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「クロヴィス様と何を話した?」
クロヴィスが見えなくなり真っ先にジェイクに聞かれたのはそれだった。
「次に会えるのが楽しみですと話しただけです。」
何となく私は『妖精令嬢』の事をあえて言わなかった。それは、彼との大切な宝物のような想い出にしたかったからかもしれない。
優しいエメラルドのような緑色の瞳は私の心に焼き付き、きっともう忘れられないだろう…。
彼の側に私は居てはいけない。
『取り替えっ子令嬢』なんて嘲笑われているような自分じゃダメだ。
「そうか…。屋敷に帰ったらゆっくりと休むといい。疲れただろう?無理をしないでしばらく過ごして欲しい。それから結婚相手は探してみようと思っているよ…。」
私の意思を無視するような言葉をジェイクは平然と当然のように繰り出す。
それは、クロヴィスにそう言われたからするんだ。
できれば酷くない扱いをしてくれる貴族を見繕ってもらえたら助かるけれど。
ジェイクの『結婚相手』という言葉がとても白々しく冷たく思えるくらい、私はクロヴィスの瞳の虜になっていた。
彼と一緒に居られたらなと思いながらも、別の男と結婚しなくてはいけないのだ。
それが、貴族としての役割りなのだから。
今まで放棄していたことをしっかりとこなさなくてはいけない。
クロヴィスには軽蔑なんてされたくはないから。
「はい…。」
私はようやく返事をしたが、内心では苦しくて仕方がなかった。
その日の夜、私はうなされた。
なぜか私は生まれた時からの記憶がおぼろ気ではあったが残っている。
私が生まれ落ちて上げた産声を聞きながら父親は舌打ち混じりに呟いた。
「女なんて役立たずだ…。お前は男なんて生めないだろう。この屋敷に帰る必要もないな。」
そう母親をなじったのだ。
その言葉の通り必要以上に帰ってこなくなった。恐らく愛人のところに通いつめていたのだろう。
けれど、貴族としての役割りを果たすときだけは不愉快そうに会いには来てくれた。
私は父親の事が大嫌いだ。
身勝手で傲慢で、母親に男が生めないと決めつけたが本当のところは愛人と自分との息子に爵位を継がせたかったのだろう。
じゃなければ、ジェイクが私よりも先に生まれるわけがない。
最初からそのつもりだったのだ。
父親は最低最悪の人間だが貴族としての役割りを果たしているのだから、私よりもずっとマシだ。
母親に関してはあまり記憶がない。
少なくとも彼女からは愛情をかけて貰ったと思う。
お茶会で私が蔑まれた時は明らかに腹をたて苦情を言いに行こうとした覚えがあった。
それは父親に『本当の事だ。やめろ。見苦しい。』と言われて止められたけれど。
それから数年して彼女は亡くなった。
「わたしは誰よりも貴女の幸せを願ってるわ…。」
そう言い残して。
その言葉はきっといつか叶うかもしれない。
その時はなぜかそんな気がした。
今はそんな希望すらない。あるのは、じわじわと息の根を止めるような絶望だ。
私は死ぬまで蔑まれて生きていかなくてはいけない。
人の情けにすがり付きながら…。
「…。」
私は頬に貼り付く髪の毛を剥がしながら起き上がった。
「はぁ。」
小さくため息をついたのは幸せを期待して何度も裏切られたからだ。
なぜ、幸せを期待してしまうのだろう。
クロヴィスが下級の貴族か一般市民だったら私は迷わずその手を取れるのに…。
暗い気持ちで私は自分の身支度を整えた。
侯爵家の令嬢が本来ならするべき事ではないのに、他人からの蔑まれる視線を感じるよりも手を掛けてもらえないこの孤独を飼い慣らす方が私にとっては幸せなのだ。
「シンジュ。また、身支度を自分でととのえたね。」
ジェイクと朝食をとりながら彼は困ったように言うけれど、私はやめるつもりはなかった。
それは向こうもよくわかっているはずだ。
使用人の態度もわかっていても諫めないのは、私の事が嫌いだから。
それを、直接的に言ってこないだけ彼は大人だ。
そして、周囲にも私の悪評を一切流さないところや、優しく接してくれる部分はできた人間だと思う。
私はきっと彼のような事はできないと思う。
ジェイクが私に優しいのは自分が愛人の息子だという立場をよく理解しているからだ。
本来なら彼が私の立場になる事をよくわかっているのだろう。
「そうだ。シエルが来週辺りにこちらに来ると話していた。」
ジェイクが突然そんな事を言うから単純に遊びに来るだけだと私は思った。
だけど、いままで屋敷に来たこともなかったのに…。
不思議で仕方なかった。
「え?」
「シンジュと話してみたいと。」
パーティーで久しぶりに話したせいか、少しだけ私に興味を持ったのかもしれない。
だけど、なぜ?
二年前は『友人の妹』程度の興味しか持っていなかったではないか…。
もしも、気になる存在だったらその時から手紙のやり取りをしていたはずだ。
「そう、なんですか。私なんかと。」
「そんな事言わないでくれ…。」
思わず出てしまった言葉にジェイクは温かい視線を向けてやんわりと注意した。
「ごめんなさい。」
「彼は優しいよ。友人の俺はそう思ってる。家格は少し劣るし、経済状態はあまりよくないけれど少し援助すればなんとかなると思う。」
つまり、私の婚約者候補に名乗りを上げたいという事なのだろう。
私の持参金は遣われずにとってあるから…。
これは、あの日の帰り道でジェイクに教えられた。
ちなみに、母親は私に莫大な持参金を遺してこの世を旅立った。
恐らくその出所は曾祖母の遺産だろう。
持参金がなければ私が結婚するのに苦労すると思ってしてくれた事かもしれない。
「…。」
「悪くはない話じゃないだろう?」
ジェイクは、どこか嬉しそうに私の顔を見た。
だけど、それは私にとってはとても嘘臭く思えた。
「っ…。」
ブチブチと髪の毛が引き抜ける痛みに私は顔をしかめた。
あれから、一週間経って今日はシエルが屋敷に訪れる日だった。
自分で身支度を整えようとしたところで、使用人のマリーに捕まりなかば無理矢理に身支度を整えられていた。
一応彼女は私の侍女になっているが、していることの殆どは兄の身の回りの世話だ。
今、髪の毛を整えられているが、私の髪の毛は真っ直ぐで硬く櫛がすんなりと通るはずなのに、こんなにも髪の毛を抜かれるのはわざとやっているのだろう。
出会った時から彼女は私の事を嫌っている。
なぜか、わからないけれど。
同年代だし仲良くしてもらうつもりで男爵家の三女を雇ったらしいが、その意図にあまり意味はなかった。
だけど、私が絡まなければ彼女は働き者なので解雇することもなく雇い続けている。
つまりそういう事だ。
私なんかよりも使用人のマリーの方がこの家には有益な存在なんだ。
「痛いです。」
「動くからですよ。」
私の弱々しい抗議は冷たく吐き捨てるようにはね除けられた。
けれど、私は指一本動かしていない。
「この前も勝手に自分で身支度を整えてパーティーに行きましたよね?あの後、わたしは散々怒られたんですよ?」
鏡越しに睨み付けるマリーの形相は、曾祖母の国に居るらしい『鬼』という恐ろしい存在のようだ。
マリーはメリハリのある身体つきをした金髪青目の美人だけれど、その表情で全てが台無しだ。
彼女は私があの時に逃げ回ったような物言いだが、実際には存在すら忘れられていた。ジェイクの準備ばかりに皆手をかけていたのだ。
父親は同じだというのにこんなにも私の扱いは酷かった。
恐らくその日、私が好きな髪形をしていたせいで兄はそれに気がついたのだろう。
何も言わなかったのはこれ以上何か言ったら、私が堪えてしまうと思ったのかもしれない。
表面上は優しい異母兄かもしれない。彼の代になってから私は比較的に自由にさせてもらっていた。
「ほら、整いましたよ。」
そう言って鏡に映っていたのは幼い顔をしているのに、胸元の開いた生意気で派手な赤色のワンピースを着て、無理に結い上げられた髪の毛が何もかもがちぐはぐな私の姿だった。
どこから、こんなワンピースを引っ張り出して来たのだろうか?
ハッキリ言って最悪な気分だ。
子供が無理をして大人の姿をしようとしているようで。とても愚かしくて滑稽だ。
この格好は私よりもマリーの方が似合いそうだ。彼女がしたらどこかのお姫様のように見えると思う。
でも、怖いけど私はマリーの事は嫌いじゃない。
もしかしたら、この格好はわざとさせたのかもしれない。
私はとことん嫌われているんだな。
そんな事をぼんやりと考えていた。