第二十七話 迷いの森
前回までのあらすじ!
ドラ子の膝枕からいい匂いがしてたぞ!
ああ、腹ぁ減った……。内臓が活発に動くようになったのはいいが、な~んか、ここんとこいっつも飢えてんなァ……。
抜き身の菊一文字則宗を右手に、深く暗い森を疾走する。張り出した大樹の根を飛び越え、垂れ下がった蔓を斬り飛ばし、背後より追いすがる獰猛ないくつもの咆吼を置き去りに。
「声に出ていますよ、マスター」
「おまえさんの一番搾りだけじゃ、全然足りねえ……」
おれたちはブーツで水たまりを跳ね飛ばし、幾層にも重なった落ち葉を巻き上げ、ひたすら走り続ける。
「あたりまえじゃないですか。銀竜の血液は本来ある肉体機能を正常に戻すだけのもの。お腹を満たすものではありません。いくら飲んでも薬効成分だけでは満腹にはなりませんよ」
花柄の入った赤い懸衣の袖で口もとを隠して、リリィが瞳を細めた。
それもほぼ全力で走りながらだというのに、疲れた様子さえない。
「……おまえさん、ずいぶん余裕だねェ。もうお互い三日も食ってねえのに」
「わたしは魔素を体内にて栄養素へと変換できますから」
艶々とした肌で、リリィが走りながら大きな胸を張った。
暗い森だった。まだ真っ昼間だというのに、木漏れ日すら通さぬほどに大樹の生い茂ったこの森では、すでに宵闇が落ちている。
ざわ……。
臓腑がざわついた。直後、大樹の枝がヒトの豪腕のごとく、おれへと振り抜かれる。
「なん――だぁっ!?」
おれはとっさに菊一文字則宗を立て、疾走そのままに大樹の枝を斬り飛ばした。
「――!」
斬った感触は木の枝だというのに、切断面からは血管や白い脂肪が垂れ下がり、真っ赤な血液が溢れ出す。
肉だァァ!
枝を斬り飛ばされた大樹が耳鳴りのような悲鳴を上げたが知ったこっちゃねェ。おれは走りながら斬り飛ばした枝を左手で受け止め、横を駆けるリリィに掲げた。
「これ、食えるか!? 焼いたら食えそうな気がするんだが!」
極めて冷静にシルバースノウリリィは呟く。半笑いを浮かべて。
「吸血大樹は猛毒です。根を張って動けない分、他の魔物から身を守るために毒を蓄積したものと思われます」
「……えぇい、くそったれぇぇぃ!」
やぶれかぶれの八つ当たりで大樹の本体へと投げ返し、ぶつけてやった。また大樹が耳鳴りのような悲鳴を上げた。
リリィが足をぱたぱた動かして、おれの背中を押す。
「ほら、ほら、走ってください。マスター」
「わぁ~ってるよぅ」
――ガアアアアアァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーッ!!
おれたちの背後にけたたましい足音と地鳴りが迫った。
熊だ。ただし、大きな一本角が生えている。
リリィの首筋へと、茶褐色の角熊が鋭い爪を薙ぎ払う。
おれはとっさに菊一文字則宗を逆袈裟に振り上げた。斬り飛ばすつもりだったが空腹で踏み込みに力が入らず、刃先は大型の獣の豪腕を掠めただけだった。
ちぃ……ッ!
巨大な爪を持つ怪物の腕が、リリィの銀の側頭部を薙ぎ払った。およそ生物から発生したとは思えぬほどの轟音が響き、リリィの銀髪がバッと散る。
「リリィ!」
が――。
「ほら~、追いつかれちゃったじゃないですかぁ~」
リリィは怪我を負うどころか一歩も動くことなく、己の側頭部で怪物の一撃を完全に止めてしまっていた。それどころか首の角度すら変わっちゃいねえ。
おれは内心激しく動揺しまくりながらも、一本突きで怪物の眉間を貫いた。
――カ……ギィィ……!
二本足で立ち上がった角熊は、しばらく出鱈目に前脚を振り回した後、岩と腐葉土の大地に崩れ落ちる。
ぶん殴られたリリィはといえば、不機嫌そうな顔で怪物の爪があたった側頭部をぱたぱたと手で払っていた。
「……おま……、……痛くねえの……?」
銀竜だ。そりゃ魔物の一撃程度で死ぬこたぁねえだろうとは思っちゃいたが、さすがにこれは開いた口がふさがらねえ。
「痛くはありませんが、泥をつけられてしまいました。これだから悪鬼は嫌い」
おれは白目を剥きかけたね。己がルナイス山脈のあの洞穴で、いかにおそろしい生物と戦ったかを今さらながらに思い知らされた。
ま、いいや。そんなことより。
「こいつは食えるか?」
「目を輝かせているところを申し訳ないのですが、肉食です。臭くて食べられたものではありません。この分ですと、人間もいっぱいお腹に詰まっているのではないでしょうか」
おれは肉塊と化したオーガをブーツのつま先で蹴った。
「くそがッ! ちゃんとッ! おいしくッ! 育っとけェェェッ!」
「ふふ、そんなご無体な」
あぁ、もう力が抜けちまいそうだ。
地鳴りが迫る。殺気や咆吼も。うんざりだ。
「追いつかれます。行きましょう、マスター」
「はあぁぁ……」
おれたちは再び走り出す。
悪鬼だけではなかったのだ。そもそも、この程度の熊っぽい魔物だけなら逃げ出したりはしない。
食料を求め、この深き森に立ち入ってからおよそ丸二日――。
森中のすべての魔物が集まってんじゃねえかってくらいの勢いで、執拗に追いかけてくるのだ。
食い物を求めて入った森で、逆に魔物の食い物にされそうになったおれたちは、当初こそ斬り結んでいたものの、三桁を超える魔物を屠ったあたりで殲滅をあきらめ、埒もないと見て引き返すことにした。
だが、戻れども戻れども草原への出口はなく。
そうして丸二日、この追いかけっこを楽しんでいる。
「眠ィ……。腹減ったァ……。吐くもんねえけど吐きそう……っ」
「申し訳ありません、マスター。わたしが竜化できればすぐにでも飛び立てるのですが」
リリィが木の葉で見えない空を見上げて呟いた。
「何者かの結界によって、ここでは魔術が一切使えないのです。これほどまでに魔素に溢れた良い森だというのに、いったい誰がこのようなことを」
ちくしょう、こんなことなら――。
おれの後悔を、リリィが正確に口に出した。
「こんなことならつまらない矜持なんて捨てて、頭を下げて名もなき国に戻れば良かったのに」
「ば、莫迦か! あんな大見得切って出てきたのに、今さらそんなみっともねえ真似ができるわけねえだろうが。おれぁ侍だぞ。切腹もんの恥だっ」
リリィが顎に指をあて、小首を傾げた。
「このようなところで寂しく餓死するよりは、切腹のほうがましだったのでは?」
涙が出た。
ドラ子の雑感
さむらいの生き方って、おばかかわいい!




