第22話 西井さん
ひとみは次に置かれたカルテを見た。
西井綾子、93歳。
右目に白内障があり、左目は手術が済んでいて人工の眼内レンズが入っている。
右の白内障の進行具合と、左の術後の検診で通院しているおばあちゃんだ。
「次、西井さんだ。今日は朝一から皆90歳以上じゃない?」
西井さんで本日五人目の患者さんだが、朝一番から全員90歳を超えていた。
お年寄りは朝が早いからなのだろうが、こんなに続くことは珍しい。
「本当ですね。老年内科みたいですねえ。」
陽子も驚いている。
「西井綾子さーん。おはようございます。」
陽子が西井さんを呼び入れた。
呼び入れてから入ってくるまでに時間がかかる。
無言でトボトボと入って来た西井さんは、いつものことだがテンションが超絶に低い。
しかし自分の足で杖も使わず歩いておられ、93歳という年齢を考えると身体はものすごく健康なのではないかとひとみは思っていた。
「せんせい・・・、見えにくいんです。もうしんどいから死にたいんです。」
初めて聞いた時はぎょっとしたが、これは西井さんの挨拶のようなもので、もう五年以上続いている。
とにかく話す内容全てが後ろ向きでウェットなのだ。
「西井さん。視力は右も左も前と変わってませんよ。でも右目は白内障のせいで視力が落ちています。見えにくくてしんどいのなら手術を・・・」
「嫌です。左の時、怖くて怖くて怖くて・・・、もう二度と受けたくないんです・・・。」
毎回、見えにくく生きているのがしんどいと訴え、手術を勧めると即刻拒絶されるのだ。
「お父さんは自分だけ、大学病院に入院して両目一気に手術したんです。なのに私だけ日帰りで片目でクリニックなんかで・・・」
西井さんの左目はひとみのクリニックで、手術担当の先生が日帰りで手術したのだ。
クリニックなんかって、うちのクリニックなんだけどねえ・・・。
しかも左目の経過はすこぶる順調で、視力もいいのに。
ひとみは内心苦笑した。
西井さんと同じ年齢のご主人が一緒に受診されない日は、ご主人への不満が溢れるようにこぼれ出る。
そして西井さんが一通り旦那さんの不満を言い終わるのを確認して、ひとみは目薬の処方について話を切り出した。
「いつもの疲れ目の目薬を三本出しておきますね。」
何年も使用している同じ目薬だ。
「三本も⁈三本でどれくらいもちますか?」
初めて処方されたかのように驚いている。
「一か月一本なので三か月です。次の受診も三か月後で大丈夫です。」
すると西井さんが目を見開いた。
悲愴な表情を浮かべている。
「三か月後!?そんな先なんですか?明日起きたら死んでるかもしれないのに・・・。」
「・・・。」
その後、西井さんは三本の目薬をもらって帰って行った。
「西井さんはいつも後ろ向きだけど、今日はなかなかレベルが高かったねえ。」
西井さんのカルテを書きながらひとみは陽子に話しかけた。
西井さんが出て行った後、陽子は検査に使った細隙灯をアルコール綿で拭きながら呟いた。
「そうですね。それに、明日死んでたら起きないですよねえ。」




