第十二話 自由
やがて、光の中に影が入った。
男は暗渠の入口で立ち止まり、中を覗き込むようにした。
「へぇ」
男は首を巡らせ、柱の並びを眺めた。
「いい場所選ぶじゃねぇか」
月渚は答えなかった。
男は鎌を肩に担ぎ直した。刃は月渚のものより短く、幅が広い。鉈を大きくしたような形をしている。
「面剥自由」
男は名乗った。
「オマエは?」
「……月見里月渚」
答えてから、月渚は口元に指を当てた。
「ふうん」
自由は興味なさそうに頷き、そして踏み込んだ。
月渚は柄を立てて受けた。刃と刃がぶつかる。
膝が沈んだ。足の裏が砂を削る。
月渚は横へ流した。自由の刃が床を削り、砂を散らす。返す動作で月渚は薙いだ。
自由は退がらなかった。
上体をわずかに反らしただけで、刃は鼻先を通り過ぎた。避けるのに必要な分だけ、正確に。
月渚は間合いを取り直した。
一つの動作から次の動作へ、迷う時間がない。踏み込みも、避けも、同じ精度で出てくる。人間の身体が出せる最大値を、外さずに出し続けている。そんな感覚だった。
「なぁ」
自由が言った。
「なんで逃げた?」
「……人が、いたから」
「人? あぁガキどもか。見られたら困るってか?」
自由は笑った。
「ンなもん全員、殺せばいいんだよ」
月渚の肩が、また跳ねた。
鎌を握り直す。指の位置を三度直した。
「……あなたの、願いは」
自由の眉が動いた。
「アァ?」
「聖炎で、何を願うの」
月渚は問いながら、踏み込んだ。
横薙ぎ。自由が柄で受ける。火花。押し返される。
「なんだそりゃ」
自由は受けたまま笑った。
「殺し合いながら身の上話でもしようってか」
「答えて」
鍔迫り合いを切り、月渚は跳んだ。柱を一本挟んで、位置を変える。
自由は追ってこなかった。柱の向こうで、鎌を肩に担ぎ直す音がした。
「不老不死」
声が反響した。
何度も跳ね返って、どこから聞こえたのかわからない声だった。
「――えっ」
「不老不死だよ。死なねぇ身体。永遠に生きて、永遠に人の最期を観にいく」
「人の最期を……観にいく?」
「そ」
足音が、ゆっくり近づいてくる。
「人の最期ほど、美しくて面白いもんはねぇからな」
◇
月渚の鎌の先が、下がった。
「……どうして」
月渚は言った。
「どうして、そんなことを」
「言っただろ」
柱の陰から、自由が現れた。
「美しいから」
その顔には、笑みがあった。
「人間ってのは、生きてるあいだはずっと嘘をついてる。取り繕って、善人ぶって、本当のところを隠して生きてる」
自由は胸を指した。
「でも最期だけは違う。死ぬ間際だけは、誰も嘘がつけねぇ。剥き出しの、混じりっけのない本物が出てくる。泣くやつも、喚くやつも、命乞いするやつも、全部綺麗だ」
「……ッ」
「親父なんか傑作だったぜ。あんなに偉そうだったのに、床に這いつくばって――」
「やめて」
月渚は遮った。
柄を握った手が、白くなっていた。
「あなたは、おかしい」
月渚は言った。
「間違っている」
自由の笑みが、消えた。
「――それはテメェの価値観だろうが」
低い声だった。
「テメェの物差しで勝手に俺を測って、テメェの価値観を押し付けんな」
空気が、変わった。
「俺は、俺の価値観で、俺の美学で、自由に生きる」
瞬間、自由の姿が消えた。
消えたように見えた。
月渚が認識したときには、もう刃が来ていた。
柄で受ける。
受けきれなかった。
衝撃が腕を突き抜け、月渚の身体が浮いた。背中から柱に叩きつけられ、肺の空気が全部出ていく。
落ちてくる刃が見えた。
月渚は分身を二体、あいだに現し出した。
自由の鎌が振り抜かれる。二体はまとめて掻き消えた。
月渚は転がって距離を取った。咳き込みながら立ち上がる。
速度も、力も、跳ね上がっている。
だが、動きそのものは変わっていない。同じ精度、同じ無駄のなさ。出力だけが上がっている。
月渚は鎌を構え直した。肘が震えていた。もう片方の手を柄に添えて、震えを抑え込んだ。
◇
「なァ、いい子ちゃん」
自由は追撃してこなかった。鎌を肩に乗せ、歩いてくる。
「さっきから気になってんだけどよォ」
足音が、反響して重なる。
「俺がしてることと、テメェがしてることに、どんだけの差があるってんだ?」
「……わたしは、あなたとは違う」
「何が違う」
即答だった。
「俺も、テメェも、自分の願いを押し通すために人を殺してる。違うのはせいぜい、求めるもんの中身だけだ」
月渚は口を開いた。
開いて、閉じた。
「殺しって本質は、何も変わらねェ」
月渚の視線が、落ちた。
自分の手の中にある刃を見る。それから手を見る。
何も返せなかった。
この男が言っていることは、たぶん正しい。
奪う命と願いに敬意と責任を持つ。それを支えにここまで立ってきた。
けれどそれは、殺しを正しくするものではない。払おうが払うまいが、奪った側と奪われた側の関係は変わらない。
どれだけ尊い願いでも。どれだけ歪んだ願いでも。人を殺していい理由には、決してならない。
陽奈を取り戻したいという願いも、例外ではない。
資格なんて、最初からなかった。自分にもない。この男にもない。先生にもなかった。
この戦いは、資格のない者たちが、それでも我を押し通すために殺し合う場所だ。
月渚は目を閉じた。
「まぁいい」
自由が言った。
「どうせ最期に全部わかる」
鎌の先が、月渚を指した。
「人ってのは最期の瞬間だけは偽れねェ。テメェのその仮面も、そのとき剥がれる。俺が剥いで、本当のテメェを引きずり出してやるよ」
◇
月渚は目を開けた。
鎌を構え直す。
「……あなたは、そう考えるのね」
声が、反響して返ってくる。
「でも、わたしは違う」
自由は黙っていた。
「最期の一瞬だけが、その人の全部じゃない」
月渚は言った。
「その人が見たもの。触れたもの。感じたもの。手に入れたもの。失ったもの。誰かを想った時間。――その全部が、その人でしょ」
月渚の指が、首元の紅いマフラーに触れた。
「全部が、尊くて、美しくて、かけがえのないものだと思う」
自由は動かない。
「それでも、わたしは戦う」
月渚は続けた。
「正しさなんてない。資格もない。それはもう、わかった」
息を吸う。
「だからせめて、わたしが奪う命と願いに、敬意と責任を持つ。命も、願いも、罪も、全部背負って、わたしは生きる」
水路の水が、かすかに音を立てている。
やがて自由は鼻で笑った。
「ご立派なこった」
鎌を構える。
「どうせその言葉も、今際の際じゃ嘘に堕ちる」




