第四玄義:敬虔4
懺悔室の扉をノックする音が聞こえ、警備兵が受付中の看板をひっくり返したことを告げると、ピウスは短い礼を述べて、巡回に戻るようにと彼らに命じた。
翌朝に問答を提供するにあたっての簡単な確認作業を終え、聴罪師としての業務がひと段落すると、彼は大きく伸びをして、戸締りの確認をする。
窓のない懺悔室には外部の光が届くことは殆どないが、同時に外部の闇が届くということも無い。燭台を手に取って闇の中に忘れ物等がないことを確認し、内鍵を掛けると、すぐに明かりのある執務室の方へと戻る。ボタン式の鍵を重ねて掛け、厳重に扉を閉ざした後、彼は沸かした湯で一服をしていた。
懺悔室にある聴罪師用の執務室には、行政区への直通の扉がある。学士に対して匿名性が求められるのと同じで、学士に対する聴罪師の匿名性が求められるのは、両者が中立の立場で告解と教唆を行うためである。もちろん、ピウスにそれを守る気はさらさらないのだが、この規則に則り、共有区へと退出することなく、行政区にある居住棟へと向かうことができるようになっているのである。その鍵を持っているのは聴罪師であるピウスほか数名と、副書記長以上の書記官のみである。
彼が一服を終え、帰り支度を整えていると、この行政区へ続く扉が開かれる。不審に思って作業机から顔をあげれば、そこには筆頭書記長である彼の父が立っていた。
初老に差し掛かった年頃の男性であり、施設指定の黒のローブと黒の長ズボンとが大変に似合っている。ピウスは恭しく頭を下げると、筆頭書記長はおもむろに扉を閉ざし、ピウスに広い机へ移るように顎で指示を出す。ピウスは急いでそれに従った。
「すいません、白湯なんですけど・・・」
「ありがとう」
ピウスはちょうど沸かしたばかりの湯を客人用の木製のコップに注いで提供する。彼の父はそれを無感動に受け取ると、少し口に湯を含み、舌の上で転がしてから飲み込んだ。
「しっかりやっているか」
「それなりには様になっていると思います。それに、今日は面白そうな情報を手に入れましたよ」
「そうか」
父はそう言って白湯を飲み干すと、わずかに前屈みになり片肘を机について、傾聴の姿勢をとる。ピウスは見慣れて間もない父の所作に答えるように、手を前で組んで経緯を説明し始めた。
「両大臣の御子が友人関係にあること、そして、本日、右大臣の御子が、ここに訪れて『穢』に触れた友人のことを相談してきたのです」
「どの友人が『穢』に触れたかは分からぬであろう」
自慢げに微笑むピウスを、しかし父親は一蹴した。反応を予測済みだったピウスは、満足げに頷いて、不敵に笑う。
「えぇ、それはそう。しかし、あなたにとっても、武器にはなり得るでしょう」
父は水差しからコップ一杯に水を注ぐと、これを一気に飲み干した。少し苦しそうに唸り声をこぼしたかと思うと、彼は再び水差しに手を伸ばす。ピウスは視線だけで父の手を追った。
「飲み過ぎでは?」
「最近は喉が渇く。上流階級に多い症状だ」
短く答えた父がすっかり水差しを飲み干してしまう。コップの中に留まった米粒のような雫がぎらぎらとしたオレンジ色に染まる。
ピウスは何気なく灯芯を掻き立て、明かりを強くする。そうすると、酒に酔ったかのように少し姿勢を崩した父の青白い顔がよく見える。口元を軽く押さえ、口に含んだ水がこぼれるのを抑えているらしい。
「ほら、そうなるではないですか」
ピウスの言葉に、何とか飲み干した父が眉を顰めて答える。
「結構苦しいのだぞ、これは。目も少々見えづらくなる」
「書記のお仕事は問題ないのですか?」
「問題ない、代筆官を雇う」
父が期待通りの反応を寄越さないので、ピウスは不服そうに生返事で返した。相手もあまり気にする様子はなく、報告をしっかりと水と共に飲み干すと、苦しそうに痰を吐きだして立ち上がった。
「失礼する」
「私も帰ります」
ピウスは急ぎまとめた荷物を手に取って立ち上がる。行政区へ直通の扉を父が開け、扉を潜る。それが閉じ切る前に小走りでピウスも懺悔室を後にした。
行政区へ続く連絡通路は二手に分かれている。基本的には一方通行で、緊急事態でなければ逆走することは『理に反する』と考えられていた。懺悔室は「行き」の連絡通路では最も後に到達する職場であるが、その分帰りは早いのである。
連絡通路にある最初の角を曲がれば、行政区の居住棟へとつながった。木造の柱に丁寧に塗り込まれた丹は、手間暇をかけて丁寧にむらなく塗りこまれ、『人を使う』高貴な身分の象徴である。
とはいえ、以前の塗装からはずいぶん時間が経っており、ところどころにはく落し、材木の露出した部分などがある。
「そろそろ用務所に問い合わせるべき頃だろう。管理人は何をしておるのだ」
恨み言を抑揚のない声で呟く父に、苦笑いを送る。父親の頑迷さには困ったものだなどと、ピウスも考えていたが、素早く帰宅したいと思って言及は避けるのだった。
父の説教めいた説明が続く。帰宅のたびに居住棟の歴史やそこで起こった事件などを、言葉少なに語る姿は、はじめこそピウスの羨望の対象であったが、今は単に老人の愚痴を聞くだけの退屈な説教である。
ようやく自宅が見えてきた頃には、既に深夜二時の月が傾いている。ピウスは小走りで自室の扉に近づき、その扉を開いて頭を下げた。父が彼の前を幽霊のように音もたてずに通り過ぎていく。それを見送った後、彼はようやく自らも帰宅を果たしたのである。
居住棟の様相は学士区のそれと大して変わらない。少し幅は広いし、書斎として一部屋が余分にあるが、それ以外は極めて窮屈な共同住居である。ベッドの上段で眠る書記長二名の寝息を聞きながら、ピウスと父は円卓を囲んで腰かけた。
「では、こちらに帰宅証明の押印を」
父はそう言って二人分の印綬が押されてある紙をピウスに差し出す。ピウスは黙って専用の印綬を取り出し、これをインクに浸して印鑑を押した。紙の上に梟の印綬が押し込まれると、それを確かめた父がベッドの上段を指差した。ピウスは黙って促されるままにベッドへと上がり、横になる。自身の印綬を押した父がようやく寝床につくと、静まり返った室内で他の者がいそいそと起き上がるのだった。
ピウスもようやくできた閑居に喜び、音を立てないように身を起こすと、古典の書写に興じ始める。夜明けまでのごく短い時間であるから、一千字ほど書き進めるにとどまったが、それで満足して眠りについたのであった。




