第二話『飽きるとかの問題じゃない』
一口に冒険者依頼とは言っても、その分類は多岐に渡る。
薬草や鉱石の採取依頼、魔物やゴーレムの討伐依頼。その中で大きく分けるなら、この2つが主軸となる。
難易度、危険度の面で語るならば、やはり討伐依頼というものは総じてリスクが高い。
それ故に報酬も高いが、安全面の保証は自己責任だ。
安心安全、それでいて堅実。そう言った側面で評するなら、主だった採取依頼は生還の確実性は保証されていると思っていい。
無論、全てが全てそうという訳でも無い。秘境や魔境、異界としか思えぬような場所に自生する植物もある。それを手に入れる為ならば、死すら覚悟しなければならないだろう。
けれど、そのような依頼はごく一部。総じて言うのなら、やはり採取依頼は安全だと言っていい。
その代わりに、報酬は討伐依頼と比べれば少ないものが殆どだ。
「ヴォオオオオオオオオ――ッ!」
眼前に獣が佇んでいた。
足が4本。四足獣だ。
頭部は獅子を思わせる獰猛な相貌。しかし、その胴体は山羊を彷彿とさせる俊敏性を放つ。
鞭のようにしなる尻尾は、並ぶ木々を僅か一振りで悉く切り倒し、かの獣に遮られぬ白き陽光を浴びせている。
――キマイラ。
「ったく、おっかねぇな」
最近発見された、新種の魔物。それがキマイラだ。
新種故にその生態、生息地は未だ不明。分かっているのは、奴等は突如として人の文化圏に出没し、それでいて人間を主食とする魔物の一種であるという事だけ。
既に王国内でも幾つもの村々が奴等の腹の中に収められていた。
討伐の理由は充分。しかし、討伐方法は今のところ力技でしか叶わない。
故に、俺に白羽の矢が立った、という事なのだろうが……。
「俺、採取依頼がやりたかったんだけどな……」
思わずため息が漏れる。
冒険者組合にて、受付への挨拶を終えた直後。
依頼の張り出されている掲示板へと真っ直ぐに向かった俺は、それはもう安全性を重視して依頼を探していた。
A級冒険者。未来の英雄候補。
そんな肩書を得るために、10年という歳月が過ぎた。
もう既に、レオン・アークウェルは冒険者として大成できたと言っても過言ではない。
つまり、何が言いたいかといえば、
「もう冒険者飽きた……」
そういう事であった。
「オオオオオオオオオオオオオオッ!!」
地面すら震わせる咆哮と共に、キマイラが突進する。
獣が地を蹴る度に、地面が抉れる。地が削れる度に、加速していく。
牙を剝き出しにした魔の獣は、とっくに音速を超えていた。
――しかし、相手が悪かった。
「――――」
A級冒険者、レオン・アークウェル。
冒険者組合が定める冒険者階級。
そのトップから、一つ落ちた地位に収まる男。されど、そのトップに最も近い男。
彼こそは、A級の中でも頂点に位置する未来の英雄。
かつて冒険者組合が発表した依頼達成率。S級すら超え、冒険者の中でも随一の依頼成功数を誇る英雄候補。
「いい速度だった。魔物じゃなけりゃ、相棒にしたかったくらいだ」
餌を前に涎を垂らす獣。それを、棒立ちのまま眺めていたはずの男の手には、いつの間にか大剣が握られていた。
獣の身体が割れていく。
数多の冒険者を返り討ちにしてきた百戦錬磨の獣は、斬られた事にすら気づけぬまま意識を失った。
命の灯が消えていく獣の瞳を一瞥し、男は静かに瞑目する。
何かに祈りを捧げるように。
――冒険者辞めてぇええええええ。
喉の奥、胸の内。
そんなところから這い出ようとする言の音を噛み締め、どうにか堪える。
A級冒険者、未来の英雄候補。
嗚呼、耳心地の良い言葉だとも。それだけに、些か背負い続けるには重すぎる。
時が経ち、背丈が伸びたとしても、俺の性根は田舎村の夢見る少年だった頃から何も変わっていない。
身の丈に合っていない地位も、大金にも興味は無い。
俺はただ、飽きる事の無い日々を過ごしたかっただけだ。
先程、冒険者には『飽きた』と言った。
撤回しよう。正確には――飽きる飽きない、などと問答している暇がない、だ。
『冒険者は、飽きねぇ』
……あの男の言葉は正しい。
冒険者という職業は、飽きる暇がない。
冒険者依頼を受け、遂行し、冒険者組合に寄ってから帰宅する。
俺の王都での10年は、殆どがこの過程の繰り返しだった。
しかし、繰り返しとは言えどもルーティンという訳でも無い。
受ける依頼内容は日々変化する。全く同じ冒険者依頼は無く、似通っている依頼を受けたとしても、冒険にはアクシデントが付き物。
冒険者に定期業務は無い。月日を重ね、熟練した冒険者であっても、幾度となく新たな出会い、新たな体験、新たな世界に遭遇する。
だから、冒険者には飽きが無い。
……嗚呼、求めたとも。
退屈の無い日々を。彩に満ちた日々を。あの頃の俺は、ずっと求めていたとも。
だが、そう。言うなれば少しだけ――
「疲れたぁああああああ! 疲労感マックスだよ、こんちくしょぉおおおおおおおおお!」
10年。
その長く遠い歳月は、激動の毎日で埋め尽くされた。
ゴールの見えない道を、走って走って走り続けて。
そもそも、俺は何をゴールとしているのかを考え始めた時――俺はただ、道を走る、という行為をしてみたかったのだと。
そんな、知らぬ間に抱いていた憧憬に気が付いて、ふと糸が切れた。
否、我に返った。
「冒険者って危ないよ。下手したら死んじゃうし疲れるし。ぶっちゃけコスパが悪すぎる」
なんとも夢の無い悟りであった。
決して、冒険者という職業が嫌いになったという訳ではない。
熱が冷めたという訳でも、魅力を見出せなくなったという訳でもない。
やはり、満足した、というのだろうか。この気持ちは。
山盛りに積まれた絶品料理をようやく食べ尽くして、すっかり堪能したと、楽しめたと。
そう、誰かにお礼を言いたくなるような、そんな感覚。
お礼を言う相手は、俺の場合はきっと、俺に夢を与えてくれたあの冒険者の男になるのだろうか。
「退職したい……退職したいんだが――」
想起するは、先程の受付での出来事。
採取依頼の依頼書を持って行った俺を、イシュアは温かく受け入れた。
だが、それも依頼書に目を通すまでの事。
手渡した依頼書をジッと見つめた後、ふとイシュアが顔を上げる。
視線が交差する。
次第に、イシュアの目元に皺が寄る。
そして、
『レオンさん……気を遣う必要は無いと、以前にも説明したと思うのですが』
――え、と声を出す暇もなかった。
気づけば、依頼書は押し返されていた。
目にも留まらぬ早業。A級冒険者もびっくりである。
『確かに、現在王都では薬草の在庫が不足しています。魔物の被害が増えていることから、常時の医療体制では限界がきているとも危惧されています。けれど、だからと言ってレオンさんが自ら薬草を取りに行くほどではありません』
そんな配慮は微塵も無かったのだけれど、とは口にできなかった。
言われてみれば、確かに王都で売られている薬草の値段は漏れなく値上げされていた。
大方、店主が欲をかいたのだろう、と思っていたが、問題は国事情柄であるらしい。
普段は薬草を使う機会が無い故、その背景にまで目がいかなかった。抜かった……っ!
『そこまで配慮ができる余裕があるのなら、体調は万全のようですね。今回は、ぜひレオンさんに片付けてもらいたい依頼がございます』
そんな危なそうな依頼はまっぴらごめんだ――と言い返せたなら、俺は今ここに立ってはいない。
いつの間にか、周囲から寄せられる視線が増えていた。
王都の冒険者組合、そんな場所に長く居れば次第に人が増えてくる事なんて自明の理。
己の不覚を呪いつつ、どうにか採取依頼を受けられるよう言い募った。
『確かにそうかもしれないが、困ってる人らが居るのは確かなんだろ。なら、誰かが助けるべきなんじゃないか?』
白々しい主張であった。
よもや感情論に頼ろうなど、きっとイシュアも呆れただろう。
それでも、死ぬ危険のある依頼なんて受けたくなかった。
切実な祈りを瞳に込めて、イシュアと見つめ合う。
すると、仄かに頬を赤く染めた彼女は、もう一度俺の手から依頼書を取っていった。
――祈りが、通じた……!?
『……分かりました。それでは、規則に反しますが特例として認めましょう。こちらの依頼を遂行途中に、そちらの採取依頼を処理する事を許可します。これなら、問題ないでしょう』
問題大有りです。
全身から力が抜け、地面に崩れそうになったが、寸前で耐える。
まだだ。まだ、勝負は終わっていない……!
『それ、イシュアに権限はあるのか。お前が受付から居なくなるのは、寂しいぞ』
『今度は私に配慮ですか。全く、懲りませんね……』
懲りるも何も、覚えが無いのだから仕方がない。
今回ははたして、俺は誰を慮ったのだろう。
『問題ありません。私も、あの新人時代からは卒業しているんです。その程度の権限は、組合長より与えられています』
ふん、と胸を張るイシュア。
その時、俺は負けを悟り、笑みを作った。敗者に相応しい、諦めの笑顔を。
「辞めたい、なんて言い出せねぇよな、あんなの…」
空は晴天。今朝と同じ空ではあるが、日の位置が高くなっている。
丁度、お昼時といったところ。思っていたよりも早く片付いたらしい。
採取依頼はとうに終えている。
おまけとして付いてきた討伐依頼もまた、この通り。
もう既に帰っていいくらいだが、昼の王都は何処も人で溢れている。
A級冒険者として、名の売れた俺が行けば騒ぎになるだろう。顔見知りに迷惑はかけたくない。
「退職できたら、挨拶回りに行った方が良いんだろうな。手土産何にするか考えとこ」
そも、本来ならば退職する必要など無いのである。
冒険者は、その職務上仕事に関わること全てが自己責任。
そうであるからこそ、冒険者は自由であり、蛮勇であり続ける。
どこまでも個人の裁量で行けてしまう。
故に、仕事をしない冒険者というのも一定数存在する。
俺もぜひ、そう在りたいものだ。
「……さて」
憧れに胸焦がれていても仕方ない。
王都に戻るのは、人混みのピーク時を過ぎてからがいい。大体、午後3時くらいが頃合いだろう。
それまで、のんびりと散歩でもしようか。
「空って綺麗だなぁ」
今朝と変わらず。
或いは、変わったのかもしれないけれど。
その違いに気付けない程に、人間の目から見る空は雄大で、美しかった。




