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ロザリオの掩祝  作者: 民間人。
第五玄義:無垢

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38/45

真理の仮説と良い話し相手

 圧倒的な闇という経験をしたことはなかった、というのがまず穢土ではじめての夜の感想であった。

 御世辞にも快適とは呼べない住居の中にあって、まずはじめに驚くのが就寝時間である。

 日が傾きはじめると、わらわらと緑の民が戻ってきたかと思うと、すぐに薪を放り込んだ釜を囲む。彼らは落穂と思われる小麦の僅かな粒をすり潰し、熱した湯を入れただけの窯に放り込むと、そこに塩を一振りし、極薄の粥のようなものを作り始める。さらに、ほとんど汁と言っても良いその粥の中に、僅かな野草を刻んだものを入れ、さらに煮立たせる。それを十分ほどかき混ぜていると、徐々に液体が粘度を持ち始める。そうすると、ぐつぐつとした釜の中にある食事が俄かに料理らしい風味を帯び始める。

 不思議なことに、それが料理だと認識した途端、自分の中に空腹という感情がようやく沸き始めた。痛みの方に関心が移りがちだったからだろう、

 ここまでで日が完全に沈む。そして、彼らは粥を人数分だけよそってひびの入った椀を回し、食事をはじめた。農婦らしい人物が、僕達の前に椀を運んでくれる。僕はそれを素直に受け取り、グッズはぐずぐずと鼻を鳴らしながらそれを見つめていた。


 粥を少し啜る。そうすると、素朴な味わいが舌の上に広がった。よく言えば食材の本来の味わいが伝わる料理で、野草の苦みと塩味、麦のほんのりとした味わいが口からストレートに喉を伝っていく。そして、わずかな土の味が広がった。グッズははじめスプーンもない料理の食べ方も分からずじっと見つめていたが、農婦に促されるままに、恐る恐る椀に口をつける。何か気持ちの悪いものを口の中に放り込まれたような、強烈な顰め面をした彼は、料理を何とか咀嚼して飲み下すと、舌を出してため息をついた。


「いぬっころみてえだな、お前」


 そう冗談めかして言う農婦の声に、どっと笑いが起こる。グッズは悔しそうに唇を尖らせていたが、農婦が彼のふっくらとした顔を優しく両手で包むと、むにむにと頬を構って笑いかける。


「お前も元気になるんだよ。施設だけが世界じゃないからな」


 これは彼の素朴な素晴らしさなのだと思うのだが、彼は本当に素直に小さく頷いたのだ。そうすると、農婦は満足して頭を撫で、自分の席へと戻っていく。グッズは鼻を啜り、涙を拭ったかと思うと、先ほどとは打って変わって料理を思い切り口に含み始めた。

 ・・・彼の表情はころころと変わる。顔が仄かに紅潮し、口いっぱいに物を含んで膨らんだ頬がもごもごと動く。思ったより味に気に入ったらしく、彼は一息に飲み下すと、ふぅ、と満足げなため息をこぼした。


「栗鼠みてぇな食い方だなぁ」


 と一家からどっと笑い声が起こる。先程まで泣きじゃくっていた少年は、表情を緩ませて笑顔を見せる。それがますますいじらしく思えて、家族は彼を一頻り弄り回すと、そのまま寝床についた。


 農婦が最後に薪の火を消すと、家族の一番奥に寝転がり、すぐに寝息を立てはじめる。


 僕はこの一連の所作を見送って、思わず外の景色に視線を動かした。

 夜の月はまだ完全に登り切っておらず、まして戸締りもしていない。開け放たれた出入り口からは、虫の音や、葉擦れの音が、そのまま耳へと運ばれてくる。消したばかりの火の匂いと、牛糞や馬糞の臭いがほのかに漂ってくる。特有の臭いは五感をますます鮮明にさせて、手に触れる藁のくすぐったい手触りや、舌の上に残った粥の僅かな塩味などが、血流に乗り、全身を巡って鮮明に感じ取れる。


 不思議な感覚だった。白の民の頃知りたいこと、それをとめどなく調べてきたことが、そのまま全身で知的好奇心を刺激してくる。思わず瞳に光が戻り、世界の眩さに視界が潤むのを感じる。


 不意に、僕の頭に小さな色白の手が乗せられる。視線を藁の中に向けると、自分と同じように片目をガーゼに覆われたグッズが、憐れみの眼差しで僕の方を見ていた。


「辛いけど、頑張ろうな」


 勘違いしてやがる。これだから単細胞な子供は嫌いなんだ。

 とは思いつつも、思考を言葉で絡めとるために長い間彼と見つめ合っている。すると、グッズはいかにも慈悲深げに微笑んで見せて、僕の頭を撫で始める。


「・・・僕は、思ったよりもつらい、とは、思いませんでした」


 意外な言葉に、グッズは目を見開く。それが傷跡に沁みたのか、唐突に眉を顰め、残った瞳から涙をこぼした。

 僕は構わずに、彼に語り掛ける。

「夜の深い黒、嗅いだことのない複雑な臭い、解体することが困難な合奏のような音色・・・この世界の深い真理が、この場所には溢れています」


 グッズは、難しそうに顔を顰め、首を傾げている。それがいかにも愚かしい人間らしい仕草で、かえって微笑ましさすらある。


「それを知りたい、と思いました」


 僕がそう言い切ると、彼の瞳にも光が戻る。自らの心の慰みのために僕を使ったにも関わらず、彼は自分が僕を慰めることに成功したかのように、本当に誇らしげに、また無邪気に、くしゃりとした笑顔をみせた。


「うん、うん。知ろう!よく分かんないけど・・・良いよな!」


 僕は夜通し彼に自分の考えをあらゆる分野に渡って語り開かした。自然へ対する仮説、政治体制に関する深い話、五感が捉えた世界の真理に至るまで、あらゆる分野をつまみ食いするように語る。途中、彼は舟を漕ぎだしたが、僕は構わずに続けた。恐らく、彼は退屈を感じればすぐに眠る、ある意味できわめて合理的な思考の持ち主でもあるのだろう。ただ、彼は舟を漕ぐ間にも、少しも僕の思考へ対する雑音を齎して来ないのである。これがますます心地よく思って、僕の口は全く途切れることなく彼に仮説を伝え続けた。


 開かれた出入り口から、黄色い色彩が混ざってくるまで。

 本当につくづく恐ろしいほど、美しい景色が浮かび上がってくる。

 素朴な土と緑だけの遠景が、徐々に鮮明になってくる。その、知的好奇心をくすぐる美しさと言ったら。


 空の半分が茜色になる頃、先ずは農婦がすく、と起き上がり、自分の子供や、夫の額にキスをして、薪に火を点ける。それに続いて農夫が、その子供達が続々と起き上がると、釜を囲んで食事をよそい始めた。


 そうして同じように野草と麦の粥を口に運んだ彼らは、農具を担いでまだ空が紫色の内に畑へと繰り出して行く。


 農婦が残った粥をよそうと、それを僕たちの前に運んでくる。彼女から料理を受け取った僕は、寝息を立てているグッズの脇を小突く。

 グッズは、寝ぼけ眼を開き、垂らした涎を袖で拭いながら身を起こした。粥を見るなり、彼の表情はぱぁ、と明るくなる。彼は農婦に無邪気な笑顔で感謝を伝えると、粥を美味しそうにかきこみ始める。


 その様子を、慈愛に満ちた微笑みで見届けた農婦は、彼から粥を受け取ると、自分も片づけをしてそのまま農作業へと戻っていく。そうして、僕達は、二人藁の上で残されたのだった。


 グッズが満足げにげっぷをする。そのはしたなさと言ったら筆舌に尽くし難いのだが、それが却って彼を諫める気も失せさせるというものである。


 僕も食事を終えると、不意にあくびが漏れる。グッズが嬉しそうに僕の目の端に溜まった涙を見つめてくる。


「寝よう」

「えぇ・・・。さすがに、眠いですね・・・」


 珍しく二人の意見が一致して、僕達は、藁の中に身を預けて、瞳を閉じた。


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