第2話 伊藤さん
「伊藤賢人さーん。おはようございます。」
陽子が伊藤さんを呼び入れた。
伊藤さんは55歳。知的障害があって作業所で働いている。
ドライアイで目の表面に傷ができるので、目薬で治療している。
病状も安定しており、別に毎月来る必要はないのだが決められたスケジュールをこなさないと精神的にパニックを起こしたりするようで、月初めに必ず受診に来るのだ。
「伊藤さん。おはようございます。お変わりないですか?」
「か、か、かわりないです・・・。」
伊藤さんはいつも顔を左に傾けながら眼科の診察用の顕微鏡に顔を乗せる。
ひとみはよいしょと普通の人よりもやや大きい伊藤さんの顔を持ち右に寄せた。
内服しているお薬の影響か日によっては顔を台に乗せたまま寝てしまうこともある。
今日は大丈夫なようだ。
「せ、せんせい・・・OCTけんさをしてください。」
伊藤さんはなぜか難しい検査の名前や薬の名前をはっきりと覚えている。
OCTというのは目の奥の網膜の断層写真を撮る検査で、緑内障や黄斑変性症といった病気のための機械だ。
伊藤さんは視力も良く、全く病気はないのだがこうした検査を時々希望してくるのだ。
「伊藤さん、前に検査した時に異常がなかったから今はOCT検査は要らないですよ。また、視力が落ちたり怪しい所見があったらやりましょうね。今日は目の表面の傷も少ないし落ち着いてますよ。じゃあ、また目薬出しておきますね。」
「あ、あ、ありがとうございました・・・。」
検査を希望しても駄目だと言うと、あっさりと引き下がる。
そして去り際はいつも早い。お礼を言いながら立ち上がり、さっさと受付の方へ行ってしまった。
「伊藤さんって、診察中寝るし、動作もゆっくりなのに帰り際だけ素早いですよね。」
去って行く伊藤さんの背中を眺めながら、ひとみは陽子の言葉に笑顔で頷いたのだった。




