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011 オムライス

今日は、薄暗いダンジョンの石壁に囲まれているのではなく、蛍光灯に照らされた税理士事務所の応接ソファに深く腰掛けていた。


「柏木さんは、今年はあと収入を●百万円ほどに抑えて、トータルの課税所得を●百万円以下に着地させるのが、税率的にも一番賢い選択ですね」


書類から顔を上げた初老の税理士が、電卓を弾きながら理路整然と語りかけてきた。


「●百万円を超えますと、所得税の税率が●パーセントから●パーセントに上がりますし、そこに住民税も乗ってきます。今年は後●百万円までなら稼いでも大丈夫、という計算になりますね」


「なるほど、よく分かりました。注意してそのラインを越えないように気をつけます」


「それにしても……ソロの探索者でこれだけ稼がれるとは、本当にすごいですね。怪我の治療費やゴールドの購入もされていませんし、極めて優秀なんですね」


「いえいえ、単に運がいいだけですよ。強いモンスターを上手く避けられているだけで」




俺は謙遜して曖昧な笑みを浮かべた。まさか『自宅の庭に無限湧きするスライムを狩り続けて初期レベルを上げまくったから、無双できています』などと口が裂けても言えない。


「そんな謙遜なさらずに。運も実力のうちと言いますからね。それに、こうして早い段階から税金の相談に来られるフリーランスさんは、本当に珍しいんですよ。皆さん、確定申告の期限ギリギリになってから、領収書の束を抱えて泣きついてくる方が多くて」


税理士は困ったように苦笑いをした。


「そこは、一応社会人をやっていましたから。税金を甘く見ると後で地獄を見るのは分かっています」


「ええ、その通りです。ちなみに、国税庁の現在のルールでは、ダンジョン内で取得した『ゴールド』は、協会等の窓口で日本円に換金した時点で初めて『事業所得』として課税対象になります」


「つまり、換金せずに持っている分にはノーカウントということですか?」


「はい。オーバーした分はゴールドのままお持ちになるのがいいでしょう。それに最近では、ゴールドで支払いができる飲食店やサービス店なんかも増えてきています。法整備が追いついておらず、現状は物々交換に近い扱いになっているため、実質無税で飲み食いできるんですよ」


「へえ、それはありがたいですね。うちの近くにも、そういったお店がもっと増えると助かるんですが。……それでは、確定申告の時期にまたお世話になります」




税理士事務所を出て外の空気を吸い込んだ瞬間、俺の口から「ふう」と、深い安堵のため息が漏れた。


気が重かった心配事が、これでまた一つ片付いた。どんな凶悪なモンスターよりも、税務署の取り立てほど怖いものはこの世にないからだ。




ふと、前職のブラック企業で擦り減っていた社畜時代の記憶が脳裏をよぎる。

あの上司――俺に全てのミスを押し付けてクビに追いやったあの男は、会社の経理周りでもやりたい放題だった。


決算期末が近づき、利益が出ていると分かれば、どう見ても不要な高級外車を『社用車』として購入し個人的に乗り回していた。さらに悪質なのは、上司が個人的に飲み歩いたキャバクラや高級クラブの領収書の束を『接待交際費』として無理やり帳簿にねじ込ませていたことだ。


架空の外注費を計上してキックバックを受け取っているという黒い噂すらあった。警察や税務調査が入れば一発でアウトな、違法スレスレというか完全にアウトな行為の数々。


いくら社長の血縁とはいえ完全にやり過ぎだ。いつかマルサ(国税局査察部)が乗り込んで来て、捕まるんじゃないかと思っていたが、いっそ今から匿名でマルサに垂れ込んでみるか。




取り留めのないことを考えながら歩く。時計を見ると、午前十一時を少し回ったところだった。


「少し早いけど昼にするか。そういえば、気になっていたけど結局、食べに行けなかったレストランがあったなー」


現在地は、以前の職場も近い駅周辺。社畜時代、毎日死んだ魚のような目で通り過ぎるだけで、いつか行こうと思いながら結局一度もドアをくぐらなかった老舗の洋食レストランがあった。


「ランチ前でまだ空いてるだろうし、行ってみるか」




レンガ造りのレトロな外観の店に到着し、重厚な木製のドアを開ける。

カランコロン、とベルの音が響いた。


「いらっしゃいませ。何名様ですか?」


フリルがあしらわれた制服を着たウエイトレスさんが、笑顔で出迎えてくれた。


「あ、1人です」

「かしこまりました。こちらへどうぞ」


案内されたのは、落ち着いたえんじ色のソファ席だった。


「ご注文が決まりましたらお呼びください」


渡された革張りのメニューを開く。


(もう、この辺りに来ることもそんなにないし、少し高いけどずっと食べたかったメニューを頼もう)


「すいませーん」

「はーい」


「昔ながらのオムライスとオニオングラタンスープ、アンチョビサラダをお願いします」

「はい、少々お待ちください」




注文を終え、俺は静かに店内を見渡した。


レトロな調度品、アンティーク調のランプ。壁に掛けられた大きな振り子時計が、静かに時を刻んでいる。

穏やかでゆったりとした時間。俺はお冷を一口飲み、その静寂の余韻を味わって時間を潰した。


「お待たせしました」


やがて、芳醇な香りを漂わせながら、料理が運ばれてきた。




「いただきます」


まずは、メインのオムライスからだ。


プルプルの半熟卵に、濃厚なデミグラスソースがたっぷりと掛けられている。スプーンを入れると、とろとろの卵がふわりと割れ、中から熱々のチキンライスが湯気と共に顔を出した。


ソースと卵、ライスを一緒にすくって口へ運ぶ。


「うまっ……」


舌の上でとろける半熟卵のまろやかさに、赤ワインと牛肉の旨味が凝縮されたデミグラスソースが完璧に絡み合う。中のチキンライスはバターの風味がしっかりと効いており、ゴロゴロ入った鶏肉とタマネギの甘みが絶妙なアクセントになっていた。


まさに原点にして至高のオムライスと言っていいだろう。




次は、熱々の器に入ったオニオングラタンスープ。


表面を覆うこんがりと焼き色のついたチーズにスプーンを差し込むと、トロリと糸を引く。その下からは、飴色になるまでじっくりと炒められたタマネギがたっぷりと入った琥珀色のスープが溢れ出した。


熱々のスープに息を吹きかけ、ヤケドしないように口に含む。


ブイヨンの深い滋味と、タマネギの限界まで引き出された強烈な甘みが一気に口内に広がる。スープをたっぷりと吸い込んでくたくたになったフランスパンと、香ばしいチーズの塩気が混ざり合い、胃の奥からじんわりと温めてくれる極上の一杯だ。




そして、箸休めにアンチョビサラダ。


シャキシャキのレタスとスライスオニオンに、アンチョビの強い塩気と特有の旨味がガツンと効いたドレッシングが絡む。この酸味と海の塩辛さが、オムライスとスープの合間の最高の口直しになり、再びスプーンを進める手が止まらなくなる。




オムライス、サラダ、スープ。完璧な黄金のトライアングルを無我夢中で堪能し、気づけば全ての皿が空になっていた。


美味かった。もっと早くに食べに来ればよかった。

満たされたお腹をさすりながら、俺は小さく息をついた。




正午近くになりランチタイムに突入した店内は、近くの会社から出てきたであろうスーツ姿のサラリーマンたちで途端に混み始めていた。


俺はジャマにならないよう席を立ち、レジで会計を済ませた。


「ごちそうさま。美味しかったです」

「ありがとうございました。またお越しくださいませ」


ウエイトレスさんの明るい声に見送られ、俺は店を出る。




ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

もしよろしければ、『ブックマーク』と『★評価』をしていただけると、ものすごく嬉しいです。

これからも頑張って更新しますので、引き続きよろしくお願いいたします!


ストック尽きるまで、7:00・12:00・18:00・20:00に投稿予定。

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