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ロザリオの掩祝  作者: 民間人。
第二玄義:追従

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第二玄義:追従7

 やはり答えなければならない。長い逡巡の末、ホロはついに決心した。自分には貞節を守り、信仰を守って青の星へと人々を導く責務がある。白の民が代々そうしてきたように、それを守らなければならない。

 戸惑いと嫌悪は全く違う感情であることも含めて、ノゼンダにやんわりと断りを入れなければ。それはホロなりの責務であった。


 日は既に傾いていた。給仕係であるノゼンダであれば、仕事を終えてしばらくすれば部屋に戻ってくるはずだ。彼女は今一度月の位置を確認し、ノゼンダが部屋へ戻ったらすぐに答えなければ。

 何か異変のようなものが既に起こっている。アイテスが給仕係の仕事を引き受け、普段と違う段取りが生まれるなど、些細ではあるが『変化』は著しい。あらゆる変化は『穢』と間接的に関係しているはずだ。やがて月が現れ、空が群青へ染まらんとする。ホロは一度呼吸を整え、万事がうまく収まることを祈り石に祈ると、そっと扉を開いた。


 暗闇の廊下は物々しい雰囲気を醸し出している。人の往来が無い仄暗い闇の中に、ぽつんと寂し気に灯るカンテラの明かりが、かえってその物悲しさを物語っていた。


 彼女はそっと手を合わせ、カンテラの明かりを頼りに階段へと下っていく。手摺をしっかりと掴み、確かめながら闇の中へ潜り込む。

 階下へと向かうと、少しだけ雰囲気が暖かくなる。灯りが俄かに強くなり、階段下のスペースからは微かな声が聞こえる。御子達はカードゲームに興じて夜更かしをしているのであった。ホロはそこを少しだけ覗き、ノゼンダがいないと見るやすぐに関心を無くした。


 ノゼンダの部屋の前へと辿り着くと、ホロはノックのために作った拳を暫くそのままで保っていた。

 今更の逡巡だ、などと思いながらも、内心は正解というものが見えない。断って帰って拗れてはどうなるだろうか?ノゼンダに限って無いとは思いつつ、同室人の言葉が時折頭を過る。

 しかし、きちんと用事を済ませるべきである。ホロが貞淑を守り、信仰の光に身を預けるために。彼女は深い深呼吸をし、キッ、と扉を睨みつける。恐る恐る握った手の甲をドアに近づけ、一度目はそっと、二度目は少し強めにノックをした。


 ノックを数回しても反応はなかった。不在であることに不思議なほど安堵したホロは、しかし手持ち無沙汰になり階段を下りて行った。

 そんな彼女の姿を、御子達が、カードをしばく手を止めて覗き込む。物々しい雰囲気すらあるその後ろ姿に、彼らは顔を見合わせ、首を傾げた。しかし、すぐに関心を失って、カードゲームに興じ始めた。


 ホロは玄関口まで辿り着く。受付にはカーテンが閉まっているが、蝋燭の明かりがわずかに漏れている。ホロはカーテンをうちあげ、受付の内部を覗き込む。そして、受付に背を向け書き物をしている寮母に声を掛けた。


「すいません。ノゼンダ君が通ったりはしていませんか?」


 声に気づき、「あらホローちゃん」と猫なで声をあげた寮母は、おずおずと受付にやってくると、帳簿を開いて記録を確かめる。時間と日付を指でなぞりながら、眼鏡の内側にある目をひどく細めて確認する。

 しかし、彼女はノゼンダの名前は確かめられなかった。寮母は申し訳なさそうに眉を下ろし、父親が愛娘にするような声で謝罪をする。

「ごめんなさい、どうやら通ってないみたいよ?今日通っているのは三人・・・。いつもの子と、アイテスくんと、グッズくん・・・」

「アイテスくんとグッズ・・・?なんで?」


 ホロは怪訝そうに首を傾げる。寮母は鏡のように首を傾げて「さぁ・・・?天体観測のため?」とだけ答えた。


 ホロは一言断りを入れて帳簿を受け取ると、自分の名前を書き込み、理由欄に『〃』と書き記す。その上部にはアイテスの綺麗な文字で、グッズの名前と天体観測のためという理由が記されていた。

 そして、寮母に断りを入れて、建物から中庭へと繰り出す。


 そこには丘に生い茂る草木と、孤独な木の影が呆然と佇んでいるだけであった。間抜けな顔をした木が見上げる夜の空は星々が綺麗に瞬き、大小さまざまな輝きが群青の中を揺蕩っている。


 幻想的な光景の中に立つ人の影がないことに、彼女が違和感を覚えたのは言うまでもない。この場所以外で誰が天体観測をするというのだろう。


「まだ、共有部開いてるかな・・・?」


 ホロは思いついたことを呟いた。そして、わざわざそうまでして行くことはないと自嘲しながらも、心のわだかまりをすぐにでも晴らそうと、再び居住棟の廊下へと戻った。


 共有部への扉は少し重厚に作られている。未熟な御子や巫女には少し重いだろうが、ホロは成人に近い年齢にすでに達している。両手でしっかりと押せば、容易に開くことができる。

 共有部へ続く渡り廊下の薄暗さに不気味な雰囲気を覚えながら、彼女は向かいの扉をわずかに開けて潜っていく御子の姿を見つけた。影の形で、ノゼンダのようであると信じた彼女は、それを追いかけて共有部の扉を潜った。


 開け放った扉の先にある共有部は、昼間の輝きに満ちた様子とはかけ離れていた。老師がおわす御座の塔は、不気味な塔のオブジェクトのようにぼんやりと闇の中に浮かび上がり、木造の懺悔室は闇の中に紛れて視界にすらうまく入らない。カンテラの明かりが警備員の規則的な巡回を闇の中で曝け出しており、その手元から腰回りを照らしている。腰に帯びた剣の柄がほんに長いことに、薄気味の悪さを覚えたホロは、すぐにその場を離れたくて衝動的に警備員を避けて動き出した。


 もちろん、そこには星など見えない。共有部で星の見える場所と言えば、搬入口以外に考えられない。ホロは警備員が照らすかすかな光を頼りに搬入口の扉に駆け寄る。


 扉を開けようと手をかけた瞬間に、ヴェールの布を背後から引っ張られた。ホロが小さな悲鳴を上げて相手を睨み上げると、まだ年若い警備員がホロの顔を覗き込みながら口元に人差し指をあてている。


「静かに。今は危ない」


 警備員の言葉が理解できず、目を瞬かせていると、扉の向こう側でぐごごご、ぎぎぎ、と縄や木材の動く音が聞こえる。よく聞けば金属の回るような不快な高音も響いてくる。

 音を耳にした警備員が一気に扉の前に集まってくる。

 警備員に遅れて、近衛兵二名を率いた近衛中将が、厳かな鎧を服の内に隠して歩み寄ってくる。

 扉を隔てた先に何かがある。それを確信した一同が、ホロを庇うように扉の前に歩み出た。


 しばらくして音が止むと、扉をノックする音がする。そして、バン、と扉の向かい側から激しい打撃音がすると、内側から扉を開け放たれた。


「・・・あ」


 ホロは思わず声を上げた。群青の空に瞬く星々が、開かれた跳ね橋の向こう側にある緑と土色を照らしていたからだ。それは、直感で危険を感じさせるような色彩で、しかし、言葉にできないほど幻想的なグラデーションであった。驚き見惚れていたホロであったが、それはほんの数瞬のことであった。


 艶やかな太腿を晒した、丈の短い正式制服を身に着けた少年が扉の前に立っている。

 冷たい、幻想的な光の中で、暗い暗い影となって、気の弱そうな少年と対峙している。


 向かい合う少年が何かを弁明しようとしたその刹那、矢を放つ音が響く。警備員が駆け寄り、さすまたで彼を地面に押さえつけるのとほぼ同時に、そのすぐとなり、つまりはノゼンダの頭が倒れた辺りの真横に、矢が突き刺さってぶるぶると羽根を震わせる。

 悲鳴の後、ノゼンダの言葉に応じる人はなく、警備員たちが仰向けのノゼンダに馬乗りになる。持ち上げられた複数の拳が、ノゼンダの腹、顔、腕、に思い切り打ち付けられるたびに、鈍い音と聞くに堪えない小さな呻き声が断続的に続く。


 怯え切ったホロが腰を抜かしてその場に腰を抜かす。動揺する彼女の横を、襟が崩れるほど胸元をぎゅっと握りしめたアイテスが横切っていく。ホロはその影に向かって必死に怒号を浴びせた。


「ねぇ、アイテスくん!これは何!?ねぇ・・・!」


 声もかけずに振り返ったアイテスの顔は、ひどく冷たく青ざめていて、ホロを睥睨する瞳はそれよりもさらに冷ややかであった。思わず胸が凍り付いて、ホロは肺から空気を吐き出すこともできなくなる。アイテスはその美々しくも恐ろしい瞳をすぐに前へと向けて、ぶつぶつと何かを呟きながら歩き去って行った。


「ほら、お嬢さんもすぐに避難しなさい。危ないよ」


 警備員の一人がホロを優しく介抱する。恐怖と混乱ですっかり取り乱したホロは、タダぼろぼろと涙を流して嘆くばかりで、されるがままに立たされて、学士区への帰路を見送られたのであった。


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