004 せんべろセット
謎の店を出て時間を見ると昼を少し過ぎた頃。
今からダンジョンに潜るのは、どうにも中途半端な時間だ。
「明日からダンジョンに潜って忙しくなるし、景気づけに一杯やるか」
社畜時代、平日の昼間から酒を飲むなんて絶対に叶わなかった憧れの背徳行為だ。退職という思いがけない形で実現してしまったのは皮肉だが、今の俺にはそれくらいの贅沢を許してもいいだろう。
俺は『謎の店』を離れ、会社帰りによく立ち寄っていた小さな居酒屋へと向かった。
ガララララ。
引き戸を開けると、どこか懐かしい出汁の匂いがふわりと漂ってきた。
「いらっしゃい!」
奥から、笑顔の似合うねじり鉢巻姿の大将が顔を出す。
「えっと、一人です」
「どうぞ、カウンターへ」
促されるまま、一番端の席に腰を下ろす。
「何になさいます?」
「せんべろセットをビールでお願いします」
「はいよ!」
ここの『せんべろセット』は、千円でべろべろに酔える? 最強のコスパメニューだ。ドリンクがグラス二杯に、小鉢が二つ、焼き鳥が二本、がついてくる。
「お待ちどうさま!」
まずはキンキンに冷えた生ビールと、もつ煮、枝豆が運ばれてきた。
グラスの表面にはびっしりと水滴がつき、黄金色の液体の上にはきめ細かい純白の泡が乗っている。たまらずグラスを掴み、喉を鳴らして流し込んだ。
強烈な冷たさと炭酸の刺激が、食道を通って五臓六腑に染み渡る。
「……っかぁー! 沁みる……ッ!」
平日の昼下がり、まだ外が明るいうちから飲むビールの圧倒的な背徳感。水みたいな水割りとは大違いだ。
茹でたての枝豆を指で押し出すと、程よい塩気とともに豆の甘みが弾ける。
続いて、湯気を立てるもつ煮込みに七味を軽く振りかけ、口に運ぶ。じっくりと時間をかけて煮込まれたもつは、噛む必要がないほど柔らかく、濃厚な味噌とモツの旨味が口いっぱいに広がる。味が染み込んだトロトロの大根も絶品だ。これだけで一杯目のビールが一瞬で消え去った。
「焼き鳥、お待たせしました!」
絶妙なタイミングで、二杯目のビールと炭火でこんがりと焼かれた焼き鳥二本が皿に乗ってやってきた。本日はねぎま、タレと塩が一本ずつ。
まずは甘辛く艶やかなタレがたっぷり絡み、脂が滴っているねぎまに食らいつく。
炭火特有の香ばしい匂いと共に、弾力のある鶏肉から熱々の肉汁がジュワッと溢れ出した。
すかさず二杯目のビールを流し込む。
「最高だ……」
口に残る濃厚なタレの味を、ビールが爽快に洗い流していく。これ以上の幸福があるだろうか。
俺がすっかりいい気分で飲み食いしていると、カウンターの奥でグラスを拭いていた大将が話しかけてきた。
「お客さん、この時間に来るのは、初めてですよね」
「あ、はい。実は会社をクビになっちゃって……前から憧れだった昼飲みをしたくて来たんです。それで……明日からダンジョンに潜るんですよ」
酒の勢いも手伝って、つい正直に身の上を明かしてしまった。引かれるかと思ったが、大将は驚いたように目を丸くした後、人懐っこく笑った。
「探索者になったんですか? 危ないって聞きますから気をつけてくださいね。こいつはサービスです」
そう言って、小鉢をそっと俺の前に置いた。
ゴロゴロとしたジャガイモの食感を残し、黒胡椒がピリッと効いた自家製のポテトサラダだ。
「ありがとうございます」
大将のさりげない優しさが、胸の奥にじんわりと染み渡る。
美味しい料理と冷えたビール、そして人の温かさ。理不尽なクビ宣告からこっち、ずっと張り詰めていた心が少しだけ解けた気がした。
残りのビールをポテトサラダと共に飲み干し、俺はグラスを置いた。
「ごちそうさまでした」
会計を済ませて店を出ると、外はまだ明るく、心地よい風が吹いていた。
さあ、明日からはいよいよ未知のダンジョン探索だ。しっかり潜って、しっかり稼いで、生き抜いてやる。
俺は新たな決意と共にアパートへの家路についたのだった。
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ストック尽きるまで、7:00・12:00・18:00・20:00に投稿予定。




