第二玄義:追従3
日が高く昇ってから目を覚ましてしまったことに、ホロだけが衝撃を受けたのである。目を覚ましてから白い陽光を窓から眺めた、彼女の第一声は「夜明けの祝祷が・・・!」
であった。
同室人はまだ夢の中にある。朝支度を整え、急ぎ教典を開くと、早口で三度祈りの口上を繰り返す。頭を抱え、背の低い円卓に足を取られながら、大急ぎで食堂へと向かった。
朝食は、夕食と比べればずっと着席率が少ない。料理も大したものではないが、寝ぼけ眼で少し寝癖のついたノゼンダを見ることは出来る。その日はアイテスもいなかったので、一層女性たちの関心事項は少なかった。
「ホロゆっくりだったね」
「久しぶりにはめを外し過ぎました・・・」
無防備な髪をかきあげながら着席をする彼女に、友人たちは暢気に笑いかけた。
「はっはっは、良いじゃないですか」
「そういえば、アイテスくんもいない。珍しいね」
そんなことを話していると、歯抜けの座席の後ろを通って、ノゼンダが朝食を配膳してくる。朝食の献立は野菜のおひたしと青ぶどうをトレンチャーに乗せたものだった。
各々祈りの口上を述べつつ、食事をはじめる。物足りない食事をする御子達の中には、皿代わりのトレンチャーを円盤のようにして遊んで騒ぐ者もいる。そして、それを諫める声が食堂によく響く。穏やかな朝の賑わいである。
ホロの周りの巫女たちも、10分もすれば全員が食事を終えてしまう。彼女達は澄み渡った清水を入れたグラスを構いながら、脈絡のない会話をしばらく続けた。
そうしてさらに10分ほど時間を潰した後、学術棟へと向かう支度をするために、一度部屋へと戻った。
ホロが支度を済ませて居住棟を出ると、回廊には爽やかな陽光が射していた。夜更かしのために気分が優れないが、それに反して心地よい空模様に、彼女は深呼吸をして喜びで肺を満たす。
その矢先、後ろから腰へ重い衝撃が走った。
驚き振り返ると、グッズが腰回りにしがみついて、ニコニコと悪戯っぽく笑っている。思わず背中に悪寒が走り、頭が熱を持った。理性より先に言葉が漏れる。
「もう、バカグズッ!!」
「へっへぇー!逃げろー!」
グッズはホロが伸ばした手からするりと身を躱すと、軽やかな足踏みをしながら「捕まえてみろー・・・!」と声を掛けて逃げていく。
ホロは空ぶった手を乱暴に振り下ろして、地団太を踏む。
「もうぅ!」
その声に向けて、後ろからアイテスが「ホローさん、すいません!」と声を掛けてきた。
彼女がアイテスの方へと振り返り、取り繕って柔和に微笑む。彼女の視界に入ったアイテスは、普段より青白い顔色で、鼻と目が少し赤みを帯びていた。
「だいじょう・・・。アイテスくん、大丈夫?顔色・・・」
アイテスは目を泳がせ、視線を逸らす。頬を掻いて苦笑いをする彼の姿は、どこかよそよそしい。ホロは心の底から心配になり、老婆心で懺悔室へ行くことを勧めようと言葉を続けようとした。
「あ、グッズにはよく言っておくから!ごめん!」
しかし、ホロの言葉を待たずに、アイテスはほとんど逃げるように立ち去ってしまう。開いた唇を引き結ぶと、釈然としない気持ちを抱えながら、学術棟へと向かって歩き出した。
どのような「違和感のある日」でも、日常は非常に淡々と流れていくものである。アイテスはどこか落ち着きなく、また余裕のない背中をホロに晒しながら講義を受けている。その様子がとても違和感があり、彼女の周りにいる巫女らもかなり気懸りな様子でアイテスに注目している。
しかし、講師がやってくると、ホロは自分の頬を叩き、気分を切り替える。周囲では、違和感の正体を探ろうとする視線が、全てアイテスの所作へと向かっていた。
講師は重い瞼を少し持ち上げて、それに似合った重厚感のある厚い唇を開いた。
『慈悲の巡礼』とは、現代でも引き継がれている祭儀である。君たちが次の月の明け方から夕べまで、続けて行うことであるから、形態はよく知っておられるだろう。ここでは、その謂れについて、つまりは、なにゆえにこのような祭儀が生まれたかについて、話していこうと思う。
昔、まだ穢土と白の民の住居が別たれてはいなかった頃、人々が争い、競い合って、傷を負っていたことは前に話を受けたかと思う。その後、私達が穢土と離別して、関わりを断ってから暫く経って、カイゼン師というお方がいらっしゃった。
このカイゼン師は、ある時、穢土の方をご覧になって、人々が鉄をめぐって傷つけあう姿に心を痛めた。そこで、カイゼン師はそれを憐れに思って、夜の頃、灯りを持って穢土へと繰り出された。そして、白の民としての在り方を説いて回られた。
最も近しい者たちがこれを諫めたが、それに構わずにカイゼン師が再び夜に繰り出すと、争いの特に酷かった赤の民、茶の民のいるところに至って、カイゼン師は鉄のナイフを持つ人々に殺められてしまう。
救うことは困難なこうした人々のために高名なカイゼン師が失われたことに悲しみ、白の民は施設に設けられた回廊を、夜な夜な色とりどりの明かりを持って巡回し始め、悼んだのであった。
さて、これは毎年、穢土へ出てはならぬという教訓を伝えて回るための祭儀として、行われることとなった。
ずっと先の時代には、カイゼン師の優れた人徳を惜しんで、穢に触れたとはいえ青の星へと牽き上げて下さるように願って、施設を回った後、師のお住まいの前で祈りを捧げるようになり、現在の形式『慈悲の巡礼』が生まれたのである。
「・・・重要なところを纏めよう。一つ、穢土と施設とが別たれてから暫くは、その往来は厭わしからぬこととして行われていた。一つ、カイゼン師亡き後に、穢土と施設は完全に別たれた。一つ、その戒めとして始まったのが、慈悲の巡礼であり、後に亡きカイゼン師を悼むために行われることとなり、青の民への祈りの祭儀の一環となったところである。さて、では、課題部分である。この解説を読んで、慈悲の巡礼の賛否を、聞いてみようか」
講師は一通り室内を見回して、目の合ったホロを指名する。ホロは淑やかに服の皺を伸ばしつつ立ち上がり、祈り石にそっと触って答える。
「私達白の民は多くの者を青の星へ導く役割を担っています。ですから、カイゼン師の行いはまことに高尚なことであると思います。それを偲ぶのは当然のことと存じます」
講師は厳めしい顔を少し綻ばせ、満足げに頷いて見せる。
ホロが音を立てずに着座する。その優美な有り様もまた、講師を満足させた。続けて御子らの内から意見を募ろうと、講師がぐるりと辺りを見回しているところ、心ここにあらずと言った様子の、アイテスの姿が際立って視界に入った。講師はへの字の眉を一層吊り上げて、アイテスを指名する。答えて立ち上がったアイテスは、どこか上の空の様子で、浮かない表情で答えた。
「穢土に出たということは、穢を持ち込まれたということ。必ずしも尊いこととは思いません。白の民までもが、青の星から遠ざかるかもしれないのですから・・・」
と、窓際の席へと視線を送るアイテスが答えると、これもまた講師は満足したように頷いた。しかし、その顔は、先ほどよりも厳めしい表情であった。講師はアイテスを立たせたまま、威厳のある声で問い詰めた。
「しかし、カイゼン師のおわした当時は、まだ往来が稀にあったというのもある。その点についてどのように思われる。」
「本当であれば、穢土からの物は全て拒むべきものであります。しかし、それでは生きていけない。今は荷卸場で穢を留めることができますが、その当時はそうではなかったのでしょう。だから、カイゼン師が殺められてしまったのではないでしょうか」
「今の方がよいと?」
「そのように考えます」
講師はこれもまた満足した様子で頷き、アイテスに着座を促す。ますます沈痛な面持ちをしたアイテスが、ゆっくりと席に着くと、周囲の席ではざわめきが起こった。
これを諫めて咳払いをした講師が、二人の立場について、解説をする。
「いずれの意見もある。形骸化した祈りであるという現代的な意見もあるが、いずれは青の星へ導かれるべき魂として、やはりカイゼン師のために巡礼を続けるべきとする意見もある。矛盾しているようだが、そうではない。カイゼン師の考えは尊いし、その選択は早計であった、それ故に今の施設の形態があるのである」
講師は更に見識を深めるべく、この件について、現代の研究者たちの理論をいくつも挙げた。それは学術棟であっても極めて高度なもので、御子らや巫女らには少々難解なものだったが、それでも、長々と解説をした。そのため、多くの御子や巫女らは居眠りなどをしていた。よく理解したアイテスとホロは、話について行くことができたが、真剣に聞く者はホロだけであった。
定刻を告げる鐘が鳴ると、講師はそれを厭わしく思いながらも、ひどい有り様の学堂にわざと大きな音を立てて御子や巫女らを立ち上がらせる。そして、彼らに祈りの口上を述べさせると、不機嫌な様子で出て行ってしまった。
ホロはその怒りがとても共感できたので、周りの席から悪口が聞こえるのを、聞こえないふりをして、さっさと昼食のために外に出た。




