第八十五話 執行
前回までのあらすじ!
処刑じゃあッ!
ハルピア族の処刑場――。
冷え固まった溶岩の中央にぽつんと立つおれ一人を相手に、ハルピア族の誇り高き戦士とやらは噴火口の縁を埋め尽くすような数で、ぐるり取り囲んでいた。
その数、およそ二〇〇から三〇〇。どいつもこいつも直剣をすでに抜き放ち、にやにやとした余裕の表情でこちらを眺めている。
対して、おれのたった一人の味方であるリリィはまだ牢の中ときたもんだ。
「数の利、なし」
視線を斜め上方へと向けて回す。
噴火口は深く。翼のないおれでは、到底戦闘中に上れる高さじゃあない。一時的に逃走してリリィを牢から解き放ちたかったが、こんな地形じゃお手上げだ。
対するやつらは羽根を持っていて、制空権まで取られているときたもんだ。
「地の利、なし」
どいつもこいつもおれを威嚇するように、黒の羽根を毛羽立たせている。
善人斬らずの誓いを破れば、まだ可能性もあろうものだが……それじゃあこうしておめおめと生き恥をさらしてきた甲斐もねえ。
おれは腰のものの存在をたしかめるように、左手で鞘をつかむ。ティルスの言ったとおり、菊一文字則宗はたしかに返却された。
それだけが救いだ。
一際高い位置にある火口の縁には、険しい表情でおれを睨む爺天狗と、おろおろと心配そうに視線を向けているティルスがいる。
その奥。やつらが背負った太陽は、未だ沈みそうにない。せめて闇が落ちれば、鳥目だと思われるハルピアどもの動きも鈍くなろうに。
「はぁ~……」
ため息が出た。
不利な条件を数え上げりゃ、それこそきりがねえ。
……ちょいと揺さぶってみるかね。
胸に空気を吸い込み、おれは声を張った。
「お~い、爺様よぉ! ハルピア族の誇り高き戦士の戦い方ってのぁ、多対一で相手をなぶり殺すもんなのかィ?」
多対一では勝ち目は薄いが、勝ち抜き戦ならば格段に可能性は高くなる。
爺天狗がくわっと目を見開き、怒りに満ちた表情をした。今にも血管が切れそうなほどに真っ赤に染まったおっかない表情で、やつが叫ぶ。
「この腐れ戯けがッ! 一端の戦士が相手ならば我らとて一騎打ちで迎えようがッ、おのれはたかだか罪人の身であることを知れぃッ!!」
「お、おおぅ。ごもっとも……」
反響する声に、おれは耳を塞いで顔をしかめた。そんなおれの様子などつゆ知らず、爺天狗はさらなる怒声を上げる。
「これは戦いに非ずッ!! 裁きッ、処刑じゃあッ!!」
あんにゃろう。血管切れちまえばいいのに。
そんなことを考えた瞬間、爺天狗が右手をゆっくりと持ち上げた。呼応するように、おれは菊一文字則宗を静かに抜刀し、迷いながらも手首を反す。
どこまで保つかはわからんが、峰打ちだ。
しゃあねえやな。正直言って状況は絶望的だが、矜持を曲げるくらいなら死を選んだほうがましだ。
「……リリィにゃちょいと悪いが」
ふと気づく。
おかしなもんだ。今際の際で思い出す顔が、新撰組の面子ではなく、あの間の抜けた女だとは。
息を吸い、息を吐く。息を吸い、息を吐く。
この身に可能な限り呼吸を取り込み、指の一本、髪の一本にまで溜めてゆく。
息を吸って、息を吐く。息を吸って、息を吐く。
何度も繰り返す。水中に長く潜る準備のように。実際問題、始まっちまえば次にいつ息を吸えるかなんざ、おれにもわからねえ。
だから溜める。呼吸を。
「……」
そうしているうちに賢しき言い訳も、つきまとう弱気も、渦巻く不安や女の顔でさえも、何もかもが己の裡側から消えてゆく。ただ目の前の敵を斬るだけの絡繰りへと、おれは心と肉体を変えてゆく。
胸の裡側に、ぽっと小さな炎が灯った。
ふいに思い出す。あの時代を。これほどの不利、これほどの悪条件ではなかったが、敵に囲まれたことなど珍しくもない。
斬って、斬って、斬って。殺して、殺して、殺して。そうして生きてきた。恥の人生だ。
だが、それでも。愛刀、菊一文字則宗に斬れぬものなど、この身を冒した大病のみだったはずだ。
にやり、と無意識に笑みが浮かんだ。ひどく歪な笑みだ。人斬りの嘲り。
「ああ……」
痩せて肋の浮いた胸を、内側から心の臓が叩く。強く、強く、強く。暴れ、暴れて、熱き血潮を指先にまで押し出すように。
くっく、と笑い声が喉から漏れた。
膨張し、渦巻く殺気に全身を呑まれながら、おれは歪な笑みで渇いた唇を舐めとる。
「せめて楽しもうや、なァ? 天狗ども!」
その瞬間だ。爺天狗の右手が、勢いよく下げられたのは。
ハルピアの戦士たちに炎が宿った気がした。怒気や殺気を孕みながら、やつらが羽根を動かし、全方位から一斉におれへと襲いかかってきた。
おれは――。
「かかっ!」
姿勢を低くし、前方上空から迫る集団へと向けて走った。
多数に囲まれた状態で振り下ろされる刃を避けるのは、相当に困難だ。特に背後から追いすがってくるやつの刃は危険。剣豪だろうが達人だろうが、背中に目はねえ。
だが、おれがやつらの移動速度以上の速さで前へ前へと進み続ける限り、背中に振り下ろされる刃は行き場を失う。
つまり、おれは己の側方と前方の半円のみに集中すればいい。
羽根を羽ばたかせ、超低空で迫り来た最初の一体の直剣を首を倒すことでやり過ごし、勢いそのままに彫りの深い顔面を打つ。
「シッ!」
ゴッと骨の砕ける音が響き、天狗が後頭部から冷え固まった溶岩の大地へと落ちた。
足を止めず、斜め前方から襲い来た天狗の背中を蹴って跳躍し、別の天狗の羽根をつかんで前方の天狗へと叩きつける。
「らァ!」
「うがッ!?」
本来ならば二体重なったところで一本突きを繰り出して仕留めたいのだが、善人斬らずの誓いが刃を鈍らせた。
もんどり打って倒れた天狗の顔面を踏みつけて着地し、側方から迫った一体を身体を横に回転させながら逆袈裟にかち上げる。
「ごが……ッ!!」
天狗の肉体が上方へと浮き上がり、血と黒羽根が派手に散った頃には、おれはすでにそこにいない。
直剣の雨あられを身をよじりながら体捌きで躱して跳び、前方の一体の頭部を兜割りで打ち下ろす。
「か……ッ」
すぐさま大地を蹴って側方へと跳び、どこからか投擲された直剣を菊一文字則宗で弾き上げた。
「く!」
甲高い音が鳴り響き、火花が散る。
影に呑まれた直後、真上から別の直剣が突き下ろされる。
「……ッ」
「死ね!」
おれは身をひねってそいつの刺突を躱しながら、先ほど弾き上げた直剣を片手で受け止めて上にぶん投げた。直剣の刃が上空にいた天狗の黒羽根を貫き、やつは無様に顔面から落下する。
「ぐがぅッ!?」
ようやっと五体かよ……! 糞ったれが……!
行動不能にした天狗の数だ。やはり絶望的だと言わざるを得ない。斬って殺してさえ絶望的な状況で、愚かにも刃を反している始末だ。
剣林を躱し、完成されつつある包囲網を強引に突破する。
「ぶは――っ」
止めていた息を吐き、おれは背後を確認した。
空も大地も埋め尽くすほどの数のハルピア族の戦士たちが、憤怒の形相でおれを追っかけてきていた。
……勘弁してくれ……。
ドラ子の雑感
どうか、どうか、死なないで……。
まだお尻触ってない……。




