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第十五話 陽陰

 棚から、中学の卒業アルバムを引き出した。

 表紙を開く。

 一年生のページ。体育祭の写真に、月渚(るな)が写っている。列の端にいて、上半身の半分が隣の生徒の肩に隠れていた。

 次のページ。校外学習の集合写真。月渚は最後列の隅にいる。背は低いのに、そこに立っている。

 二年生。合唱コンクール。月渚は後列の一番端で、顔の半分が譜面に隠れていた。

 ページをめくる。

 三年生。体育祭の障害物競走。写真の中央で、陽奈(ひな)が顔中を小麦粉だらけにして笑っている。飴玉をくわえたまま、こちらにピースを向けている。その隣で、月渚が口を押さえて笑っていた。

 次のページ。文化祭の演劇。陽奈が舞台の上にいる。髪を結い上げ、目元にははっきりと化粧が入り、赤い衣装を着ていた。舞台袖の陰から、裏方の月渚が覗き込んでいる。

 修学旅行。沖縄のビーチ。陽奈が両手で水をすくって、こちらへかけようとしている。月渚は避けようとして、逃げきれていない。二人とも制服ではなく、私服だった。

 どのページにも、月渚は隅にいなかった。

 月渚は最後のページまでめくった。

 それから最初のページに戻り、もう一度めくり直した。

 二周目の途中で、月渚はアルバムを閉じた。

 膝の上の猫のぬいぐるみを、両手で抱えた。


 ◇


 丹野瀬(たんのせ)総合病院は、町の中央、駅から東へ十分ほどのところにある。

 この町で唯一の総合病院で、入院棟は五階建てだ。天(あま)之宮陽陰(のみやひかげ)の病室は、その四階の東の端にある。

 月渚は午後にそこを訪れた。

 生成りのニットに、膝下までのグレーのスカート。紺のコートを着て、紅いマフラーを巻いていた。クローゼットを開けて、一番手前にあったものを取った。六日前と同じ組み合わせだと気付いたのは、家を出てからだった。

 エレベーターを降りて、廊下を歩く。四〇五号室の前で足を止めた。

 ノックして、扉を開ける。

「……あの、失礼します」

 ベッドの上で、少女が顔を上げた。

 陽奈と同じ茶色い髪をしている。ただし肩まで伸ばしていて、前髪が長い。顔の輪郭は陽奈より細く、頬にはあまり肉がなかった。

 その顔が、月渚を見て止まった。

「……あっ」

 少女の目が丸くなった。

「もしかして、月見里(やまなし)さんですか?」

「……はい」

「わぁ」

 陽陰はベッドの上で身を起こそうとして、途中で咳き込んだ。手で口を押さえ、二度、三度。

 月渚が一歩前に出た。

「ごめんなさい、大丈夫です」

 陽陰は手を振った。

「これ、いつもなので。それより月見里さんですよね。お姉ちゃんから、いつも聞いてます」

「……そう、ですか」

「めちゃくちゃ聞いてます。もう、三回に一回は出てきます」

 陽陰は枕を背中に立て直し、そこに寄りかかった。

「頭よくて、真面目で、料理も上手くて、でも自分のことになると急に自信なくなるところがあって、それがかわいいんだって」

 月渚の口が、少し開いた。

「……陽奈、そんなこと」

「言ってます。あと、月見里さんが自分のことかわいいって言われると、耳まで赤くなるのが面白いって」

「……」

「あっ、今なってますね」

 陽陰が笑った。笑って、また少し咳をした。


 ◇


 月渚は丸椅子を引いて、ベッドの脇に座った。

 窓から射す光が、白いシーツの上に四角く落ちている。壁際の棚には、小さな鉢植えと、本が何冊か積んであった。

「最近、お姉ちゃん来ないんです」

 陽陰が言った。

 月渚の膝の上で、手が組まれた。

「先週は三回来たのに、今週は一度も。こんなの初めてで」

 陽陰は掛け布団の縁を指でいじった。

「電話も繋がらないし。何かあったんですか?」

 月渚は答えなかった。答えられなかった。

 陽陰が顔を上げる。

「……月見里さん?」

「……ううん」

 月渚は首を振った。

「何も、ないよ」

 言ってから、月渚は膝の上の手を見た。

「今、少し忙しくて。それだけだから」

「そっか」

 陽陰は息を吐いた。

「よかった。事故とかだったらどうしようって」

 月渚の指が、スカートを掴んだ。

「お姉ちゃん、すぐ無茶するから。中学のときも、階段から落ちて骨折してるんですよ。走って降りようとして」

「……知ってる。わたし、そのとき下にいたから」

「そうなんですか」

「うん。受け止めようとして、一緒に倒れた」

 陽陰が吹き出した。

「何それ。ばかみたいじゃないですか、二人とも」

 月渚の口元が、わずかに上がった。上がって、すぐ戻った。


 ◇


 二十分ほど話して、月渚は立ち上がった。

「そろそろ、行くね」

「はい。あの、来てくれてありがとうございました」

 陽陰は頭を下げた。

「お姉ちゃんいないとき、あんまり人来ないんで、嬉しかったです」

 月渚は扉のほうへ歩いた。

 ノブに手をかけて、そこで止まった。

「陽陰ちゃん」

「はい」

「……前に、陽奈と約束したの」

 月渚は振り返らなかった。

「いつか三人で、遊びに行こうって」

「えっ、ほんとですか」

 陽陰の声が跳ねた。

「行きたいです。うち、そういうの全然行けてないので」

「うん」

 月渚はノブを握り直した。

「連れてくるから」

「……え?」

「陽奈を、連れてくるから。それまで、待っててね」

 月渚は扉を開けた。

「はい。待ってます」

 背中に、陽陰の声が届いた。

「あっ、月見里さん」

 月渚の足が止まった。

「お姉ちゃんに、早く来てって言っといてください」

「……うん」

 月渚は扉を閉めた。

 閉めてから、廊下の壁に手をついた。

 そのまま、しばらく動かなかった。

 やがて手を離し、廊下を歩いていく。

 エレベーターのボタンを押した。指は震えていた。

 二度戦って、二度とも震えた。明日も同じだろう。

 月渚はボタンから指を離し、階数表示を見上げた。

 ――明日、必ずあなたを迎えに行くから。

 ――待っていて、陽奈。

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