第三玄義:善意6
日課となった見回りの間に、グッズは知らない場所をいくつか知った。御子達のうち、間もなく成人をして行政区へと移住する人々が、足しげく通う『夜の集会所』や星がよく見える穴場スポットなどがある。共有区では明かりを手に提げた警備兵と共に歩いたりもした。
「搬入口には跳ね橋があるんだよ。だから滅多に穢土からの侵入者はないんだ」
兵士はそう言って生あくびをこぼし、それでも搬入口を勝手に開けることが禁止されているわけではないからと愚痴を続けた。
グッズは兵士の話を聞きながら並走する間、どうして勝手に開ける必要があるのかを考えた。しかし答えは出ず、警備兵は「珍しいものをこっそり搬入する奴が多いんだよ」と自然とグッズの質問に答えた。やがて警備兵と別れると、中庭でアイテスと会い、互いに首を振って休んだ。
そうしている間にも、日常は滞りなく続いていく。以前よりも頼りがいのあるアイテスに、グッズも真剣な話を振るようになった。
例えば、ある日の休み時間、警備兵との話をしたのはその例である。
その日はアイテスとグッズで二人で食事を摂り、状況を報告し合うのだった。
「異常なしだったね。思い過ごしだと良いんだけど・・・」
アイテスは心配そうに眉を顰めて、遠いところを見つめている。グッズは普段と違ったことを報告しようと考えた末に、先日警備兵と話したことを思い出したのである。
「そう言えば、兵隊さんが深夜に搬入口を開ける奴がたまにいるって言ってたんだよ」
そう言うと、途端に血相を変えたアイテスが机を跳ね上げんばかりの勢いで立ち上がる。周囲の視線が一気にアイテスに集まる中、グッズは首を必死に横に振って苦笑いをこぼした。
「そうじゃない!あの、搬入口を開けて、違法に貴重品を仕入れようとするやつがいるんだって」
アイテスはゆっくりと席につき、安堵のため息をついた。
「そっか・・・僕やグッズの文鎮みたいなものを、安く売るんだね・・・」
「なんで安く売れるんだ?物は一緒だろ・・・?」
グッズはきょとんとして尋ねると、アイテスは呆れた様子で答えた。
「その時間は関所がやってないから徴税されないでしょ」
「おお・・・天才!」
目を爛爛と輝かせ前のめりになるグッズの眉間に、すかさず綺麗な人差し指が押し込まれる。
「天才じゃなくて『犯罪』。それにたまにいるっていうんだからバレちゃってるでしょ」
「あ、そっか・・・」
グッズはおずおずと席に座り直した。空を押さえた人差し指はそっと弁当箱に並べられたレタスと鯖のサンドをつまみ上げる。
「でも、確かに・・・。税金を逃れることのメリットを考えれば、穢土の人にとっては大きなリスクを取る価値はあるかもね」
そう言いながら、少し視線を外したアイテスは、彼らしからぬ低い声で、「警備はざるだしね」とこぼす。頭の中が料理ザルで一杯になったグッズが首を傾げていると、アイテスは取り繕うように苦笑をした。
「いや、何でもないよ」
鯖の脂が少しついた彼の人差し指がナプキンを撫でる。爪先の光沢が少しくすみ、黄色い染みがナプキンにつく。ピンク色の爪先でそれを丁寧に折り畳み直し、真っ白な面が上に見える形でズボンのポケットに仕舞うと、彼はグッズより一足先に立ち上がった。
「よし、今夜は僕が搬入口と共有区、グッズは資料室だね。よろしく!」
アイテスが伸びをすると、グッズもそれに倣って伸びをした。その意味は良く分かっていなかったが、背中からぽきぽきと心地よい音が鳴った。「任せろぉ・・・!」とアイテスに飛び掛かり、じゃれつくと、年相応な自然な振る舞いで、アイテスは「やぁめぇてぇ!」とそれに抗った。その様子を通りがかりに見て、ホロがそっと目を細めていたことは、彼らの知る由もない。
その夜、グッズは資料室へと入場し、慣れた様子で深夜の展示物の前を通り抜けていく。
以前の反省を活かして行灯を持ち込んだ。中には植物油に灯心を浸したものが入っており、明かりはかなり小さいものだったが、手元の明かりだけでも随分と安心感が違う。
少しばかり歩いたところで、彼は一度立ち止まり、行灯を慎重に掲げた。壁には一つ、背の低い人の影が蠢いている。
恐る恐る振り返ったところで、そこには何もなかった。実のところ自分の影がそこに映っていただけだったのだが、グッズはそれに大きな安堵を感じた。
油をこぼさないように進み、前回より少し遅れて天文の展示室へと到達した。
相変わらず、天に星を散りばめる装置は灯っていない。ただ広い室内に、ぽつん、とその装置が置かれているに過ぎない。彼は自分の手元にある灯りを一瞥し、プラネタリウムの中央に置いてみる。すると、光は僅かな穴を通って、壁に星々を刻み始めた。
装置が動いていないため、日中のように回転するわけではないものの、そこに弱々しい星の光が浮かび上がる。小さな夜の帳の中、彼は壁際をぐるりと周回し、人の気配のないことを確かめる。装置の中に置いた明かりを取り出し、慎重に行灯の中にしまった。
そうすると、自分の手元が闇の中に浮かび上がり、おぼろげな火の光が自分の足元をぼんやりと照らし出す。靴先に光が反射して白く輝く様子を暫く見つめてから、彼は胸を抑え込みながら展示室を移動する。
巨大な模型の間を明かりを掲げながら進む。そうするうちに、ここにノゼンダはいないのだということははっきりと分かってくる。徐々に最後の展示が近づいてくるに従って、彼の動悸はますます激しくなり、荒い呼吸を抑えられなくなっていく。
「大丈夫・・・。大丈夫・・・」
そう呟きながら、極端な内股で展示室を進んでいく。不思議とアイテスに叱られた時のことを思い出す。ホロの肌や吐息の温もりが、涙で濡れたローブの冷たさが、異常なまでに鮮明に思い出される。彼は何とか信仰の箱の前へと進み出ると、その場に膝をつき、行灯を脇に置いた。
黄金の板がくっきりと闇の中に浮かび上がる。彼の呼吸が荒くなる。息苦しく、どうにか抜け出したいという衝動に駆られるのに、それを治める方法が彼には分らなかった。友好的に手を挙げる男性の形をした青の民に手を掛け、思い切り深呼吸をする。手を掛けた板の冷たさが、徐々に人肌の温もりに変わっていく。
「ぁ・・・」
それはほとんど本能的なひらめきであった。彼はそれに気が付くと、すぐにベルトを緩める。黄金色の板に自分の額を重ね、人肌に温まった板の感触を肌で感じ取る。荒い呼吸から吐き出す吐息は、艶めかしい声音と共に吐き出されていく。
そうして、彼の脳裏を次々にホロの姿が浮かび上がる。怒り、呆れ、微笑み、涙、優しげな眉尻を、自分にだけにそっと下ろす、あの極めて無防備な表情。幾つもの姿が思い浮かんでは消えていき、やがて彼は、一つの本能に縋り付いた。
展示室の闇の中を照らす行灯の明かりが、座り込んだ少年の滑らかな膝を浮かび上がらせる。そこに在って視認できるものはただそれだけであって、それ以上に視界の情報を得ることは出来ない。ただ、一つだけ分かることは、彼が本能に身を預けて、子供から、一人の人間になったのだ、と言うことである。




