第二十八話 ダークエルフ
前回までのあらすじ!
なんか食わせてくれ!
――フゴォォォォッ!!
深き森。大樹の隙間から追いすがってきた巨大猪の鼻面を、リリィが左の裏拳で叩いた。
「やっ!」
肉の破裂するなんとも言えない音が響いた直後、吹っ飛ばされた巨大猪は錐揉み状態で大樹を薙ぎ倒し、切り立った岩に頭部をぶつけて四肢を折った。頭部が半分潰れてなくなっている。
もう驚かねえよ。こいつの正体は銀竜なのだから。そんなことよりもだ。
おれは足を止めて尋ねた。
「あいつ食える!? でけえだけの猪ならいけるんじゃねえ!?」
リリィが立ち止まり、困ったように眉をひそめる。そうしてさも当然のように、当然のことを呟いた。
「昨日からずっと思っていたのですが、人間を襲ってくる時点で肉食だと、なぜ気づかないのですか?」
「は……は――」
「は?」
「早く言ってっ!?」
絶望した。
もうだめだ。足が動かねェ。こうなりゃ追いすがってくる栄養にもならねえ魔物どもを斬れるだけ斬って、ここでくたばってやらァ。
いや、鼻ぁつまんで呑み込みゃ食えねえこともねえんじゃねえか? 人間食ってようが、栄養になりゃそれでいいじゃねえの。もうこの際だ。間接的な共食いなんざ知ったこっちゃねえ。
「……そうだよ、食おう……」
「マスター?」
とち狂ったことを考えて、おれは舌なめずりをしながら菊一文字則宗をかまえ直した。その直後のことだ。
「マスターッ!!」
危急の声。無数の魔物相手には出なかった、シルバースノウリリィの声だ。
臓腑がざわついた。死に瀕するほどに心の臓が強く脈打つ。
一瞬にしておれの知覚範囲が広がった。微かな音。地鳴りや魔物の咆吼に混じり、空を斬り裂く――殺気だ。
気づけばおれは魔物の集団に背中を向けて、菊一文字則宗を空へと振っていた。ぱきりと音がして、黒曜石の鏃が裂ける。
矢――っ!?
がさり、遠くに見える大樹の木の葉が揺れた。
おれはとっさに走り出す。駆け出し様に摘んだ草を食んで青臭え汁だけを吸い出し、わずかばかりの水分を吸収し、岩を蹴って跳躍。
大樹の枝へと跳び乗る。
「?」
いねえ。
だが、また遠くで大樹の木の葉が揺れたのが見えた。
枝から枝へ飛び移り、暗殺者を追って疾走する。ちらりと地面を見れば、大量の魔物を引き連れてリリィはついてきていた。
そいつへと視線を戻した瞬間――。
「~~ッ!」
――眉間に迫り来ていた矢を、寸前でつかむ。
危ねえッ!
矢を投げ捨て、おれは枝から枝へと疾走しながら、姿の見えぬ暗殺者を追った。
的確にこちらの隙を狙ってきている。何者かは知らないが、アラドニアの魔術兵とは比べものにならねえ練度だ。
あぁ……思い出す……あの時代を……。
肉体に炎が灯る感覚。命を燃やす感覚。
力を失いかけていた身体に、風前の灯火が盛る。
深い木の葉の宵闇に紛れる暗殺者。だが、適応する。嗅覚が、聴覚が、おれの中で変化してゆく。枝から枝へ、幹を蹴り、再び枝へ。
捉えた。黒髪、黒目、浅黒い肌。この森では見つけづれえはずだ。
「~~ッ」
そいつはおれを振り返ると、ぎょっとした表情をして、枝を蹴りながら身をひねり、弓に三本の矢を同時に番えた。
放たれる矢。三点同時。
頭、心の臓、鳩尾。すべて的確。江戸ですら見なかったほどの、とんでもない腕だ。
袈裟懸けに払うか、否。それでは頭か鳩尾の一本は防げない。
取り逃すこと覚悟で跳躍しようとしたおれの目に、暗殺者が再び腰の矢筒に手を伸ばす姿が入った。
跳躍すれば、回避の難しい空で射られる。すべて図案ができてやがる。
おれは菊一文字則宗の切っ先を暗殺者の右方向に向け、微かに腕を引いて足を止めた。むろん、勢いのままでは完全に足を止めることなどできはしない。大樹の枝を滑りながら腰を落とす。
天然理心流、平晴眼のかまえ。
視界の中で景色が狭まった。飛来する三本の矢以外のものは意識の外へと追いやる。
「――アァッ!」
頭に飛来した一本を、一本突きで裂く。鏃と切っ先が触れた瞬間には、すでに平晴眼のかまえに戻し、心の臓へと飛来した二本目をつく。戻し、鳩尾への三本目。
「~~ッ!」
だめだ。必殺の三段突きでも間に合わない。
二段で止め、敵に背を向けることを承知で左の掌で払い除ける。鳩尾を狙って放たれた矢が、おれの脇腹を薄く抉って大樹の幹へと突き刺さった。
「か……っ」
背中。向けざるを得なかった背中を目掛け、四本目が来る。
音だけを頼りに、おれは風を巻き込みながら身体を回転させ、菊一文字則宗で矢を払い落とす。
どくん、どくん、耳に聞こえるほどの鼓動。全身がさらに覚醒する。
歪が笑みが零れた。
暗殺者が息を呑むのがわかった。息を呑むということは、すなわちその瞬間は硬直しているということに他ならない。
迷ったな――ッ!
疾走。再び矢を番えようと矢筒に手を伸ばした暗殺者へと、おれは飛びかかる。そいつは浅黒い肌をした耳の長いやつだった。
おれたちは絡まり合いながら、大樹の枝から足を滑らせる。
落下中、おれの繰り出した至近距離からの一本突きを、そいつが浅黒い足で蹴り上げる。
「く、このっ」
「あきらめなァ」
だがその隙におれはそいつのか細い首を左手でつかみ、腐葉土の積もった柔らかい大地に着地しながら押さえ込んでいた。
「かは……っ……く……あぁ……っ」
背中から落ちた暗殺者が苦悶の表情を浮かべた瞬間には、菊一文字則宗の切っ先はそいつの喉もとへと触れていた。
おれの勝ちだ。
大量の魔物を後方に引き連れたリリィが追いついてきたのは、ちょうどそのときだった。
「ダークエルフ!」
おれは暗殺者ダークエルフとやらの両腕を両足で踏んで拘束し、切っ先を喉もとに突きつけたままリリィに叫んだ。
「リリィ! こいつ食えるっ!?」
リリィが大層な勢いで首を左右に振りながら叫ぶ。
「見るからに食べちゃだめぇぇぇぇっ!?」
ですよねー……。
腹が減って眩暈がした。
ドラ子の雑感
わあ、これ、限界超えちゃったヒトの目だ……。




