第九十二話 リリフレイアの騎士見習い
前回までのあらすじ!
人斬り侍がハルピア族を仲間にしたぞ!
柔肌に食い込む犬歯をわずかに動かし、稀少の血流を口内へと招き入れる。
「ん……」
リリィが小さくうめき、おれの肩をつかむ手に力を込めた。
肩の肉が拉げて骨が軋み、激痛が走る。
女性体とはいえ銀竜だ。力は並外れている。だが、仮に骨を砕かれたとてさしたる問題はない。
たとえ心の臓を握りつぶされようとも、死とは縁遠いのだ。この血を飲む限りにおいては。
一口、二口。飲み下してから顔を離し、唇に付着したエリクシルを指先で拭って、最後に舌で舐めとった。
「痛えか?」
「何度も言っていますが、噛まれたくらいでは痛くはありません」
「さっきうめいてたじゃねえか」
「そ、それは……だって……」
頬どころか顔全体。首から指先に至るまで桜色に染めたリリィがおれに背中を向け、ずらしていた赤の懸衣を肩に羽織り直した。
その仕草がなんとも艶っぽい。まともな死に方もできそうにねえ身としては、手ぇ出すつもりはねえが……こうして眺める分にはいいものだ。
木漏れ日の森だった。
ハイエルフどもの迷いの森のように、鬱蒼と茂った深い森ではない。枯れ葉が敷き詰められた地面から空を見上げりゃ、緑の隙間から暖かな日差しが下りてきている。
鳥の鳴き声、獣の息吹、小川のせせらぎ。
木の実は豊富で、その気になりゃ鳥や獣を捕まえて食うことも難しくはない。腹が減って下りたのだが、なんとも居心地の良い森だった。
拗ねたような表情でリリィが呟く。
「……格好つけてティルスにエリクシルをあげちゃうから足りなくなるんですよ」
「悪ィ。嫌な思いをさせちまったなァ」
リリィが魔法で編み出した革袋から果物を取り出し、おれに一つ差し出してきた。
「嫌ではありません。痛くないのも本当ですから」
おれはそいつを受け取って齧り付く。
残念ながらカレーンゴとかいう代物じゃあない。形状は同じだが、色は黄色。食ってみりゃ味は不思議と米だ。
つくづく、レアルガルドってのぁ妙ちくりんな国だ。
ま、この味も懐かしくて悪かねえが。
「オキタのほうこそ抵抗があったのでは?」
「まあ、多少な」
黑竜病に冒された身だ。背に腹は代えられねえとはいえ、人から――ヒトじゃあねえが、リリィから直接血を吸うなんざ、蚊にでもなっちまった気分だ。
「……だから唇でいいと言ったではありませんか」
「阿呆。そんなことのために接吻なんぞできるか」
リリィが少しうなって黙り込む。
少しの沈黙。木々の隙間を縫って流れる風が心地良い。
やがてリリィは、若干青ざめた神妙な顔つきで銀色の長髪を少し傾けた。
「もしかしてオキタはわたしのことがお嫌いですか?」
「そうでもねえ」
おれはあくびをして後頭部で手を組み、枯れ葉の上に身を横たえた。枯れ葉から伝わる地面がひんやりとしていて気持ちいい。
「なかなかに惚れてる」
「……そ……うですか……?」
「おお」
考える素振りを見せた後、リリィが訝しげな顔で問いかけてきた。
「ああ、あれでしょう? なんか馬鹿力が男前だから戦力的に惚れてるとか、男同士の友情っぽい感じの。それとも殴り合った後には友情が生まれるんだぜー的な?」
なんだそりゃ……。
「違う。――膝」
「膝? オキタは膝が好きなのですか? お尻ばかり見ているからてっきり――」
見てねえ。そんなには。取り立てて言われるほどには。非常に良い尻をしているが。
おれは仰向けのまま、首だけを持ち上げた。
「膝をくれ」
「ああ、はい」
リリィがおれの後頭部と地面の間に膝を滑り込ませてきた。おれはそいつを枕にして一息つく。
「ちと、休憩していこうや」
「そうですね。すぐに去るにはもったいない森です。食べ物もいっぱい走り回っていますしね。何日か滞在して英気を養うのもいいかもしれません」
たしかに。ここは豊かな森だ。これほど鳥や獣の鳴き声が聞こえているのに、危険な魔物や魔獣の気配が一切ない。
頼んでもいねえのにざんばら髪を指で櫛といて、リリィがグビッと喉を鳴らした。
「おいしそうな鳴き声が聞こえます」
「はっは、エリク汁を口から垂れ流すのぁ勘弁してくれよ」
「……う」
この森には危険はなさそうだ。
少し……眠るか……。
そんなことを考えた矢先の出来事だった。
「お、おまえたち、何をしている!」
若く瑞々しい女の声に、おれは閉じた瞼をこじ開ける。
接近に気づかなかったわけじゃあない。臓腑の底がざわつかなかった。つまりはこの森にいる動物たちと、さしたる違いなどなかった。だから警戒なんぞする必要もないだろうと思っただけのことだ。
そいつは藍色のひと繋ぎの服装を着ていて、頭には石川五右衛門もかくやと言わんばかりの、見事なほっかむりを被っていた。
そこから覗く瞳は紅蓮で、ほっかむりからはみ出す髪色と同じだ。
おれは仕方なく身を起こし、女――いや、おそらくはそれほど年端もいかぬであろう少女に尋ねてみた。
「あんれまあ、若え身空で泥棒かィ?」
「だ、誰が泥棒だッ! わたしはリリフレイア神殿に仕える誇り高き神殿騎士だ!」
朗々と叫び、最後に小さく付け加える。
「……ま、まだ十五の見習いだが……」
騎士って言やあ、もっと大仰な鎧や無駄に巨大な剣を担いでがしゃがしゃ歩いている輩ばかり見てきたが、どうにもこいつは迫力に欠ける。
もっとも、腰には大層ご立派な木剣がぶら下がっちゃあいるがね。
「ああ、そうかィ。興味ねえや。と、何をしているかって聞いたな。見ての通りだ」
「お昼寝です。わたしは膝枕をしていますが」
「そうそ。だから静かにしてろィ。つか、餓鬼はあっち行ってろ。シッシ!」
おれは餓鬼女を追っ払うように手を振って、再びリリィの膝に頭を置いた。
「や、やめんか、この不埒ものどもめ! 神聖なるリリフレイア神殿の庭で逢い引きなどと、不潔! 不潔! 不潔! 汚い! 穢い! 厭らしい!」
いや、もう……なんなの……? すっげえ傷つくんだが……。
おれが再び身を起こすと、リリィが眉根を寄せて少女に尋ねた。
「シスター。この森はリリフレイア神殿だったのですか?」
「わたしはシスターではない! 神殿騎士だと言っただろうが!? …………み、みみ見習いの……」
シスターってのはなんだ? 泥棒のことか?
疑問の視線を向けると、リリィがため息交じりに塵を見るかのような視線で教えてくれた。
「シスターとは神に仕える穢れ無き修道女のことです」
なるほど。それで不潔ってか。莫迦。
「申し訳ありません。神殿領を侵すつもりはなかったのです」
「なんだと? それと知らずにどうやって侵入したのだ!」
おれとリリィが同時に目を見合わせた。
空を飛んでいるのは秘密だ。リリィが体内にエリクシルを持つ銀竜だと知られてしまえば、おれたちは安息の地を失う。
「歩いてだ」
「歩いてです」
同時に嘘をついた。
「嘘をつけ! 結界を飛び越えるか、地底深くまで掘らねば絶対に侵入などできん!」
速攻で見抜かれた。
「リリフレイア神殿には外部からの侵入を防ぐための結界が張られている! 徒歩ではそれを破らぬ限り、決して立ち入ることはできない!」
「エルフの迷いの森みたいなものですか?」
「その通りだ!」
少女のがなる声が耳に響き、おれは顔をしかめる。
「おまえさん、さっきから声大きい……」
「うるっさいっ!! 穢れた不潔な汁を迸らせるだけの嫌らしい変態蛮族め! 喋るな死ね息するな!」
そうして少女は腰の大層ご立派な木剣を抜いた。極めて一方的に。
「抜け、勝負だ!」
え~……さすがに嫌だよ……。
ドラ子の雑感
不潔な関係♪




