく後――。

 息を切らせた平馬が再び喜助たちの元へとやってきた。その手には、小さな布包みが握られていた。

「誰か来たか?」

 首を振る喜助。周囲の気配を探ると、平馬は布包みを開き、紙と筆を取り出した。平馬が鍋山村に来る際に持参していたものである。平馬は、二枚の紙に文字を書き始めた。

(これで……何かが動くはずだ)

 書き終えるとそれらを小さく畳み込み、一方に点を付して喜助に手渡した。

「印のない方は誰かに尋ねられたら、そのまま渡せ。だが、印のある方は誰にも見せるな。そして、俺が合図するまで、決して中を見るな」

 喜助の顔に緊張が走る。喜助はゆっくりと首を縦に振った。荷物をまとめた喜助たちは、平馬とともに家の外へ出た。そこに、示し合わせたかのように貞之進が歩み寄ってきた。

「遅くなった」

「……申し訳ございません。宿に刀を忘れました。少し待っていてください」

 間髪入れずに言葉を返した平馬は、すぐさま駆け出していった。

 しばらく後――。

 再び息を気切らして戻ってきた平馬が合流し、一行は歩き出した。東に向かって……。

「北ではないのか……?」

 貞之進が尋ねると平馬は答えた。

「例幣使街道を今市に向かいます。金崎宿を越えて思川さえ渡ってしまえば、後はいかようにも道は選べます」

「なるほど。万一に備えて、ということだったか」

 言い終えた貞之進は先陣を切って歩き出した。その背後で平馬は、貞之進に気づかれぬように喜助の耳元で囁くように尋ねた。

「誰かに尋ねられたか?」

「…………」

 喜助の答えを聞いた平馬の口元がわずかに緩んだ。

 平馬は、真っ暗な東の空を見つめながら歩を進めた。


 この夜、浪士隊も鍋山村を離れた。

 竹内は浪士隊を二手に分けた。一部の浪士たちを陽動のために出流山へ向かわせる一方で、竹内たち本隊は山路を通って南下した。

 その後――。

 12月12日、出流山へ向かった陽動部隊は、討伐軍により殲滅される。

 翌13日には、竹内ら本隊も討伐軍本隊の待ち伏せにあって壊滅。副長の会沢は戦死し、隊長の竹内や大谷らも捕縛され、後日刑場の露と消えた。多くの浪士たちも戦死、捕縛の道を辿った。

 わずか二週間余り――、出流山の騒乱は終わることになる。



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