019 カワハギとちょうちん
神保町を離れ、通り沿いに見つけたガラス張りのカフェに入った。
洗練されたデザインの椅子に深く腰掛け、のんびりとコーヒーをすする。
大きな窓の向こうには、書類カバンを提げて早足で歩くサラリーマンや、スマホを片手にせわしなく行き交う人々の姿があった。かつての俺も、あんなふうに急ぎ足で歩いていたのだ。
「平日の昼下がりに、東京のど真ん中でこんなにのんびりできる日が来るなんて、思ってもみなかったな……」
コーヒーのほろ苦さを味わいながら、自由な時間を噛み締める。
そういえば、地元のダンジョンの受付嬢に「お土産をお願いしますね!」と、ちゃっかり頼まれていたのを思い出した。まあ、帰りに東京駅で、小洒落たお菓子でも買えばいいだろう。
それにしても、東京はただの喫茶店でさえ、やたらとオシャレで緊張する。観葉植物と間接照明に囲まれた空間は、居心地が良いような悪いような、絶妙なソワソワ感を煽ってきた。
「やっぱり、俺みたいなおじさんには、こういうオシャレなカフェよりも赤提灯の方が性に合ってるな」
俺はスマホを取り出して現在地周辺の居酒屋を検索し始めた。
オシャレなカフェを出たあと、俺は東京駅の八重洲側に移動していた。立ち並ぶビル群の足元には、昔ながらの飲み屋街が立ち並んでいる。
「昨日の夜はもんじゃを食べたし、今夜はどうしようかな」
路地をブラブラと歩いていると、換気扇からモクモクと吐き出される、醤油の焦げる香ばしい匂いが鼻腔を強烈にくすぐった。炭火と肉の焼ける匂い。これには絶対に抗えない。
俺は吸い寄せられるように、赤提灯が下がるこぢんまりとした居酒屋の引き戸を開けた。
「いらっしゃい!」
威勢の良い大将の声に出迎えられ、白木のカウンター席に座る。壁の短冊メニューを見上げると、どうやらここは焼き鳥と海鮮が二枚看板の店らしい。
「焼き鳥と刺身がメインの店か。最高じゃないか」
この後は新幹線に乗って帰るだけだが、車内で爆睡して寝過ごすと厄介だ。酒は少し控えめにしておくか。
「すいません、生ビール中ジョッキと刺身の盛り合わせ、あと焼き鳥の7本セットをお願いします」
「はいっ! かしこまりましたー!」
すぐに、冷えたジョッキに注がれた生ビールがやってきた。
「いただきます」
喉を鳴らしてビールを煽る。キメ細やかな泡の下から、キリッと冷えた黄金色の液体が喉を駆け下りる。一日の締めくくりの味だ。
「お待ちどうさま! 刺身の盛り合わせ一丁!」
目の前にドンと置かれたのは、美しく盛られた刺身たちだった。
まずは定番のマグロの赤身から。
分厚い切り身にワサビを乗せ、醤油を少しつけて口へ運ぶ。ねっとりとした舌触りの直後、マグロ特有の濃厚な旨味が口いっぱいに広がる。筋っぽさは微塵もなく、噛むほどに旨味が溢れ出してビールを強烈に求めてきた。
「おっ、こいつは珍しいな」
盛り合わせの端に乗っていたのは、白身魚の薄造りと、それに添えられたピンク色のペースト。カワハギの刺身と、その肝だ。
薄く透き通った弾力のある身で、こんもりと盛られた濃厚な肝をくるりと巻き込み、ポン酢に潜らせてパクリと頬張る。
「うまっ……!」
淡白で上品な白身の旨味を、海のフォアグラとも呼ばれる肝のクリーミーで暴力的なコクが完全に包み込む。それがサッパリとしたポン酢の酸味と紅葉おろしのピリ辛さで引き締められ、口の中でとろけて消えた。たまらずビールで追いかけると、至福の余韻が喉の奥まで広がっていく。
刺身を堪能していると、香ばしい湯気と共に焼き鳥の7本セットが焼き上がってきた。
まずは定番の『ねぎま』から。
炭火でこんがりと焼かれた鶏モモ肉は、表面がパリッと香ばしく、かじりつくと中から熱々の肉汁がジュワッと飛び出してくる。肉の脂をたっぷり吸い込んだネギは、焦げ目がついた外側は香ばしく、中はトロトロに甘い。タレの甘辛さと炭の香りが、ビールのグラスをあっという間に空にさせた。
そして、串のラインナップの中でひときわ目を引く、変わった焼き鳥があった。
肉の塊の下に、鮮やかなオレンジ色の卵黄のようなものが、ぶら下がるように串に刺さっている。『ちょうちん』だ。卵になる前の黄身と、卵管を一緒に焼き上げた希少部位である。
「これを置いてる店は、当たりが多いって聞くけど……」
丸い黄身の部分が破れないように、ひもの部分と一緒にそっと口に含む。
軽く歯を立てた瞬間。
プチンッ! と薄い膜が弾け、中からとろりとした超濃厚な黄身が、熱々のソースのように口いっぱいに溢れ出した。そこに、タレの絡んだひものクニュクニュとした小気味良い食感と淡白な旨味が混ざり合う。甘辛いタレと濃厚な黄身のコクが一体となるその味は、極上のすき焼きを一口に凝縮したような爆発力だった。
「すいません、ビールおかわり!」
控えめにするつもりが、気づけばビールおかわりを頼んでしまっていた。
カワハギの肝、ちょうちんの濃厚な黄身。そして美味い酒。
ダンジョンのスリルも悪くないが、俺にとっての冒険の報酬は、こういう晩酌なのだ。
こうして、胃も心も大満足の東京観光は、終わりを告げるのだった。
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ストック尽きるまで、7:00・12:00・18:00・20:00に投稿予定。




