第四玄義:敬虔6
ピウスは、日常の中で飽きるほど懺悔を聞いていると、自分が何か大きな存在のように思えてくることがある。ただ、彼の地位は聖職者としての地位は低くはないが、行政官としては末端の職の一つであり、やはりはやくほかの行政官と同じように行政区に努めたいものである。
その打診ができるのは、父に接触できる帰路の僅かな時間に限られており、出世の打診も父の説教じみた教育のせいで難しい。
恨み言を言っても始まらないので何も言うことはないものの、恨み言の一つくらいは言いたい、と言うのが彼の本音である。
アイテスの相談から何度めかのホローの告解を経て後、昼休みもそろそろ開けるか、といった頃に、何者かが懺悔室の扉を開いた。
彼は食べ終えた昼食を放置したまま、カーテン前へと歩み寄る。明かりを灯すと、男性とも女性とも取れない人物の影が、カーテンに映った。
ピウスははじめその影を短髪の女性のものだと思ったが、どうにもベールをかぶっている様子はない。ならば長髪の男性ということになるが、肩までかかった髪はどこか細く、繊細なようにみえる。
死にかけの蜉蝣のような儚げな男性の影に向けて、彼は先例通りに問いかけた。
すると、カーテンに映った影はもじもじと身を捩ったかと思うと、重々しく彼に問いかけたのである。
「僕は、白の民の教義に疑問を抱いているのです」
驚くべき言葉に、思わずピウスの手が止まった。影はその驚きを察してか、躊躇いがちに続ける。
「青の星がどこにあるのか、夜に空を見上げても見つけられないのです。それは、当たり前のことなのでしょうか・・・?それとも、青の星は、目視では見えないほどの彼方にあるのでしょうか?」
カーテン越しの影がそのように告白して、ピウスは自然に安堵した。自分が警戒するような『破戒』のにおいを感じ取ることは無かったためである。
ピウスは蝋燭の明かりに薄紙で覆う。ぼんやりとした明かりが自然と部屋全体を柔らかな明るさに包んだ。
ちょうどこの明かりのように、ピウスは暖かな口調で影を宥める。
「それは、後者であると考えられています。私達の目視では到達できない場所に青の星があり、最期の時に私達を青の星へと導くのであると。ですから、いま、見えなくても少しも心配することはないのですよ」
「・・・では、青の星にどのように向かうというのですか?物質的な方法で、到達することは困難なのでしょうか?」
少年の声はどこか焦っているようにも聞こえた。生き急いでいる。そう感じたピウスは、意外にもそこに自分の面影を見た気がした。
これは、妥協を許す存在ではない。真摯な欲望に渇望している子供の表情である。
ピウスの中に、この少年の顔をどうしても見てみたいという欲望が湧き出してくる。彼は薄紙をそっと外し、問答集に書き込みをする姿勢をしながら、肘を明かりの方へと伸ばす。
「そのように思う気持ちも分かりますが、あまりにも遠いところにあるから、物質的には到達できないのですよ。だから、良い生活をして、正しい規則を守って、魂と共に昇っていくべきなのです」
そう答えつつ、燭台の持ち手が持ち上げたカーテンの端を、そっと覗き込む。足元はしっかりと黒のズボンで覆われ、ローブの袖口も不必要に長い。それを二回ほど折り曲げているため、袖口だけは太く盛り上がって見える。
その手元を見て、ピウスは彼が給仕係のノゼンダであることに気づいた。そして、脳内にしっかと刻まれた家系図とそれらが結び付き、悪魔的な思考が脳裏をよぎった。
アイテスの言葉、家系図、ノゼンダの言葉・・・。一挙に政敵の子を排除する方法を思いついてしまったのである。彼はカーテンを戻しつつ、躊躇なく、思いついた通りに悪辣な提案をする。
「では、その目で青の星があるという確信を求めて、空を続けて観測してみてはいかがでしょうか。最近は観測機器も随分と進歩していますから、肉眼よりもいろいろな発見があるはずですよ。例えば、共有部にある荷卸場などならば、良く空を眺めることもできますよ」
影がはっ、と顔を持ち上げたのが見て取れる。彼は驚き、首にかけた祈り石にそっと手を添えた。そして、逡巡した末に、声を詰まらせながら語り出した。
「誰かに・・・天体観測を見られたら・・・密輸とか、触穢とか・・・疑われたりとかしないですか・・・?」
「荷卸場から空を見る限りは、触穢の心配はございません。確かに、密輸等を疑われることもございますが、まぁ、子供であれば疑われることも少ないかと存じます」
罪悪感と共に沸々と湧き上がる期待感。ピウスは眩暈がしそうなほど興奮していた。彼は、理屈の上ではすべてが『正しい』返答をしている。しかし、世界は理屈だけで動いているわけでもないのである。
そう、ピウスのように腹黒い者も確かにいる、ということである。
それでも踏ん切りがつかない様子のノゼンダは、祈り石を握りしめたまま左右へきょろきょろと首を動かし始める。かぶりを振り、肩を大きく持ち上げたかと思うと、持ち上げた肩を下ろすのと同時に、吸い込んだ息を思い切り吐き出した。
「・・・そうですね。きっと、今確かめなければ後悔するでしょう」
賢い子供だ、とピウスは感心した。ピウスが言葉の中に仕掛けた罠をしっかりと踏んでくれるほどには。
大人になれば密輸を疑われる。それゆえ、見つかれば長らく拘束されることになるだろう。しかし、今、ノゼンダの年齢であれば、問題ない。
ただしそれは、今、アイテスがどのように動いているのかを知らずにいる限りは、大きなリスクであると知らない警戒心のなささえあぶり出してしまう。
施設の学士達に施された教育の素晴らしさに、ピウスは深く感謝したのだった。
「あなたの力になれたのであれば、幸いです。では・・・」
格子窓をそっと持ち上げ、カーテンを押し上げて寄進箱を差し出す。ノゼンダは迷いなく、そこに硬貨を放り込んだ。
銀含有量の多い、素晴らしい音が暗闇に響き渡る。
ピウスは祈りの口上を唱え、無言のノゼンダに向けて「ぜひ、ご一緒に」と勧める。二人の声は銀貨の音よりも静かに、闇の中に響き渡った。
祈り石を手から離した影は、椅子の上で三度深々と頭を下げ、丁寧に椅子を元の位置に戻して、懺悔室を後にする。
扉にかかった錠を外し、扉の軋む音とベルの余韻とが止むと同時に、ピウスは蛇が喉を鳴らすような声で、口を結んだまま笑った。
「シィィィィィ、予定通り、こんなにうまくいくことあんのか・・・!」
彼は思わずガッツポーズをした。同時に、押し寄せる罪悪感など、溢れ出したドーパミンに勝るものではない。
彼は無意味に腕を引いて喜びを表現すると、問答集に説教の内容をより宥めるような形に改変して書き込み始めた。問題のない問答をしたと見れば、彼には何ら非を浴びる余地もない。もし事が起こってしまったら、不幸な事故に過ぎない。
「さぁ、いよいよだ・・・!動き出せ・・・動き出せ・・・」
思わず漏れ出した声は外にも少し漏れていたが、それを知る術はピウスにはなかった。興奮したまま机に向かい、祝杯代わりの白湯を仰ぐと、甘やかな味わいが口の中に広がる。それは鬱屈した感情を抱えたまま参加した、宮殿に新成人を集めて行われた歓迎会で飲んだあの苦い酒よりもはるかに甘美な味わいに思えた。
しかし、水差しを飲み干したことによって、かえって頭がさえ渡り、不思議と興奮が押さえ込まれた。ピウスは机に向かうと、荷物の中にある紙を取り出し、そこに現在の進捗を書き込む。その筆はわずかに震えるほどであったが、あくまで丁寧に、しかし読み取りづらい文脈で記された。
文章を吟味している間も、彼はそれを机の上に置いたり、空中に透かしてみたりしてみる。何度も自画自賛の頷きを繰り返し、少し文章を足しては、小さく鼻歌をこぼした。
彼はできあがった文章を秘密箱に収めると、これを鞄の底深くに隠して、日常の業務に戻る。その日、毎日が殺風景な懺悔室は、果てしない欲望と、光と希望に満ち溢れていた。




