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5 存在の耐えられない薄さ

 それは、とある休み時間のことだった。

 化学室から教室に戻る途中。

 あたしは、一緒にいた美琴とアゲハと別れて、一人トイレに向かった。

 用を済ませて、スッキリ爽快な気分でトイレを出て、再び教室へ向かおうとしたその時、真後ろから例のあのフレーズが聞こえてきたのだ。


「私のストレス解消のため、小さな悪だけ見逃さない! 魔法蝶々バタフライ!」


 振り向くと、すぐ後ろに、彼女はいた。

 いつもオドオドしてるのに、蝶々の羽のアイマスクの向こうに覗く瞳は、今は自信に満ち溢れていた。

 猫背は真っすぐに伸びて、どこかで見た覚えのある競泳用水着から、立派な谷間が見える。寄せたり上げたりする必要のない立派な谷間。あたしなんて、寄せに寄せて、ようやく慎ましやかな谷間が出来るというのに。寄せすぎて、両サイドがガラガラ、真ん中にしか胸がない謎生命体になってしまうというのに。

 いや、おっぱいとお胸のことは、今は置いておいてだ。

 大事なことだけど、置いておいてだ。

 その競泳用水着、この間、一緒に水着を買いに行った時、売り場にあったヤツだよね?

 もしかして、後からそれも買ったの?

 それとも。買わなくても、魔法で再現できちゃう感じなの?

 そして、小さな悪って何?

 あたし、何しちゃったの?

 トイレの後、ちゃんと手は洗ったよ? その後、ハンカチでちゃんと拭いたよ?

 おまけに変身したってことは、もしかしてあたし、アゲハの存在スルーしてた?

 頭をグルグルさせていると、魔法蝶々バタフライは、スッとあたしの腰のあたりに手を伸ばしてきた。

「スカート。捲れてます」

 パサリと布が太ももを撫でる。

 え? あ!

 口をパクパクさせていると、魔法蝶々は姿を消した。

 代わりに、眼鏡でおさげで猫背な少女、一色アゲハが現れる。

 え? 何、今の。本当に一瞬だったんだけど。一瞬でバタフライが消えて、一瞬でアゲハが現れた感じ。

 何コレ、絶対、早着替えじゃないって。だって、お着替えの残像すら見えなかったもん。たとえ、早着替えだとしたって、こんな一瞬なの、最早魔法も同然だって。

 だが、まあ。それは兎も角として。

「あの、その、パンツは、ギリギリ見えてませんでした」

 そ、そそそそそ、そう。

 それは、不幸中の、幸い、か?

 チラリと周囲の様子を見渡すと、苦笑いの女子と、少し頬を赤らめながら露骨に目を逸らす男子がいた。

 あうー。たとえ、パンツは見えなかったとしても、女子としてギリギリアウトだよ。せめて、目撃者が女子だけだったら、ギリギリセーフだったのにー。

 てゆーかね、アゲハ君?

 ご指摘は大変ありがたいのですが。

 存在に気付いてあげられなかった、あたしも悪いのですが。

 出来れば、変身前に勝手に直して欲しかったなー、なんて。

 思ったけど。思ったけど。

 アゲハの意思で変身がコントロールできてるわけではないのは知っているし、そもそも悪いのはちゃんと確認しないでトイレを出たあたしなわけだし。

「う、うん。ありがとう……」

 引きつった声でお礼を述べ、ちんやりと教室へ向かうのでした。


「てゆーか、小さな悪って何?」

「ご、ごめんなさい! いつもの癖で、勝手に口から出てきちゃっただけなんです!」

「あの競泳用水着は?」

「ふと頭に思い浮かんで、再現しちゃったみたいです!」

「先に教室へ戻ったんじゃなかったの?」

「と、途中で忘れ物に気が付いて、取りに行っていたんです」

「それから、もしかしてあたし、呼ばれてるのにずっとスルーしてた?」

「そ、存在感がなくて、ごめんなさい!」

「いや、それは、あたしも気が付かなくて悪かった!」

 教室へ入るなり始まった怒涛の応酬に、先に教室へ戻っていて事情を知らない美琴が困惑気味に首を傾げる。

「えーと、二人とも? 何があったの?」

 事情を話す前にチャイムが鳴って。

 説明タイムは、次の休み時間に持ち越されることになった。


 待ちに待った休み時間。

 早速、美琴に事情を説明したあたしに待っていたのは、美琴からのお説教だった。

 女子としての嗜みについて。

 そして、アゲハをスルーしてしまったことについて。

 それについては、言われるまでもなく、あたしだって反省している。

 アゲハには、悪いことをしたなーって思ってる。本当に思ってる。

 でも、それでもあえて言わせてもらいたい。

 あれは、不可抗力だったと。

 別に意地悪をしていたわけでも、ぼんやりしていたわけでもない。

 本当に。純粋に。ただ気が付かなかったのだ。

 幽霊に話しかけられた、霊感のない人のように。

 いや、本当。マジで。

 いるって分かっていれば見つけることは出来るんだけど、思わぬところから不意に声をかけられると、途端に分からなくなっちゃうようだ。さっきも、アゲハは美琴と一緒に先に教室に戻っているものだとばかり思っていたからさ。背後から声をかけられるなんて、思いもよらなかったし。

 実はアゲハって、誰かに呪いでもかけられてるんじゃないだろうか。その代償として、魔法少女っぽいものに変身できる、とか?

 ……いや、ないな。流石に。

 だれが何のためにかけたんだよ、その呪い。

 まあ、いろいろと思うところはあるが、こんなことを本人に言うわけにもいかず、あたしは素直にもう一度アゲハに謝った。

 でも、あんまり謝りすぎるとアゲハのほうが恐縮しすぎて大変なことになってしまうので、ほどほどにしておく。


「それはそれとしてさー。やっぱり、バタフライは魔法少女的な何かなんだよ。あの変身シーンは、たとえ早着替えだとしても一瞬すぎて超常現象だし。それに、買ってないはずの競泳用水着に変身したんだよ? 持っていないはずの水着に変身するとか、これはもう魔法だって」

「う、そう言われてみると、確かにそうだけど。えー、いや、でも。魔法少女って、そんなまさか。そりゃ、本当なら面白いとは思うけど。常識的に考えると、やっぱりあり得ないって」

 衝撃の変身シーンを目撃したことで魔法少女実在説を確信したあたしは、再びこの問題を蒸し返してみた。

 魔法少女は現実に存在するのか問題。

 以前はアゲハの心中を慮って、一応魔法蝶々バタフライは魔法少女の亜種ということで落ち着いた。だが、表向き賛同はしても、美琴が本心では魔法少女を信じていないのは明らかだった。

 しかし! 実際に変身シーンを目撃した今なら、美琴を説得できる!

 そう思ったんだけどね。なかなか、手強いぜ。

 本当にさー。なんでそんなに頑ななの?

「もーう、自分の目で見たことが真実でしょー! それに、常識なんて新しい発見の前に簡単に崩れ去るものじゃん!」

 ほら。天動説とか地動説とか、そんな感じのアレだよ、アレ。

「ま、まあ、そういう側面もあるかもしれないけど」

「ストレスは魔法だって生み出すんだよ」

「ストレスのせいにしとけば、何でも解決すると思ってない?」

「ストレス万能論」

「それはどうかと思う」

 ちなみに、この間当事者であるアゲハがどうしていたのかというと。

 あたしと美琴に視線を行ったり来たりさせて、普通にオロオロしていた。

 よし。ここはやはり、本人にも意見を聞いてみねば。

 と思ったら、美琴のヤツに先を越された。

「んー。バタフライがストレス系魔法少女だとして、変身以外に何か魔法って使えるの?」

 お。意外といい質問、きた。

 それ、大事なトコだよね。

 ワクワクしながらアゲハを見ると、アゲハは右と左の人差し指同志を合わせてもじもじしながら身を竦ませていた。

「あ、えと。分からないです。いつも、変身して、言いたかったことを言ったら、それで元に戻っちゃうので……。それだけで、私にとっては、十分すぎるくらいすごい魔法ですし……」

 え?

 ちょ。

 何、その悲しい魔法!

 もっと、もっと高みを目指そうよう!

「アゲハちゃん。今後の方針については、宿題にさせてもらえる? 明日までには、何か考えてくるから」

 胸の下で組んでいた腕を解いて、美琴が言った。

 揺れるおっぱいについ視線が釘付けになってしまう。

 アゲハは、やけに真剣な様子の美琴に不思議そうな顔をしながらも頷いている。


 ううむ。

 今後の方針か。

 あたしも何か考えねば。

 魔法蝶々を、魔法少女の亜種から真の魔法少女へと導くために!


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