栄唱:結びのメダイ
硬い防壁の前で、警備兵が二人、見たことも無いほど頑丈な鎧を身に纏って控えていた。無骨な壁は施設のそれよりずっと堅牢に見えて、急峻な丘陵のような形状に、自然の威圧感がある。彼らは僕の姿を認めると、地面を槍の柄で叩き、手を挙げて掌を天に向けてくい、と曲げる。すると、跳ね橋が巻き上げられて閉ざされ、彼らは減速する僕に視線を合わせて屈み込んだ。
「坊や、穢土送りの御子かい?」
「・・・いえ。僕は、僕なりのけじめをつけようと思って、来ました」
そう答えると、兵士達は顔を見合わせる。泣きそうになりながら、握りこぶしを作る。手に滲む汗と同じほど、みるみる溢れ出す涙を堪えつつ、彼らに必死に訴えた。
「あの・・・!僕は、僕が穢土に送ってしまった彼らに謝らなければならないのです。マークという医師のもとで、彼らは下働きをしていると聞いています。僕自身が彼らを破滅へ追い込んでしまった・・・。だから、この身を自ら穢土へ送って、彼らに謝罪をしなければならないのです」
そう必死に訴えても、彼らは首を傾げるばかり。そして、二人で何らかの名簿を開き、指を指して確認し始める。
「お名前は?」
「アイテスと言います」
「アイテス・・・ね。ちょっと待ってて」
彼らは数日分も名簿を探しつつ、眉を顰めている。時折指を指すのだが、僕を一瞥しては首を横に振った。
「ごめんよ。君の名前は穢土送りのリストにも、特別な通行許可者の名簿にも記されていない。ここを通すことはできなくて・・・」
恥も外聞もかなぐり捨てて、深く頭を下げた。
「お願いします!僕は、謝らなくちゃいけないんです・・・!」
兵士達は困惑している。僕は思いついて、首に提げた祈り石を手に取った。それを、震える手で彼らに差し出す。
「お願いします・・・。僕には、もう、これしかないんです・・・!これしか・・・!」
祈り石を失うこと。それは、白の民にとっては便を失うことと同じだ。自分が生涯をかけても魂が救われないという、それを完全に認めることだ。
それでも、いまさら、それが何だというのか。僕は、もう、穢れきってしまったのだから。救われる道などないのだから。使えるものは何でも使ってやる。
彼らはその石を恐る恐る手で触れ、質感を確かめる。それが本物であると彼らが気づいたとき、彼らは石を手放すと、それを僕の胸に押し戻して、掌を天へ伸ばす。そして、先ほどとは逆にそれを地面の方へと下ろしてみせた。
きりきりと鎖が軋み、跳ね橋がゆっくりと降ろされる。兵士達は持ち場へと戻る。僕は祈り石を握ったまま、話しかけてきた一人の顔を見上げていた。彼は僕の頭を撫で、微笑みを浮かべている。
「アイテス、君の心はよく伝わった。都市には異常のないことがすぐに分かるから、入りなさい」
「ありがとうございます!」
僕が頭を下げると、彼は拳を突き出してくる。打たれると思って後退りすると、彼は暫くして拳をそっと下ろした。
そして、今度は平手を僕の前に出してくる。僕が手を挙げると、彼はその平手で僕の手を優しく打った。
「頑張れよ」
そう言って僕の襟を持ち上げて跳ね橋の前まで運んで降ろす。そして、僕の背中を押して、都市の方へと放り込んだ。
「ありがとう、ございます!!」
そう言って手を振り、駆け出した。
町中に溢れる家畜や人の脂のにおい。道路の中央にある溝に流れる汚水や、人が物を打ったり、均したり、呼び込む人の声。馬車が揺れ動き、荷車が行き交う細い道を、僕は駆け足で下っていく。
平坦でない、急峻な坂や、道にある小石に躓いて転ぶ。体も顔も泥だらけになった。それでも、僕は立ち上がり、狭い狭い路地の中を駆け下りていく。
そして、角を曲がって、小さな広場までやってくる。
息を切らせ、倒れ込むようにそのドアノブを握る。そのまま膝を地面につくと、がしゃり、とドアノブが回った。
ドアがゆっくりと開く。ドアノブから手が離れて、ドアの前でぐったりと倒れ伏す。
地面に顎を打ち、そのまま視界がぐらぐらと揺れる。
「あ、アイテス!?なんで、ここに!?」
聞き馴染みのある声がして、視線を持ち上げる。僕の肩を抱き上げようと屈み込むグッズの顔を見た途端、視界が潤み、わなわなと唇が震えた。
彼の手をそっと払い、地面に座り込む。そのまま地面に額をつけて、唇が震えるままに声を絞り出した。
「ごめん・・・なさい。ごめんなさい・・・ぼく、グッズに、ノゼンダくんに、ひどい、ひどいことをぉ・・・」
涙で地面が濡れる。グッズが僕の腕を掴み、僕を強引に起こしながら答える。
「なんで、そんなこと言うんだよぉ・・・。アイテスは悪くないよぉ・・・」
互いに顔を見合わせて、激しく声を上げて泣いた。互いの声がけたたましい騒音となって、隣り合った建物の窓を揺らす。しばらくして、建物の中から苛立った様子のノゼンダが現れた。
「なんですか騒々しい」
そう諫めながら、グッズを強引にどかす。泣きじゃくる僕の顔を見るなり、彼は呆気に取られて目を瞬かせた。
「驚いた。アイテスくんではないですか?目はご無事ですか・・・?」
そう言って顔を覗き込んでくる彼の肩に縋り付いて、謝罪の言葉を繰り返す。涙も鼻水も混ざり合った体液が、ぼろぼろと地面に零れ落ちた。
「えぇ・・・?いったい、どうしたことですか?貴方が謀って穢土送りにしたのではないですか・・・?」
ノゼンダは僕の肩をとんとんとあやしながら、問いかける。声音には困惑と諫めるような険しさがあった。
「僕が悪いんですぅ・・・。僕が、みんなを、え、穢土送りにぃ・・・」
ほとんど言葉になっていない言葉を放ち、僕は腰に掛けたポーチの中から小さなナイフを取り出す。震える手でこれを自分の目に突き立てた。
「責任を取ります・・・責任を取るから・・・。許さなくて、いいから」
そう言って握った両手を、ノゼンダは乱暴に払いのけた。
地面にナイフが転がり落ちる。縁石の上を跳ねた刃先が、滑りながら広場の上を滑っていった。
「馬鹿馬鹿しい。責任を取るなら、せっかくある両目を使わせてもらいますよ。ほら、入って」
そう言って僕の襟首を掴み、強引に家の中へと引きずり込むと、彼は擦り剥いた膝や脛に沁みる薬品を塗り込みながら続ける。
「アイテスくんが仕組んだわけじゃないなら、一体全体誰だというのですか・・・?」
「僕が、悪いんです・・・」
「あぁ、うるさい!ちょっと黙ってなさい」
ノゼンダって、こんなに乱暴な子だっけ・・・?
彼は言葉の棘とは裏腹に、僕の治療を済ませると、振り返って声を荒げた。
「グッズくん、はやく包帯を持ってきなさい!」
グッズが慌てて奥からかけてきて、救急箱を丸ごと運んでくる。ノゼンダはそれを奪い取ると、「こんなに要らんでしょうが!」と吐き捨てるように言った。
傷口を丁寧に巻きながら、彼は落ち着いた声音に戻って改めて問いかけてくる。
「それで・・・?君が犯人でないならば、誰がそのように唆したのですか?」
「自分の目で確かめなさいって、聴罪師様が・・・」
そう返すと、ノゼンダははっとして、治療の手を止めた。
「・・・なるほど、聴罪師か・・・」
「新家成婚の儀があって、それで、本当に穢れたのは僕だって思って」
自分でも支離滅裂なことを話していると分かったが、彼が答えを求めている気がして、理由になりそうな言葉を羅列した。すると、彼は鼻がつき合うほど顔を近づけて、問い詰める。
「あの、結婚したのはどなたですか?」
「ホローさんと、若い新郎の人・・・」
彼は得心したように小さな声で『あぁ』とこぼすと、治療を再開しながら穏やかな声で語り出した。
「アイテスくん、これは随分と悪辣な人がいるようですよ。確かに、聴罪師であれば、色々と納得がいく・・・。不可思議なのは、相当家格の高い聴罪師が、なぜいるのかということだけで・・・」
彼は僕の回答も聞かず、ぶつぶつと呟きながら部屋の奥へと消えていく。入れ替わるようにやって来たグッズが、勢いよく僕に抱きついた。
「アイテス、アイテス!無事でよかった」
「・・・怒って、ない?」
「なんで怒るんだよ?ずっといないから寂しかったぞ!」
そう言って頬ずりをする彼の背中に手を回し、抱き締めた。温い感触が嬉しそうに自分にじゃれついてくる。再び涙が溢れ出して、どっと声を上げた。
「うるさい!」
大きな声が奥から返ってくる。グッズと顔を見合わせて泣き笑いした。
「今は、どうしてるの?」
ようやく顔を見合わせて笑うことができた。グッズは細腕の力こぶを自慢げに示しながら答える。
「マークおじさんの助手として働いてる。俺は体使って、ノゼンダは頭使ってる」
自然と笑顔がこぼれる。声は震えていなかった。
「いいね、二人らしい」
「ノゼンダは凄いんだぜ、頭の中すごいことでいっぱいなんだ!信仰の箱が実は、ぼとるめっせーじだって言って、色々空に飛ばしているんだよ!」
「ボトルメッセージ?信仰の箱?」
はじめはグッズがまた荒唐無稽なことを言っているのかと思った。しかし、奥からやって来たノゼンダが、丸めた設計図と車輪のように先端に羽根をつけた得物を抱えてやってくると、言葉に不思議な重みが加わった。
「ほらグッズ、行きますよ。今度は浮きますからね」
「ほら来た、アイテスもはやく!」
グッズが僕の手を引く。なされるがままに引っ張られて、広場に導かれる。すると、ノゼンダが装置を設置し、設計図を広げながらそれを説明し始める。
ほとんど言っている言葉が理解できなかったが、とにかく、羽根が回って浮くらしい。彼は苛立った様子で装置に鍵をつけて回し始めると、それを離して掌を開いた。
長い沈黙。掌の上で羽根がぐるぐると回った。
「・・・?」
「・・・またぁ?」
「実験失敗ですね。次に生かしましょう」
ノゼンダは大股に足早で去って行く。グッズもそれに続いた。意味も分からず目を瞬かせていると、グッズが振り返って笑いかける。
「前の実験は浮いたんだけど、すぐ落ちちゃって。苛立ってんの、あいつ」
扉の奥から「グッズくん!」と呼ぶ声が聞こえると、グッズも間延びした声で「はぁい」とだけ答えて、扉の中へ戻っていく。扉が閉じてしばらくして、グッズが再び顔を覗かせた。
「アイテスも、ほら!」
自然と笑みがこぼれた。
「うん!」
僕は駆け足で扉の中へ駈け込む。中では、机の上に設計図を広げた二人が、僕のことを待っていた。




