第四玄義:敬虔2
膨大な量の懺悔問答・・・というわけではないが、休憩時間に懺悔室を訪れる巫女の数は多い。たいていはホロのような敬虔さではなく、目に見えない相談相手に、あまり考える余地のない恋愛相談などのくだらないものである。
十分か二十分、堂々巡りの告白をただ聞き続けるだけで、何不自由ない収入を得ることができる。とすれば、この労働も悪くはないのかもしれない。
ピウスはそのように思う反面、この代わり映えのない懺悔室で生涯を終えるのはあまりに勿体ないとも思った。社会はめまぐるしく移ろうものである。学士区での時間ですら、緩やかな変化があったのであるから、この場所の「変化のなさ」は、やはり危機的なものである。
であれば、どのようにこの状況を突破するべきか。出世をするしかあるまい。
昼休み明けのピウスのデスクには、懺悔問答の置かれるスペースはない。そんなものはカーテンのある『窓際』に押し退けてあればいいのであり、そうではなく、デスクの上には現在の行政区の組織図と勢力図、そして学士区の御子らの勢力図、そして過去の『婚礼の神籤』の結果、つまりは家系図が置かれるべきである。ピウスは満載の情報誌を手元によせて、男性聖職者に強制されたボウルカットの上に乗せた制帽を傾けて、一心不乱に勢力図を読み解く。
まず、行政区の高官たち。彼らは退職するまで変動することは滅多にない。その名前を確認し、彼らの『婚礼の神籤』の結果を確認する。その神籤から伴侶の名前を確認し、その名前に対応する学士区の御子の名を確認する。そうすることで、「次の高官の候補となる」御子を確認することができる。
施設の長であり聖職の最高位である老師の御子は、ノゼンダ。
施設の世俗権力の最高位である宮王、婚礼の神籤を逃れて宮王に娘を嫁がせることができるのが、彼を輔弼する内大臣、左右大臣。ほかに宮王と同格の家格を持つ宮大臣がいるが、宮大臣は宮王の父祖か兄弟であるから、そもそも左右大臣にならなければ家格が合わない。ピウスの場合は婚礼の神籤までにこれを回避することを刻限と考えれば、血縁関係による出世を駆使しても、宮大臣にはなり得ない。なるのは次の世代である。
内大臣の御子はなし、左大臣の御子は、グッズ。巫女は2名。成人した娘は現在の宮王の正室。右大臣の御子はアイテス。巫女は1名。成人した娘は現在の宮王の側室が一名、ほかに副書記長の妻一名。
そして忘れてはならないのが、最高位の四大臣に次ぐ影響力を持つ二卿、荷卸し場からの物品の出納を司る大蔵卿、最終議事録を記録する、つまりは会議の『記録』を最後に残すことができる筆頭書記長である。ほかに警察権を掌握する近衛大将も影響力は大きい。
筆頭書記長の子はピウスで、兄弟もないので政敵はなし。大蔵卿の娘はホローと言う。よく懺悔室に通ってくるあれであろう。
上を挿げ替えることができない以上、下を排除するのが最も効率が良い。ピウスの考えはこうである。
一つ、懺悔室にいるうちに、ホローが巫女であるうちに、つまりは婚礼の神籤が始まる前に、ホローを正室として迎え入れる。こうすれば婚礼の神籤という公権力による儀礼の強制を逃れて、二卿の支持を得ることができる。そのためには家格が同じであること、恋愛結婚であること、最後に両家の両親と老師への高価な献上品が必要である。成婚の正当性、真実の愛の認知、私財を投げ出す覚悟がこれで認められるという建前で、条件を満たした時に愛の力による新たな家系の作成が認められる。
一つ、三大臣の息子を排除し、後継を排除する。これは彼らが成人すると、父親による親の庇護下に置かれるため、難しい。よって、親の影響力の庇護から外れている御子のうちに、彼らを可能な限り排除するのである。
一つ、これは当たり前のことではあるが、実力を示すこと。そのために懺悔室は権威が小さすぎるが、いずれ書記室への引き上げと、書記長への出世という親の庇護を期待するしかない。いずれにしても、懺悔室に配属された以上は、ピウスの出世は文官出世のルートしかない。出世の障害にはならないが出世後の障害にはなり得るので、武官の最高位である近衛大将とは可能な限り友好な関係を築きたい。
資料をまとめ上げ、作戦を練るピウスであったが、彼のもとに、千載一遇の機会が訪れる。その足音が近づくのにも気づかずに、彼は一心不乱に組織図とにらめっこを続ける。
その時、カーテンの向こう側にある、ドアのベルが甲高くなった。それは弾ける暖炉の火花よりもずっと億劫なもので、ピウスは苛立たしげに組織図を机に放り投げる。
蝋燭に火を灯すと、カーテンの向こう側にある小ぶりな影は、きょろきょろと辺りを見回していた。彼が「子羊よ、こちらへ」と声を掛けると、よそよそしい仕草で影が近づいてくる。ピウスは片眉を持ち上げて、その足さばきに目を凝らす。
女性的な所作ではない。身長は低い。恐らく御子であろう。そこまで確かめると、ピウスは唇を引き結んで目を細めた。
ピウスにとっての問題は、その訪問が有益であるかどうかだ。短髪の影はカーテンの前に座ると、きょろきょろと周囲を見回しており、落ち着きのない様子である。ピウスはカーテン越しにその子供が懺悔室をはじめて利用するのだと察する。
「迷える子羊よ、ご安心なさい。心を落ち着けて、告白をすればよいのです」
そう宥めてやると、子供は膝に置いた手をもじもじと動かしながら、落ち着かない様子で答えた。
「・・・最近、変なんです。俺、時々、体が火照って、おかしくなって・・・病気でもないみたいで・・・」
「具体的にどのように変なのですか?また、どのようなタイミングで変になるのですか?」
「体が火照ったり、頭がぼぉーっとしたり・・・なんか、体が硬くなったりするんです。幼馴染と話したり、悪戯したり、あと、絵を見たりしたときに よくなります」
ピウスはそれが咄嗟に性的な目覚めであることを理解した。通常は何らかの形で知識を得るものだが、まれに無垢なままで成人を迎える御子もいる。過去の問答集を見ても、そうした悩みは珍しくない頻度で懺悔室に持ち込まれていた。
またつまらない世間話か、と羽虫を払うようにあしらおうとしたピウスの腕が、一瞬カーテンの端を持ち上げる。うちあげられたカーテンの向こう側に、赤面し、俯きがちな快活そうな少年の顔が見えた。
(グッズ・・・!)
学士区に在籍していた頃に、事前に情報収集を行っていたピウスは、その顔を見てようやく彼がグッズであることに気づいた。すぐにカーテンの裾を直し、問答集のメモを脇に置く。彼はできるだけ自然に、彼の現状を確認するべく質問を投げかけた。
「あなたは、幼馴染の巫女や、あこがれの巫女などがあるのですか?」
「え、わかんない、です」
「ふむ・・・。では、今胸に手を当てて、頭に浮かぶ巫女などはありますでしょうか」
そう言うと、小さな影は本当に胸に手を当てて、唸り声を上げたり体を揺すったりする。長い間そうして心を確かめていたが、グッズは首を横に振り、小さく「わかんない・・・」と呟いた。
紙をなでるペンが止まる。本当に無自覚なのか。ピウスは成人前の調査を思い出しながら、グッズの、年齢に比してきわめて幼稚な態度に呆れ果てていた。
家格が人生を決める。それを避けるために学士区と行政区に成人男性と女子供を分けた古代の施設建設者は、本当に慧眼であったかもしれない。そう考えると後代に共有区を設けて施設を拡張したのは間違いであったかもしれない。ピウスは思わず納得の声を挙げそうになるのを抑え込み、グッズ周辺の交友関係について詳細に質問をはじめた。
質問の意図に疑問を抱きながらも、すらすらと答えるグッズ。単純で御しやすい男だ。
聞けば、家格の高いアイテスやホローなどと深い交友関係があることが聞き取れる。
『これは使えるかもしれない』
ピウスは千載一遇のチャンスを嗅ぎ取って、内心浮かれながら、あたりさわりのないアドバイスをした。そして、話している間に、学術棟の中にある資料室に、「信仰の箱」があることを思い出した。ピウスは何気なく、アドバイスを付け足す。
「・・・また、もし信仰について迷うことがあれば、お気軽に私に相談して頂くか、気晴らしに資料室を利用してみるのも良いかと思います」
「資料室?なぜですか?」
「興味深い展示もございますし、あなたの興味を引くものも、きっとあるかと存じます。ひとまず、私からできるご返答はこのくらいでしょうか。ご参考になれば幸いです」
「うん、ありがとうございます」
グッズは威勢よく礼を述べた。愚鈍で素直なこの御子について、ピウスは少々同情をするほどであった。このような性格では、いくら家格が高いとは言っても、出世後の抗争で没落を逃れられないだろう。ピウスにとっては都合がいいが、この御子はあえて排除せずに利用した方がよいかも知れない。そのような下心を腹に抱えながら、まとめた問答を箱に収める。
祈りの口上の後、僅かばかりの寄付を得て、ピウスは彼を送り出した。寄進箱をしまったその手で、すぐさま細かな情報をメモに書き始める。まずはグッズの交友関係。これ一つで、ほとんどの最高権力者の子らを視野に収めることができる。そして、その現状。アイテスとグッズは協力関係にある。まずはここを切り離すべき。操縦しやすいのはグッズ、後から排しやすいのもグッズである。そして、グッズの交友関係にある、ホロー。彼女がグッズとの関係を深める心配は少ない。少なくとも、ピウスはそう考えて、現状の関係性を維持させるべきであると考えた。
現状を見て取れないのはノゼンダである。よりにもよって老師の子の詳細が分からないというのは、彼には不穏に感じられた。
物静かな読書好きで、交友関係は希薄。ノゼンダに関する情報はそれしかなく、ほとんど未知のヴェールに包まれている。
ピウスは状況をしっかりとまとめ上げると、一度席を立ち、懺悔室の壁に飾られたパオニア師の絵画を外す。額縁の裏側にある一本の棒を取り出すと、それを手に聴罪師専用の書棚付きデスクへと向かった。そして、その中から最新の聖典を取り出し、机上に置く。最後に、机の下部にある漆喰の箱を開ける。漆喰の箱の中には彼の普段着、行政区への異動を期待して、作られた礼服、ほかに櫛やナイフなど身辺を整えるのに必要な品々が納められている。その一番奥にある、秘密箱を取り出す。
秘密箱には棒を差し込む穴があり、そこに先程の棒を差し込む。棒を軸として箱を回転させ、逆さの状態で秘密箱のからくりを解くと、箱の底が開いた。その中には、ピウスが自前で描いた家系図や、宮王と老師に関する噂の数々を纏めた書類が山のように積まれている。彼は交友関係の系図をこの箱へ収め、箱の底を閉めた。最後に逆回しにからくりを戻して秘密箱の底を閉ざすと、蓋を上にして棒を引き抜き、全てを元の位置へと戻した。
「すべては計画・・・。すべて為すべきように事を運ぶべし。すべては最終記録。自明の記録こそ支配の根幹である」
ピウスは父から成人に際して贈られた言葉を唱えながら、席を立つ。昼下がりの懺悔室に満たされた静寂の中で、底知れぬ悪意が静かに脈動していた。




