第四話 聖炎聖戦
教会は、町の西のはずれにあった。
町を見下ろす丘の上に建つ古い石造りの建物。中は外よりもさらに冷えていた。祭壇の上で蝋燭がいくつか揺れていて、ほかに光源はない。長椅子が整然と並んでいる。
「久遠万」
男は中央の通路を進みながら、振り返りもせずに名乗った。
「君は?」
「月見里……月渚です」
「月見里月渚」
万は確かめるように繰り返した。
最前列まで来ると、万は肩紐から腕を抜いた。黒い包みを長椅子の座面に横たえ、そこから手を離す。
鎌は、その長椅子の背に立てかけた。
月渚は通路の途中で足を止めていた。
万が祭壇の前で振り返る。蝋燭の灯が下から顔を照らし、灰色の瞳が濡れたように光った。
「では、約束を果たすとしよう」
万は次のように語った。
この世界には代行者と呼ばれる者たちがいる。死神に代わって生者に死を与え、死者の魂を導く役目を負う一族。各家に一振りずつ、死神の鎌が伝わっている。魂を狩り盗るための刃であり、家ごとに異なる力を宿している。
代行者が狩り盗った魂は、魂の聖炎によって浄化され、天へ還される。それが本来の在り方だ。
月渚の視線が、最前列の長椅子へ動いた。
黒い包みが、蝋燭の光が届かないところに横たえられている。輪郭だけがうっすら見えた。
「月見里月渚」
万が言った。
「聞いているかね」
「……はい」
月渚は正面に向き直った。
それから、すぐ横の長椅子に腰を下ろした。後ろから三列目だった。膝から下に、もう力が入らなかった。
ただし、十三年に一度、七日間だけ。
八人の代行者の魂を捧げることで、その炎は姿を変える。
「生命に関するありとあらゆる願いを叶える炎に。死者の復活、不治の病の完治、不老不死。聖炎の前では、そのどれもが等しい」
「――死者の、復活」
月渚の声だった。
万の口角が上がった。
「そう。死者の復活だ」
万は長椅子の背に手をかけた。
「九人の代行者が、魂の聖炎を求めて殺し合う。それが、聖炎聖戦。君が今夜目撃したものの正体だ。天之宮陽奈もまた、その一人だった」
月渚は目を伏せた。指がスカートを強く握っていた。
「質問は」
万が言った。
月渚は口を開いた。
訊きたいことは、たぶんいくつもあった。どれから訊けばいいのかも、何を訊くべきかもわからなかった。
頭に残っているのは、さっき聞いた言葉のうち、たったひとつだけだった。
「……ありません」
「そうか」
万が喉を鳴らして笑った。
「そして今、君の前には二つの道がある」
万の声が、少し低くなった。
「一つ。君も代行者としてこの戦いに加わる。勝てば願いが叶う。天之宮陽奈は、蘇る」
万は最前列の長椅子のほうへ、手のひらを向けた。
月渚が顔を上げた。
万はまっすぐ、こちらを見ていた。
「……できません」
月渚の声は、途中で一度切れた。
「わたしに、そんなこと。戦うなんて、できません……」
「そうか」
万はあっさりと頷いた。
「では、二つ目だ。君は日常に帰る。ただしその場合。今夜、僕が語った真実と――天之宮陽奈に関する記憶の一切を、改竄させてもらう」
月渚の唇が開いた。
「……えっ?」
「君の中から、彼女はいなくなる。悲しむこともない。苦しむこともない。そもそも、彼女がいたことすら思い出せなくなる。ある意味では慈悲深い選択だと思うがね」
「――いやです!」
月渚は立ち上がっていた。長椅子が床を擦る音がした。
「それだけは、絶対にいやです」
「ほう……」
「忘れるくらいなら――」
そこで言葉が止まった。
万は待っていた。急かしも促しもせず、蝋燭の灯を眺めている。
「少し……考えさせてください」
「好きにしたまえ」
月渚は長椅子に腰を下ろした。
両手を膝の上で組む。組んだ手を見つめる。それから目を閉じた。
閉じたまま、月渚の手が首元へ伸びた。紅いマフラーを握る。
握ったまま、動かなかった。
蝋燭が一本、音を立てて短くなった。
月渚は目を開き、立ち上がった。
「戦います」
「よろしい」
万は長椅子の背から鎌を手に取り、月渚のほうへ差し出した。
陽奈が持っていたもの。あの公園で転がっていたものだ。
「天之宮家に伝わる死神の鎌、幻想の鎌だ。契約者が抱く幻想を現出する力を宿す。現在の契約者は死亡し、契約は失われている。――手に取りなさい」
月渚はゆっくりと万の元まで歩いた。そして手を伸ばす。指先が震えていた。
柄に触れた瞬間、月渚の身体が跳ねた。
流れ込んでくるものがあった。映像とも、音とも、感情ともつかないものだった。見知らぬ誰かの視界。誰かの手の動き。誰かが幾度も繰り返した呼吸。それが何十、何百と折り重なって、沈んでいく。
息がつまった。
やがてそれは静かになり、あとには奇妙な感覚だけが残った。知らないはずのことを、知っている。やったことのないことを、身体が覚えている。
――その中にひとつ、あるものが混じっていた。
夜、芝生の上。必死に誰かの姿を描こうとしている感覚。
月渚の指が、柄を強く握り直した。
それ以上はわからなかった。誰の記憶かも、何を思っていたのかも。ただ、最後まで何かを現し出そうとしていた、その手つきの必死さだけが残っていた。
「契約は完了した」
万が言った。
「聖炎聖戦は、今日を含めて七日間」
万は懐から小さな手帳と万年筆を取り出した。
「連絡先を。追々、伝えることもあるのでね」
月渚は番号を告げた。万は書き留めると、確かめもせずにしまった。
「健闘を祈る。月見里月渚」
万は黒い包みを抱え上げた。
「彼女は、僕が預かる」
月渚の足が、半歩前へ出た。
「聖炎がその姿を変えるまで、傷まぬよう管理する。君が勝ち残れば、そのまま返そう」
月渚は口を開いた。何も言わずに閉じた。
月渚は鎌を見下ろした。
継承された記憶をたどるように意識を向けると、鎌は輪郭を失い、霧のように消えた。手のひらには何も残っていない。
月渚は一礼して、教会を出た。
◇
扉が閉まる音を聞いてから、万は笑い出した。
声を抑える必要はない。ここにはもう誰もいない。
万は永い時間を生きてきた。十三年ごとに繰り返されるこの祭りを、幾度も見てきた。初めのうちは、それは確かに万を退屈から解放してくれた。あらゆる願望と願望が激突し、命共々散っていく。その瞬間だけ、万は満たされた。
だが、それも繰り返せば飽きる。
筋書きはいつも同じだった。訓練された代行者たちが家系の力を使い、順当に強い者が勝つ。願いの中身が変わるだけで、物語の形は変わらない。
そこに一人、素人が十人目として紛れ込んだ。
数時間前まで鎌を握ったこともなかった、樹の陰で震えていただけの少女が。
万は携帯電話を取り出した。
「――新たな代行者が加わった。此度の参加者は、これで十人。以上」
同じ言葉を、残る代行者たち一人ずつ伝えていく。
全員に伝え終わるまで、万の口元は上がったままだった。




