第一話『冒険者組合』
冒険者は死と隣り合わせ。常に危険が身に降りかかる。
当然だ。冒険者とは即ち未知へと挑む者。見たことも無い世界へと足を踏み入れる者の事を示す。そこに危険が付きまとうのは、至極自然な事と言えた。
「あ! レオン兄ちゃんだ!」
「レオン兄さーん!」
王都の大通りを歩いていると、近くを通りかかった子供達に声をかけられた。
レオン・アークウェル、25歳。今の俺の名前と年齢、つまり俺の全存在を構成する2つの要素だ。
「おう、躓いて転ぶなよ」
何が面白いのか、そう返すと笑って走り去っていくあの子供達の背中が酷く遠く映った。
平穏に生きる彼等。親に守られ、すくすくと育っていくだろう彼等。
俺にもそんな時期があったと感慨に耽り、そんな過去の未練を断ち切る様に足を進める。
「おっ! レオンの旦那、今日はいい白身魚が入ってるよ」
時刻は早朝。大通りに並ぶ名店達も今は息を潜めている最中、何故か一つだけ開店準備を始めている店があった。
「なんだよ、モーニングでも始めたのか?」
「ははっ、出せるもんは少ないがね」
朗らかに笑う店主の親父さんは、「ちょっと待っててくれ」とだけ言って店の奥へと引っ込んでいった。
別に先を急いでいる訳でもない。この清々しい青天の下、顔馴染みの親父さんが何か見せてくれるというのなら、それを楽しみに待つというのも趣があるように思えた。
ほんの数十秒後、再び店頭へと姿を見せた親父さんは、手にサンドイッチを掴んで持ってきた。
「ほら、レオンの旦那には世話になりっぱなしだから」
「え……いや、悪いし良いって。別に何か世話した覚えも無いし」
親父さんが持ってきたのは、野菜と一緒に白身魚の刺身が挟まれたサンドイッチ。少し柑橘系の匂いが香る事から、きっとレモンか何かも一緒に挟まれているのかもしれない。
「何言ってんだい。前にチンピラに絡まれていたところを助けてくれたじゃないか」
「アレは別に見返りが欲しくてやった訳じゃねぇんだけどな」
親父さんの笑顔がやけに眩しくて、つい目を逸らした。
あのまま見続けていたら、失明していたかもしれない。それくらいには眩しかった。
「いいから。俺が旦那に恩返ししたくてたまらないんだよ、受け取ってくれ」
「……そうかい。なら、ありがたく」
親父さんからサンドイッチを受け取った。すると、嬉しそうに頬を綻ばせた彼は、開店準備があるからと店の奥へ戻っていった。
「頑張れよ! 王都の英雄!」
そんな、荷の重い声援を残して。
「……美味ぇ」
刺身がメインとして挟まれたサンドイッチは、口に入れると随分とあっさりとした爽やかな味わいで、モーニングのメニューとして出すにはピッタリだなと素人ながら思う。
それからも、大通りを進む度に横を通り過ぎる人から声をかけられ、憧れの目を向けられる。
嫌じゃない。むしろ嬉しい。だから、一人一人に対応して、返事をして、格好をつけた。
そうやって居ると、いつの間にか冒険者組合に着いていた。あっという間、という訳じゃない。というより、普通に歩いてくるよりも余程時間がかかっている事だろう。
それでも心が満たされていたから、良いと思えた。
良いと思えたと、同時に――
「これから冒険者依頼か……面倒くせ」
この先に待ち構えている不幸に対して、既に心が帰りたがっていた。
冒険者は死と隣り合わせ。
どうかこの先に待ち受ける不幸が、生涯の終焉ではありませんように。
◇
冒険者組合。
その名の通り、冒険者を取りまとめ、管理する組織。
俺も既に10年という長い月日、この冒険者組合のお世話になっている。
中は随分と賑わっていた。
ここは王都カーヴェルン。ヴァルステイン王国の首都にして、冒険者の聖地。
人が集まらない方がおかしいと言える。
冒険者組合に来て、まず最初にすべき事。それは、受付に挨拶に行くことだ。
無論、全ての冒険者が俺と同じことをするなんて事は無い。むしろ、俺のように挨拶だなんてまどろっこしい事をするのは少数派だろう。
それでも、両親から他人との関係は良好に保っておきなさいと教えられたこの身。仕事の同僚、或いは取引先に近い関係にある組合の人間に対して、礼儀を示さないというのは憚られた。
「おはようさん。今日もよろしく頼むぜ」
10年という月日。それは、一人の新参者が古参になるのに十分な時間。
かつては受付の人に対して敬語を使っていた俺も、次第に砕けてしまった。というより、砕けざるを得なかった。
そうしないと、冒険者全体の面子が立たなくなる。そう、教えられた。
「レオンさん!? お、おはようございますっ!」
やけに大声で返された。
耳にキンキンと響く高い声。反射的に顔を顰めてしまう。
「あ、あぁっ! す、すみませんすみません!」
「あぁ、いや。気にすんなって。そうだよな、いきなり冒険者に声かけられたら怖いよな」
冒険者組合の受付は、基本的に女性が担当する。
それは、男性の割合が多い冒険者という職業において、冒険者達のやる気を出来る限り底上げする為の、冒険者組合の方針だ。
けれど、受付嬢に就いた女性からしてみれば、そこは屈強でありながら冒険者などというハイリスクな職業を選ぶような、無法者達を相手取らなければならない立場。
一女性の身でありながら、彼等を前に堂々とした態度を貫く。その姿勢を手に入れる為には、それなりの経験と胆力が居る。
見たところ、この子は受付嬢としては新米もいいところ。
受付の空気を探れば、すぐフォローに入れるよう近くにベテランの受付嬢が待機しているのが分かった。
「悪かったな。これから頑張れよ。おかしな奴に絡まれたら、すぐ言ってくれ。何とかする」
用もないのに、下手に声をかけるべきじゃなかった。新人さんじゃ、そう言った気軽な応対は難しいだろう。
自らの失態を自覚し、即座にフォローに回った。新人さんの、ではなく俺のフォローに。
新米の受付嬢――今も緊張に身体を震わせている彼女は、受付に立っているという事は簡単な事務作業なら滞りなく処理できる能力は持っているのだろう。
冒険者依頼の受理や、報酬の受け渡し。その2つが出来ていれば、受付嬢として最低限の責務は果たせる。
逆に言えば、その2つ以外の業務についてはまだまだ勉強中と言ったところ。そんな彼女の立場で、古参の冒険者からちょっかいをかけられたとしたら。
……うん。戸惑うのも無理はない。
「えっ!? あ、えと、べ、別にレオンさんが怖かったという訳じゃ――!」
彼女の俺に対する心象は、果たしてどうなっているだろう。
冒険者と受付嬢。
両者の関係性はビジネスライク。プライベートで関わりを持つことはまず間違いなく無い。
では、そこに感情が入り込む隙は無いのか、と言えば、当然そんな事も無い。
受付嬢も冒険者も、どちらも同じ人間だ。公私混同を避けようと思っても、完璧にというのは難しい。
故に、受付嬢とは良好な関係を保つに限る。
別に距離を縮める必要は無い。ただ、嫌われるのも疎まれるのも、デメリットにしかならないという話。
だからこそ、挽回はできないにしても彼女からの心象回復には全力を尽くすべきだ。
「レオンさん。新人を揶揄うのは、どうかそこまでに」
あたふたと両手の位置を彷徨わせ、何やら顔を赤くして言葉を並べ立てている新米受付嬢。
惜しいのは、早口過ぎて上手く聞き取れないという点だ。
どうにか聞き取らねばと努力したのだが、その前に例のベテラン受付嬢さんがやって来てしまった。
見るに見かねて、という事だろうか。
「済まない。どうやら、俺もまだまだ自覚というか、自分を客観視できてなかったみたいだ」
「そうですね。レオンさんはもう立派なA級冒険者なのですから、自覚をしてくれないと困ります」
面目ない。
「それでは、リゼ。ここは私に任せて、貴女はあちらの冒険者様の対応をお願いします」
「えぇ!? わ、私もレオンさんと――」
何事か言い募ろうとした新人さんは、こちらのベテラン受付嬢様の一睨みですごすごと立ち去る事となった。
可哀想に。怖いよな、この人。
「改めて。ようこそ、冒険者組合へ。ご依頼のお探しですか?」
恐ろしく切り替えが早い。
相変わらず、と言っていいのか。彼女はベテランでありながら、その仕事振りは新人の頃と何ら変わりない。
そう。新人の頃から、彼女はベテランと遜色ない受け答え、処理速度を維持していた。
俺が出会った時から、そうだった。その癖全く感情を表に出さないから、『氷の受付嬢』だなんて呼ばれていたっけ。
「ああ。と言っても、今日は自分で見繕う気だったからな。ただ挨拶に来ただけだ」
「そうでしたか。相変わらず、レオンさんは変わったお人ですね」
「どういう意味だ、それ」
問いに答える事もせず、ベテラン受付嬢は薄く笑った。
こうして彼女が笑みを見せるようになったのも、つい1、2年前からの事だ。それまでは、本当に凍らされているのかと勘違いしてしまうくらいに表情筋が動いていなかった。
彼女もまた、昔と比べたら変わったお人だ。
「またな、イシュア。後で世話になる」
「えぇ。お待ちしています、レオンさん」
ピシッと伸びた背筋が、ピッタリ45度といった角度に傾く。
正確、丁寧。そんな単語がよく似合うお辞儀に、こちらも礼儀正しく返したくなるけれど。
レオン・アークウェルはA級冒険者。
この王都の冒険者組合において、最もS級という英雄に近い英雄候補。
故に、格下の者に過剰に礼を尽くすべきではない、と。未来の英雄として、らしく在ってほしいのだと。
俺は、そう教わり、そう願われた。
目の前の受付嬢――イシュアに、そう祈られた。
だから、手を振るのみに礼儀は収める。
それも必要無いと言われたが、彼女達に対して何も返さないというのは気が休まらなかった。
「A級か……」
重い。実に重い肩書だった。
少なくとも、他ならない俺にとっては。英雄候補だなんて呼び名は、未来の英雄だなんて声援は――
「超重ぇ……」




