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A級一位は遂に退職を志す  作者: タラレバ


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第四話『日常に飢えるが故に』


 大通りに出れば、そこには人の群れがある。

 通りを走る誰の顔にも、安寧を思わせるものは無い。

 恐れと焦り。それらと似た何十もの感情を煮詰め、混ぜ合わせたかのような、そんな表情しか見受けられなかった。


 その殆どと、面識があった。

 奥を駆ける彼は、以前に酒場で酔った勢いで絡んできた青年。

 泣き叫びながら親を探す声を上げるあの子は、今朝すれ違った子供達の一人。

 どこか負傷しているのか、鈍い動きで必死に足を動かしている彼女は、長年片想いを続けていた人とようやく結ばれたのだと、そう幸せをかみしめていた近所のお姉さん。


 誰も彼も、似合わない表情で、王都の日常にはあり得ない必死さで、何かから逃げている。

 有象無象にも思える人の群れ。この中の全員に、今日一日の日常がある。今この瞬間までの、各々で異なる途方もない人生がある。


 そして、この刹那の瞬間に、皆同じ非日常に襲われている。

 王都の景色が吞み込まれていくその様は、見ていて滑稽ですらあった。

 あの日常は、こうもあっさりと壊されるのかと。その儚さに、憐憫の情すら抱いた。


「待てッ! 待ってくれ!!」


 一人の騎士が騒いでいた。

 統率の取れない烏合の衆へ、意味の無い避難誘導を義務として、されど懸命に取り組んでいた誇り高い彼等。


 自己主義の冒険者と比べ、遥かに他の為人の為にその剣を振るう彼等が騒ぐなど、ただ事ではない。

 それを分かっている大人達が、足を前へと進めながらも僅かに背後を見やる。


 子供が、喰われようとしていた。

 醜いオークの手の内に捕らえられた、幼いという域を出ない少年が居た。

 泣くことも忘れ、ただ恐怖に身を震わせる少年は、口を開く事もできやしない。


 はたして、大人達は何を考えているだろう。

 事ここに及んでは、他所の子供なんて知った事か、と吐き捨てて逃亡を続けるだろうか。

 我が身可愛さに子供を見捨てて逃げる自分を、彼等は肯定するだろうか。


 俺だったなら、逃げる。

 面倒事に関わるのは御免だし、それが命にかかわるような案件なら尚更だ。

 例え、相手が見知った顔の人物だったとしても、相手を見殺しにする事で自身の命が助かるのなら、俺はそうするだろう。


 だから、俺は英雄ではない。英雄にはなれない。

 本当の意味で英雄なのは――


「や、止めろ――!!」

「その子を離せ――」


 己の無力を知っていながら、命の危機に飛び込める彼等だ。

 見ず知らずの子供の為に、命を張れる彼等こそが。


 王都は平穏を享受していた。

 その安らかな甘味に、毒されていた。


 けれど、忘れられないものがあった。

 心に灯る意地があった。


 俺には無いその意地が、その意志が。

 彼等が、彼等の日常の中で育んだものなのだとしたら。


――それは、なんと尊く、守る価値のある景色なのだろう。










 避難一色。

 その筈だった人の流れが、逆流していく。

 たった一人の子供の危機に、人々の意識が一致する。


 嗚呼、確かにそれは気高いとも。崇高な想いであるとも。

 だが、彼等が群がったところであのオークには敵わない。

 虫のように蹴散らされ、悪戯にその命を弄ばれるだけだ。


 それを、騎士である自分が看過してはならない。

 なのに、何もできない。出来る事が無い。


 男には、奮起した市民の一揆を宥めるような話術も、求心力もない。

 このままでは、この地は地獄になる。

 鉄壁を誇る都でありながら、魔物の出現を許し、民を虐殺された不毛の地として歴史にその名を記される事になる。


 それは駄目だ。

 カーヴェルンの名を貶める事だけは、全身に染みこんだ騎士の誇りが、胸に光る魂が断固として許容しない。

 だが、そう粋がったところで――


「……チクショウ」


 民の前に立てずして、民を後ろに庇えずして、何が騎士か。

 無力さに打ち震える事など誰にでもできる。民である彼等が立ち上がっているのに、騎士であるお前は何をしている。


 ……違う。そうではない。

 そうではないと、男は分かっていた。


 ここで騎士の役目を果たしたとしても、未熟な己の剣ではあのオークの肉を断ち切れない。

 それどころか、時間稼ぎすらままならない。


 あのオークは強い。

 昨今の世界事情とも関係しているのだろう、明らかに通常個体をはるかに上回るポテンシャルを有している。


 勝てない。勝てる相手じゃない。

 ここで自分一人死んでも、状況が好転する訳でも無い。

 なら、全力で詰所へ走って援軍を求めることこそ、今男がすべき最善の行動だと、そう分かっていた。


――子供の為に命を投げ捨てる愚かな民達を見捨てる事が、最善なのだと。


「ンな訳……ッ」


 男は、分かっていた。


「ンな訳あるかぁ!」


 そんな最善に従えない自分を、男は知っていた。



 慣れない抜剣。

 金属音をかき鳴らし、男は鈍く光る鋼の刃をオークへ向ける。

 震える剣先、神道の発信源は自分の手元だった。


 恐怖に撃ち勝てた訳ではない。ましてや、恐怖を押しのけて勇気が勝った訳でもない。

 そこには、ただ義務感があっただけ。

 

 騎士として、民を守る。

 そんな当たり前の、崇高な義務があっただけ。

 そのつまらない義務感に、突き動かされた。


「――うぁああああああああああ!!」


 一歩、ヤツに近づいた。

 瞬間、生の終わりを確信した。


 二歩、ヤツがこちらに気付く。

 目が合った。醜悪なオークの顔面が、下卑た笑みを浮かべている。


 三歩――




「ったく、この街の奴等は馬鹿ばっかだな」




 ヤツの首が飛んだ。




 ◇




 呆気ない驚異の消滅は、感激よりも混乱を招いた。

 突如として消え失せたオーク。王都に恐怖をばら撒いた魔物が目の前で死んだと言外に語られても、誰もその事実を受け止めきれなかった。


 やがて、騎士の男が気づく。

 オークに捕まっていたあの子供が見当たらない。


 周囲に視線を巡らせる。

 人の群れで視界が埋め尽くされて、王都の景観なんて在って無いようなものだ。

 けれど、背の小さい子供は大人に混じれば自然と目立つ。

 オークの手から離れた子供が居れば、すぐに見つけられる筈だった。


 やがて、ふと気づいた。

 オークが立ち塞がっていた通りのド真ん中――そこに、男が立っている。


 獅子の如き金の髪。

 風に靡く外套は蛇に似て。

 剛健な男の肉体が、存在の力量を鮮やかに示していた。


 男の腕の中に、子供はいた。

 気絶してしまったのか、目を閉じて大人しくしている子供を、男は近くにいたご婦人へと預けていた。


「――さて」


 仕切り直すように、男は言う。


「もう大丈夫だ」


 気づけば、通りを塞いでいた魔物の群れが消えていた。

 男はいつの間にか、片手に剣を握っている。

 ついさっきまでは、両手で子供を支えていたというのに。


「後は、俺に任せな」


 男の言葉を皮切りに、歓声が王都を包む。

 聞こえてくる単語は、レオン・アークウェルという冒険者の名だった。


 その名は知っている。

 王国全土に名を轟かせる英雄の名だ。王国に仕える身である自分が知らない道理は無い。

 

 ……そうか。英雄とは、あんなにも力強く、頼り強いものなのか。


「――――」


 放心していた。

 突如として現れ、当然のように民から危機を遠ざける冒険者の姿。

 その英雄譚にも勝る光景に、見惚れていた。


 故に、魔物を狩り尽くさんとする直前。

 どこか、眩しいものを見るように目を細めて、こちらを振り返った男の視線に。


 騎士は、気づけなかった。



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