第四玄義:敬虔5
ピウスの朝は日の出とともに始まる。睡眠時間は約三時間。発狂しそうになる下働きも多い中ではまだ待遇の良い方で、ピウスは寝起きと共に体を伸ばす自由が与えられている。
彼が起きるのと同時に各部屋から若手が部屋から現れて、同年代と共に挨拶を交わす。ピウスもすまし顔で彼らの中に混ざれば、年相応の無邪気な笑顔が戻った。
「おはざす」
「・・・はよー」
「ねみ」
「寝癖直しとけよ」
「おはようございます」
ピウスが恭しく頭を下げるのに対して、気軽に会話をしていた同年代の男達は少し畏まった会釈を返す。少しの物悲しさを感じつつも、彼は一団と共に炊事場へと向かう。
「そういえばさぁ、この前チコリー先輩が言ってたんだけどさぁ、御子が荷卸場で張り込みしてたんだってよ」
「えぇ?なんで?警備兵ごっこ?」
雑談に聞き耳を立てていると、警備兵の同期が語り始めた。彼は兵士の歩む速度に合わせて、早足で歩き始めた。彼らは無防備に続ける。
「まぁ・・・憧れてくれてるんだったら嬉しいけどなぁ。どうも、友達が穢に触れたんじゃないかって、辛そうに話してたらしいよ」
「うわぁ・・・。朝から辛い話やめろよ」
「やっぱつれぇわ・・・」
「いつでも言うだろお前は」
ピウスは即座にアイテスが動き出したのだということを察した。相手が誰であれ、一つ事件が起これば何らかの綻びが生じる。子供の扱いやすさは、彼には喜ばしいことに思えた。
しかし、自然な振る舞いをしなければならない。ピウスは少し口角を持ち上げながら、声を殺して歩き続ける。
目的地の炊事場が近づいてくると、あたりがわずかに暖かくなっていく。
炊事場にはすでに濛々と煙が立ち昇っていた。朝日も曇らせる凄まじい蒸気の中で、布で口を覆った炊事官たちが炊事釜一杯の飯盒を次々に炊事場の奥から運んでくる。
長蛇の列に並んだ人々は、それをひとつずつ抱えて、小走りで元来た道を戻っていく。ピウスはちょうど半ばあたりでこれを受け取り、彼らよりはゆったりとした足取りで部屋へと引き返していった。
右脚を持ち上げて、前進する。左脚は靴裏をそっと床上に滑らせるように前進する。一連の伝統的で優雅な所作とされるものをこなしながら、何人もの同期たちが彼を追い抜いていく。そして、彼は部屋まで戻っていくと、肘でドアノブを下ろして、体当たりでもするように扉を開けた。
「おはよう」
「おはようございます」
父もピウスも仕事の表情である。すでに待機している両書記長は、どうやら父の顔色をうかがって様々な会話を試みていたようである。ピウスが炊飯釜を円卓の中心に置こうとすると、すかさず書記長が鍋敷きを机上に置いた。
釜の蓋を外すと、温かい米からぶわりと湯気が溢れ出す。窯の中を覗き込む書記長たちは小さな歓声を上げる。
見慣れた光景の中で、ピウスはそれぞれの食器を用意し、人数分の米をよそっていく。はじめに父へ渡し、続いて書記長たちに配膳する。そして、自分の米をよそっている間に、書記長たちが何かを取り出した。
「これは六等書記官のカガリー殿からでございます。今度の誤植を修正して頂きたいとのことです」
「こちらは五等書記官のペンシル殿からでございます。婚礼の神籤に関する候補者の誤植を修正して頂きたいとのことです」
それぞれの詳細な内容を示さないまま、書記官からの贈り物として渡されたのが、歯ごたえの良い蕪の酢漬けと、醤一瓶が入っていた。
筆頭書記長はそれぞれの贈り物をまじまじと見つめた。
「ふむ。発酵官からの依頼と見えるが・・・。何を企んでいるのか・・・」
「珍しいこともあるものですね。神籤の結果がよほど気に食わないと見える」
などと、口々に感想を述べながら、白米を乗せただけの器にそれをかけ、乗せていく。ピウスも同じように漬物を米の隅に置き、醤をひと回し米にかけた。
「まぁ、貰えるものは貰っておけ。議会後の議事録作成時に検討するとしよう」
食事に味が加わると、一気に部屋の香りが華やぐ。若いピウスにはこれが大層有難く感じた。朝食をかき込みたくなる衝動を抑えて、大切に米を食べる。同等の地位に立つ者たちと比べて、醤の一滴がどれほど恵み深いものであろう。行政区勤めの白の民のほとんどが痩せ型なのも、施設の根幹が宗教施設であり、その傍らで国家運営が行われていることの証左である。
ピウスは米をさらによそい、残った醤を少しだけ垂らして食事を続ける。それをまじまじと見つめる父の眼差しを一顧だにすることはない。
「筆頭書記長殿、今日の議題は引き続き婚礼の神籤でございますか」
「そのはずだ。あとひと月はそうだろう。他に議題があるとすれば、予算の作成くらいだろう」
父と上司たちの会話に耳を傾けるピウスは、音を殺して咀嚼をした。漬物をそっと隅に寄せ、米だけをひたすら仰ぐ。わずかな会話の隙間を狙って、漬物を素早く口に含むと、素早く咀嚼をすると、父が口を開くのに合わせてそれを飲み込んだ。
共有区の方角から高いベルの音が鳴り響くと、ピウスは食事を一気にかき込んで片づけをはじめる。同室人たちも食器を彼のもとへ運び、そのまま職場へと向かって行った。
「ちょっとは片付けて下さいよ・・・」
戸口が閉ざされる音に紛れて、彼はぼそりと恨み言を呟いた。
食器を片付け、部屋の掃除を済ませると、彼も身支度を整えて、部屋を出る。すでに行政区の内部に配属された同期たちはすでに業務に入っている時間であり、彼より四時間ははやく宮仕えを終える。彼も、先日の一件で父の考えも分からないではないものの、やはり疎外感を感じる。鬱屈した感情を抱えつつ、少しくだけた所作で回廊を素早く歩き、懺悔室へと向かった。
懺悔室の鍵を開け、入室と同時に執務机の上に荷物を置く。ため息とともに腰を下ろし、荷物の中から諸資料を取り出した。そのまま、流れるように書棚から問答集を手に取り、大きな机の上へとそれぞれを運ぶ。既に前日に完成させた問答集を軽く流し見して中身を確認した後彼は懺悔室へと続く扉を開け、椅子の位置を整え、軽く掃き掃除をする。そして、扉を開けると、裏口がノックされる。
「どうぞ」
「おはようございます、宿祢殿」
「今朝はおはやいですね、朝臣殿」
ピウスが問答集を手に取りに机の方へと向かうと、男はとぼけた様子で頭を掻いた。
「まぁ、そうですね。いつもの子は見えましたか?」
「今日はまだですね・・・。篤信家でたいへん感心しますね」
「いやぁ、はは、本当に」
互いに当たり障りのない会話を続けた後、問答集を手渡す。そして、男が中身を確認した後、ピウスに頭を下げて部屋を後にする。一連のルーティーンを終えると、まるで入れ替わるように、懺悔室の扉が開かれた。
「またか・・・」
ピウスは呆れたように言葉を漏らすと、窓の前にある扉に明かりを灯し、カーテンを挟んでつまらない子羊と向かい合った。




