世界の探究者としての顕現、およびマークへの告白
都市生活を続けるうちに、マークの役割と人間性が徐々に見えてきた。はじめ僕は胡散臭いと思っていたが、やはり周囲も少なからずそのように考えているらしく、彼への診察の要請はよそよそしいものが多かった。
一方で、彼は他の医師とは比べ物にならない高度な医療技術を持っていることも判明した。これは制度上、つまり行政の欠陥だが、医師に必要な資格や免許が設けられていないため、医師のほとんどがヤブである。
その中で、彼は一部で小説などから引用した不合理な解決策を提案することもあるが、経験則やその他の専門書、民間療法などから、適切な治療を行うことが多かった。
特に外科的治療には特筆すべき視点があり、外傷に薬を塗布することは「必ずしも有効でない」と捉え、外部から調達した薬品を治療に使うことを敢えて放棄した。
本人は、うまくいかなかった例の方を重視していると語っていたため、そのメカニズムを理解していないようだが、僕の所見では、薬品それ自体が有害な場合がある、と伝えた。
汚物を使った薬品を用いるよりは、丁寧に水で洗浄し、放置した方がよい、という意見だ。
この提案に至って、彼の尊敬に値する一面が垣間見えた。彼はすぐにそれを試したのである。医者のネットワークから、治療中の患者の外傷について調査し、その治癒の過程を症例ごとに比較検討したのである。
これはきわめて重要な視点で、僕の優れた意見を参考にして、僕という叡智でも間違いを犯すという前提に立ち、実際の症例から比較検討をして結論を出したのである。
つまり、マークは知的探求において優れた公平な視点の持ち主なのである。
また、共同生活を続ける間に、助手としてのグッズの有能性にも気づかされた。
彼は頭が悪く、頭が良くなる努力もしないが、相手に対する信頼と高い行動力という点においてきわめて優秀な人材である。
実例もある。彼はマークの指示や僕の指示に、きわめて忠実に従って行動する。しかも、それらが迅速で、なおかつ指示通りである点だ。専門的な指示は、ちょっと、駄目だが、単純な指示へ対する対応力は非常に高い。また、人の警戒心や態度を軟化させる不思議な技術を持っており、それが、マークの胡散臭さや、僕の賢明すぎて凡人には理解できない領域にあることへの、ある種の抵抗感を和らげる役割を担っている。
これらは僕に不足している部分であるので、グッズの存在が知的探究活動に有用であると確信した。
そして、眼球の痛みもすっかり癒えたある夜、三人でリビングで寛いでいる時に、僕はマークへ信頼感を示すための告白を行った。
その日は、グッズは自ら編み出したなぞの体操を、彼の際立った才能の一つである音楽に乗せて(そう、鼻歌である)行っていた。僕は暇を紛らわすために小説を読み漁り、マークはその隣で小説の魅力を喧しいくらい語り掛けてきていた。
そういう、ごく普通の夜。静寂とは程遠い自由な空間の中で、油が染みた灯芯に僅かな明かりが灯っている。その明かりだけが、半分この視界を助ける数少ない頼りとなっている。
僕は目を解すために視線を本から外し、眉間を押さえつつ目を瞑った。すると、突如として目の上に温いタオルが掛けられる。
「疲れ目は温めると良いよ」
マークはそう言って、湯で浸したタオルを僕の目に当てたのだ。この時には彼の技術をある程度信頼していたので、彼の根拠のない民間療法めいたものに、僕もさほど抵抗を示さなくなっていた。
ほくほくと湯気が放たれるタオルの程よい温度が気持ちが良い。僕は目を瞑り、タオルに身を預けたまま、視界の外にある男に語り掛けた。
「マーク、さん」
「んん?」
彼は無防備な返事をする。ちょうどグッズの体操が佳境を迎え、最高に美しいソプラノのハイトーンが妨害をする中、僕は、マークにだけははっきり聞こえるように、少し声を低く保って打ち明けた。
「僕は、マークさんの稼業を引き継ぐ気はありません」
きっぱりと、伝えるのが、彼へ対する礼儀である。
「ん、うん。いいと思うよ」
「僕は、この世界の理そのものを、空虚なものにする、そういう研究について、知見を深めたいと思っています」
「何を、するんだい?」
こういう時に、この男は頼りになる。普通の凡人はそれに狼狽えるか、あるいは即座に身を案じて僕を諫めるかである。
ひとりの人間の命が、真理に勝るとは到底思えないというのに。
僕はタオルをどかし、マークを直視した。無防備な微笑みの中に、不敵なほど余裕綽々とした澄んだ瞳がある。その中にいる眼帯の少年は、普段頼りなさげな眉を、内心にぐっと寄せて吊り上げていた。
「信仰の箱の解釈は間違っている、という仮説についてです」
静寂。紙と紙の間にあるような、行間にあたるような空白。
あの日。
赤と白に明滅する星のようなものを見た時に、僕は確信した。
「信仰の箱は、僕達を救済してくれません。そもそも、そういうメッセージはどこにもありません」
信仰の箱の正体は、僕達と同じように星間を漂う知的生命体が、遥か彼方で存在する可能性がある、同じ知的生命体を見つけるための、無謀かつ長大な、宙へのボトルメッセージである。
「どうして、そう思う?」
思考より先に言葉が漏れた。
「知れたこと。あのメッセージに文字が存在しないのは、僕達と青の星の民が、文字で意思疎通ができないからです。万能の救済者であるべき青の民という存在としては、あまりに不完全だ。すなわち・・・」
「すなわち・・・?」
マークの瞳が爛々と輝く。そうだ、その目こそが、知的な探求に必要な、たった一つの要素だ。
「彼らは自分の存在を、実在を、単に誰かに拾って欲しくて宙に放流したんです。だから、僕らを助ける存在じゃない。むしろ僕達が、僕達を助ける存在なのです」
その存在を以てして。
知的生命体が、そこに存在するという、ただ、そのことによって。
彼らの切なる探求の旅は報われる。
「ならば、知的生命体として、それに答えるのが、僕達の、使命だ」
再び静寂が場を支配する。揺れ動く灯火は弱々しく、グッズの体操の動きよりなお力がない。この僕という最高の叡智を以てしても、遠大過ぎる野望の前では、この灯火に同じだ。
「出来ると思う?」
「仮説は揃った。実行するだけです」
その虚栄は、いつか、真実になるはずだ。僕の時か、僕よりずっと後の時か。それは知れたことではない。ただ、この澪標※9 は、圧倒的な銀の河を渡る、導となるはずだ。
マークはみるみるうちに瞳を輝かせ、いや、殆ど潤ませていると言ってもいい。それ程興奮して、僕の小さな体を包み込んだ。
「見込み通りだよ!最高、最高の冒険じゃないか!」
「冒険じゃない。冒険にさせないのが、僕という叡智の使命だから」
少なくとも、この狭い閉鎖空間の中で、最高の環境がここに揃っている。僕はその幸福を噛み締め、それを解きほぐし、世界が向かうべき新たな道筋に対して、錦の御旗を掲げた。
※9澪標・・・みおつくし。河川などに並べ立てる杭で、舟の航行の目印となる。また、短歌における『身を尽くし』の掛詞。




