第百二話 汚れた剣
前回までのあらすじ!
修道女の気迫が痩せ男の剣技を上回ったぞ!
ざわざわと、森の木々がざわめいていた。
烈火のごとき怒りは、やがて可視の炎を宿す。
「……フーッ……フーッ……!」
メルが引きずる剣先に炎が灯ったのさ。
おれにゃ見えねえが、おそらくあれが皿万打とかいう火精の力なのだろう。やがて種火のような炎は勢いを増し、メルの持つ剣全体を包み込む。
「ひ……っ」
槍を取り落としちまった痩せ男は、脅えた目で尻を引きずりながら後退した。だが、それ以上の速さでメルは歩を進める。
やがて痩せ男の背が、大樹の幹にあたった。
「……やめ……やめて……」
もはやメルに言葉はない。荒い呼吸を繰り返しながら迷いのない瞳で、炎に包まれ溶融しつつある剣を持ち上げただけで。
痩せ男の視線がおれへと向けられた。
「た、頼む! なんでもする! なんでもするから、やめさせてくれっ!! お願いだ!」
おれはため息をついて目を伏せた。
痩せ男の死を恐れたわけじゃあない。見たくないと思ったわけでもない。
この程度の局面には過去なんども立ち会っているし、おれ自身はもっと壮絶に歪んだ気持ちで刃を振るってきた。
怒りにまかせて斬った。命令されて斬った。必要と断じて斬った。やがて、己の意志なく何も考えずに斬ることがあたりまえとなっていった。
悪人も善人も等しく斬った。必要とあらば、鬼でも神仏でも斬る覚悟だった。
斬って、斬って、斬って、殺してきた。
あぁ、汚えなァ……この手は……。はは……、……これ以上に汚れようもねえほど……もう真っ黒だ……。
「なあっ!? 聞こえてるんだろう!? お願いだっ、こいつを止め――ひぁッ!?」
呼吸を止めていた。てめえでも気づかぬうちに止めていた。
おれは息を吸い、もう一度視線を上げる。
メルは轟々と燃え盛る剣を両手で持ち、濁った瞳で歪んだ凄惨な笑みを浮かべ、限界まで身をひねっていた。
少女の唇が、微かに動く。
「おまえ、もう、黙れ……ッ」
泣いているような、怒っているような。哀しんでいるような、憎んでいるような、そんな歪み方をした笑みだ。
――そいつぁ、人斬りの目だった。
そうして溶融を始めた炎色の剣が、醜く泣き叫ぶ痩せ男の首へと振るわれる。
「死ね」
「やめてくれええええぇぇぇぇーーーーーっ!!」
一瞬の後、痩せ男の首は長年連れ添った胴体からおさらばした。
斬り口は極めて平坦。灼けた痕などない。
当然だ。痩せ男の首を刎ねたのはメルの炎を宿した剣ではなく、いち早く走り込み、おれが放った抜刀術だったのだから。
おれはブーツを滑らせ、菊一文字則宗を一振りして血を払い、静かに納刀する。
遅れて痩せ男の首が森の枯れ葉に落ちて転がり、ひょろ長い胴体部が力を失ってメルの足もとへと倒れ伏した。
ざあと、血溜まりが広がってゆく。
メルが赤い目を大きく剥いた。
「な……んで……っ」
その手の剣がついに融解し、刃が蕩けた赤い液体となって森の大地に落ちる。だが、枯れ葉を焦がしながらも炎は広がることなく、徐々にその色を失い消滅した。
火精がメルの中に戻ったのだろう。
「おまえっ、どうしてっ!?」
「……悪ィ。見ちゃいられなかった」
「ふざけるなッ!! こんな……ッ! こんな決着があるかッ!! 弟を、妹を、あんなふうにされて、こんな決着があるかぁぁーーーーっ!!」
怒気をおれにぶつけ、メルは柄だけとなった剣を乱暴に投げ捨てた。
ざあと草木を揺らしていた風が凪いだ。
おれは極めて情けねえ顔で、がらにもねえことを呟く。
「おめえの剣は、綺麗だ。あぁ、綺麗なもんさ、なァ、メル。曇りなき剣だ」
「そんなこと聞いてないッ! 質問にこたえろッ!!」
おれはざんばら髪を掻き毟り、てめえが何を言いたいのかを今さら考えた。今さらだ。
木々のざわめきがやけにはっきり聞こえやがる。メルの荒い呼吸音もだ。
「……すまねえ。おれにも何が言いてえのかわかんねえ。――ただ、ただよぅ」
おれは情けねえ顔のまま、この不出来な小娘に懇願する。
「おまえは、おれのようにはならねえでくれよ……」
「ど……ういう……?」
おれはてめえの前髪をつかんでつぶし、皮肉な笑みを浮かべた。歪むな、この瞬間だけは歪むなと、己に念じながら。
「憎し憎しで人を斬るな。誰かに命じられて人を斬るな。何も考えずに人を斬る機械人形にはなるな。そいつはひどく無様だ。これ以上ねえほど無様でみっともねえ生き方だ」
ただの人斬りにはなるな。おれのように。
「おまえは、おまえの正義にだけ従って剣を振れ。殺すを目的としない、誰かを護れる剣士になれ。そういう斬り方をしろ。そのためだけに殺せ。そういう騎士になってくれ」
我ながら、なんて勝手な言い草だ。
てめえがかつて思い描き、到達できなかったことを、こんな出来損ないの小娘に託そうとしてやがる。我ながら嫌になる。
「おれぁもう行き着くとこまで行き着いちまった汚れた人斬りだ。だから、どうにもならねえときは、おれが怒りを肩代わりして斬ってやる」
「おまえ……」
「汚れなんざ、いくらでも被ってやる。だから、おまえはおまえの剣を汚すな。あんな目で人を殺すな。あんなのは、おれの役割だ」
そのために、おれはまだ生きている。エリクシルに頼ってでも、無様にみっともなく生にしがみついている。
しばらく、静かな刻が流れて。
やがて森に風が戻る。暖かく、優しい風だ。
メルが修道女のべえるをつかみ取り、赤髪を左右に振って吐き捨てた。心底あきれたような顔でだ。
「もういい。わかった。もうわかった。説教は沢山だ。大の大人が、それも男が、そんな情けない顔をするな。そんなふうに泣かれたら、もうそうするしかない。わたしはおまえのような人斬りにはならない。正義の騎士になる」
「泣いてねえが……」
「だが、一つだけ言っておく。わたしはおまえの生き方が汚いだなんて思っていない」
「……先日まで散々、穢らわしいだの汚いだのと罵られた気がするが」
「なんだよ。いちいち細かいな、男の癖に女々しいぞ」
修道服の脇腹に両手をあてて、メル・ヤルハナが笑った。歪むことのねえ、お天道様のような笑みだ。
そうしておれを指さして呟く。
「なんか少しおまえのことを気に入った。色々ありがとな」
「阿呆。ぞっとするようなことを言うんじゃあないよ。……帰るぞ。リリィたちが待ってる」
メルが痩せ男の首に視線をやって、やるせないため息をついた。
「そうだな。……神殿には後でわたしが通報しとくよ。世話になってて悪いけど、おまえらはそれまでに――」
「ああ。旅立つさ。神殿にゃ、おれたちのことを喋ってもいいし、喋らなくてもいい。おまえさんの裁量でうまく言っといてくれ」
おれとリリィはリリフレイア神殿の結界を空から越えてきた不法侵入者だ。おまけにこんな騒ぎまで起こしたとあっちゃあ、ちょいと面倒なことになりかねない。
リリフレイア神殿を対アラドニアや対黑竜に引きずり込む計画は失敗だろうが、この数日は、酷使し続けた身体を休めるにゃちょうどよかった。……悪かねえ休暇だったさ。
おれたちは肩を並べ、もと来た道を引き返す。
今度は、歩いてだ。
ドラ子の雑感
追いかけたいけど子供たちを置いていけない……。
なんか……なんか胸騒ぎがする……!




