第三話『王都襲撃』
自らの心情とは裏腹に、現実からの評価が乖離していく。
現実とは、人生とは、やれやれ本当に思い通りにはいかないものだと、それを面白く思うように受け止める。
そんな余裕があったなら、俺は冒険者を辞めたいなどとは、そもそも考えなかっただろう。
「レオン様、ようこそお越しくださいました。お一人ですか?」
「ああ。席、空いてるか」
「はい。特等席を空けております。どうぞ、こちらへ」
時刻は既に午後4時。
日が暮れようと、準備運動を始める時間。
王都へ戻ってから真っ先に寄った冒険者組合にて、今回受けた討伐依頼と採取依頼の報酬は既に貰っている。
と言っても、討伐依頼の方は報酬が多すぎるので直接家に送ってもらう事となった。
そのため、手元にあるのは採取依頼の報酬だけだ。
受付で報酬金を手で受け取ったのは久しぶりだった。
自分の新人時代を思い出したのは、必然だろう。
追憶に耽りながら、今日は少し贅沢でもしようか、と昼食先を決めた。
冒険者として頑張ってきた自分を、褒めてあげたくなったのかもしれない。
「今日のおすすめは?」
「本日は、こちらの『夜紋牛の炭火ロースト~焦がし麦芽ソースを添えて~』がおすすめです。冒険帰りの冒険者様には、ピッタリの品かと」
慣れているように、というより、実際に慣れているのだろう。
店に入ってから席への案内まで、流れるように接客を行って見せたウェイターは、笑みすら見せてメニュー名を読み上げる。
気持ちのいいもてなしに、気分が高揚するのが分かった。
そうか。上等な接客というのは、こうも客側を浮足立たせるものなのか、と。
人知れず、納得する。
「いいチョイスだ。では、これを貰おうか」
「かしこまりました。お飲み物はいかがなさいますか」
少しだけ、思案する。
洒落た料理名ではあるけれど、素材に目を向けなければ出される品はローストビーフである。
ならば、とりあえず肉料理に合いそうな飲み物を頼めばいいだろうか。
「エールを」
答えると、深くお辞儀をしてウェイターは引っ込んでいく。
ふぅ、と息を一つ。案内された席は、窓際の一等席。ここからは、王都の大通りがよく見えた。
老若男女を問わずして、人通りの多い王都は見ていて飽きないが、ジッと見ていると少し疲れてくる。
今朝挨拶を交わした子供達は、もう家に帰っている頃だろうか。サンドイッチをくれた店主は、ディナーの仕込みに入っているかもしれない。
あの新米受付嬢は依頼を終わらせてきた冒険者達の対処に追われ、イシュアはそれをサポートする。
うん。想像し易い日常だ。
この王都では、そんな日常が、あの田舎村とは比べ物にはならない数を成して、それこそ人の数だけ流れている。
あのウェイターも、開店から多くの客を捌いてきた筈だ。
それなのに疲労感の一つも見せないのだから、そのプロフェッショナルは称賛に値する。
「――ん?」
ふと、何か妙な気配がした。
気配の主は、この店内には居ない。
王都内には居るようだけれど、場所の特定はできなかった。
気配がしたのは、たった一瞬という時間だけ。
逆探知なんて器用な真似は、残念ながらできる気がしない。
気配からは邪悪なものは感じなかった。
むしろ、神聖さすら感じた程だ。魔物の類とは、大きく離れている。
「ま、いいか」
……面倒事には、もう関わりたくないし。
邪なものは感じなかったのだから、それで良しとしよう。
そう結論付けて、再び思考を窓の外へと移す。
人の多い風景は、何度見ても慣れなかった。
「――お待たせいたしました」
都合、10分。
待たされはしたが、時間が進む度に料理への期待が底上げされていく至福のひと時だった。
もう少し時間がかかっても、きっと不満は無かっただろう。
「『夜紋牛の炭火ロースト~焦がし麦芽ソースを添えて~』、でございます」
届いた皿からは、キャラメルを彷彿とさせる甘い香りがした。
皿の中心に鎮座する肉の表面は、炭火で焼き絞められた黒褐色。
鼻先を擽る甘苦い香りは、品名通り添えられたソースから。黒麦の香りがエールのものとリンクする。
……こういう香りを、芳醇と言うのだろうか。
語彙に乏しい自分を、つい恥じる。
「ごゆっくり、お召し上がりください」
礼をして去っていくウェイターを見送って、早速ナイフとフォークを手に取った。
牛肉に切れ込みを入れると、粘度のある肉汁がとろりと皿に流れ出る。
切り口は、宝石のような深紅。艶のある赤は、まるで夜の光でも吸ったかのようだ。
口に含むと、カリッとした表面を歯が突き抜ける。
中はしっとりとして、噛めば噛むほど肉の繊維が解けていく。
味わい甲斐のある、いい肉だ。
素材の味、なんてのは安直な言葉かもしれないけれど。少なくとも、添えられたソースも料理の焼き加減も、この肉の真価を存分に引き出しているように感じた。
「――む」
……今日はやけに気配が多いな。
口から漏れ出そうな息を、すんでのところで呑み込む。
料理を食べた直後にため息だなんて、料理人にもウェイターにも失礼だ。
それに本当に美味しかったから、この料理の前では息なんて吐きたくはない。
気配の主は、先程感じたものとは違う。
これは――。
「……魔物か」
◇
王都カーヴェルン。
ヴァルステイン王国の首都であり、王国経済の中心地。
その重要性故に、都市は堅牢な壁で囲まれ、四方に設置された関門は騎士団により防衛されている。
魔物の群れが近づこうとも、それらが王都へ足一歩でも侵入し得る事は無い。
そう断言できるだけの難攻不落を誇る城塞都市――それが王都カーヴェルンだ。
外敵を寄せつけぬ頑強な壁。
囲まれる側としては、充足した安心感を強く覚えるものだ。
魔物溢れるこの世において、王都がこうも活気づいている事実こそが、王都の住民が甘受している安心安全を裏付けている。
「ギャギャギャギャガァアアアアア!!」
故にこそ、内に出現した脅威に対して対処が遅れる事は、至極自然と言えた。
外の守りは固くとも、内の脅威に対しては動きが鈍い。
加えて、守るべき対象が多すぎる。
王都内の巡回騎士が舌打つのは、無理もない。
「チッ、コイツ等一体どこから――」
「考えるのは後だ! とにかく手を動かせ!」
王都の住民が魔物を直に目にしたのは、はたして何年ぶりだろうか。
もしかすれば、王都内には魔物なんてものを見た事は無い、なんて子供も居るのかもしれない。
普段なら、騎士であれば皆が胸に誇る王都の平和。
しかし今は、その平和が奪った民達の持つ危機感が、厭に恋しかった。
「道を戻らないで! 焦らず進んでください!」
人型の動く石像――ゴーレムを相手取る赤毛の騎士を尻目に、住民の避難誘導を優先する。
だが、滅多に無い非常事態に混乱しているのか、住民達は我先に逃げ切らんとばかりに全力で道を駆けていく。
人と人の衝突が大通り全体で発生し、聞くに堪えない罵詈雑言がそこかしこから聞こえてくる。
耳を塞ぎたいと思ったのも束の間、泣きながら流れとは逆方向へ歩く子供の影が目に留まり、騎士の顔面が青ざめた。
「待って! そっちに行っちゃダメだ!」
喧騒で声が掻き消される。
駆けつけようにも、人の流れが激しすぎて子供の下へは近づけそうもなかった。
そうして、
「ギャギャギャ――!」
子供が醜く太り果てた猪を思わせる二足歩行の魔物――オークに首根っこを掴まれて持ち上げられる様を、目にした。
王都のあちこちから、騒音が湧いている。
魔物が出現した場所は、どうやら大通りだけではないらしい。
四方八方から聞こえる悲鳴と怒声。
王都という安全地帯。平和を謳歌していた内側の人間は、突如としてやってきた恐怖に呼応して、感情のままに逃げ出していく。
そこには秩序も治安もあったものではない。
生存本能が身体を突き動かす。
防衛本能が身体を硬直させる。
理性ある動物から、野生に帰った生物のように。
再び恐怖を思い出した人間は、唐突に降ってきた無秩序を受け止めきれずに錯乱していた。
その余波は、当然王都内にあるレストランにもやってくる。
店内は酷いものだった。
外から聞こえてくる叫喚と伝わる混沌。
王都で何かしらの大事件が起こっている事くらいは、容易に把握できた。
客達がウェイターに言い募る。
外で何が起こっているのか。何が外で暴れているのか。どうして騎士団は動いていないのか。
聞きたくないのに、訊くしかない。知りたくないのに、尋ねてしまう。
好奇心から来る問いではない。安心感を得る為の、安堵を得る為の確認
しかし、それを誰かに訊ねたいのはウェイターも一緒だったろう。
正しい答えは返せず。そもそも知らず。
ただ顧客相手に落ち着いて下さい、としか言葉を返せない。
もどかしさと不安が焦燥を生んでいた。
日常が壊されたという実感が、じりじりと近づいてきていた。
次の瞬間に、外と同じようなパニックが店内で起こっても誰も驚かなかった。
そうして、カチャッ、とカトラリーを置く音がやけに鮮明に響いた。
「――ご馳走様でした」
場違いなくらいに礼儀正しい声だった。
この場に居た全員が、音の鳴った方へ同時に振り向く。
「持ち金全部置いてくから、お勘定はそこから頼む」
よいしょ、と。
椅子の近くに置いていた鞄を手に取るように、男は壁に立て掛けていた美麗な大剣を軽々と持ち上げる。
そのまま大剣を右肩に置き、静かに店の出入り口へと歩み寄る。
途中で、件のウェイターとすれ違った。
「悪いな。本当はもっと味わって食べたかったんだが」
「いえ。私共は何も。シェフ達もきっと、理解を示してくれるでしょう」
というより、泣いて感謝するでしょうね――喉の奥を鳴らして、ウェイターが小さく笑う。
それに返すように、男は歯を見せて豪快に笑んだ。
「じゃ、行ってくる」
軽快に、清々しく。
食後の運動にでも出かけるように、男は店の外へと足を踏み入れて、進んでいく。
遠ざかる男の背中に、ウェイターは礼儀としてではなく、心から湧き出る敬意のままに、重々しく頭を下げた。
「――ご武運を」




